自由に遊べない子ども

最近、対人関係がうまくいかないとかコミュニケーションができない子が増えているっていわれるけど、これって、小さいときに思いっきり遊べてたかどうか関係するように思う。日が暮れて「帰りなさーい!!」「ご飯って言ってるでしょ!!」と言われるまで、友達と思いっきり遊ぶ経験て大事だと思う。

そのときは気付かないけど、いっぱいいろんなことを学んでいる。時間は無限にないことも、友達と仲良く遊んでいてもそれぞれの家庭に帰らなければいけない寂しさ、穴を掘っても地面が固くなればあきらめなければならない限界を知ること、などなど。友達関係で大事なことや、罪の意識なんかも・・。遊びには、カタルシス(注)という効果もあるし。

確か大好きな男の子のうちで、プラモデルづくりの手伝いをしたのを思い出す。「ありがとう!」っていってもらおうと、一生懸命手伝った。簡単なところだけ手伝っておけばよかったのに、赤と青のエナメル線の先を切って、中の針金みたいなのを出すのもやってあげるなんていっちゃって、思い切り線自体を短く切ってしまったことも・・・。あのときの「あっつ」という間の悪さ。人生で、出しゃばってはいけないということを学べたと思う。今となっては良い経験だった。

APA(American Psychological Association)のMonitor on Psychology の40号でも、Tufts Universityのエルキンド博士が「構造化されたスポーツやビデオゲーム、コンピュータープログラムに子どもたちの時間が奪われている!」と嘆いている。これだけ、自由に制限なく遊ぶことが大事だと言っているのに、どうして、われわれ人間はわかっていることを実行しないのだ!と。

遊びといえば、映画『禁じられた遊び』を思い出す。両親を失った5歳の少女と、11歳の少年がドラマの主軸で、二人が動物や昆虫の墓を水車小屋に作っていく姿が、哀切をこめて描かれている。少女はお墓作りに熱中し、少年は少女を喜ばためにお墓から十字架を盗んでしまう。つまり、『禁じられた遊び』とは、墓作りに十字架を盗むということ。しかし、この監督のルネ・クレマンは、本当の『禁じられた遊び』とは、大人たちが起こしている戦争ではないのかと風刺している。

注:カタルシス:自分の心が浄化されること。遊戯療法は、遊びのカタルシスを治療機制として用いている。

 

 

 

このブログ記事について

このページは、渡辺 弥生が2010年2月 3日 21:26に書いたブログ記事です。

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