2010年2月アーカイブ

受かりマスク

受験シーズンである。明日は、試験の監督もある。それにしても、だじゃれビジネスが飛び交うのはどういいうことだろうか。みなさんも周知のキットカット(きっと勝つ)、カール(受かーる)、など。コンビニに並ぶお菓子も、この時期ほとんど受験がらみで買わそうとする。こうした品物が所狭しと並ぶと、買わなければ、いけないような妙なプレッシャーを与えてくるから不思議だ。

今年は、新型インフルエンザもあり、さらに受験生にプレッシャーをかける。感染しないようにセンター試験でも受験上の注意でマスクを呼び掛けていた。すると、今度は、マスクを売るビジネスが登場しているではないか。大学に近い道路で、マスクを売ろうとする人たちが数人おり、大きな声で、受験生をからめとうろうとしている...。

売り声に耳を澄ますと、「受かりマスク、要りませんか~!!」

「受かりマスクぅ~」。思わず、笑ってしまうではないか。大阪出身の私は、こうした笑いの小ネタは大好きである。受験ビジネスに立腹しているのも忘れてしまい、なるほどと思ったのだった。

これと比べると、数日前の、某テレビ番組の脳科学研究者たちが考えたという(何度もリピートしていた)ダジャレクイズにはがっかりしてしまった。「おスギが多すぎ」というネタはまだしも、「ブタがぶたれた」とか「つるがツルっとすべった」とか、なんにもひねりのないそのまんまのシャレ。

このレベルではとても脳が活性化したと思えない...。こういう小ネタの仕事が来ないかしら、

昔懐かしのシャレを思い出した!

【大阪編】

お化け:「食事できるところ、このへんにありますでしょうか?」

聞かれた人:「裏、飯屋や」(うらめしや や)

 

 

 

 

 

綿100%を求めて

冬は乾燥し、乾燥は老化を進める。老化はもちろん嫌だけれど、乾燥肌の私は、この時期、綿100%の靴下を求めてデパートを歩くことになる。昨年は、ストッキング一つで、肌が荒れて、皮膚科に行くはめになってしまったからだ。ところが、いざ「綿100%」を求めてみると、現実には極めて少ないことがわかる。「レーヨン」「ポリエステル」「ナイロン」「ポリウレタン」「シルク」「キュプラ」「ウール」などなど......。

しかも、この成分の割合がまちまちなのだ!「綿20% ポリエステル70% その他」「レーヨン30% ポリウレタン20%、毛 50%」「綿50% ポリウレタン30% シルク20%」などなど。しかもしかも、こんなにばらばらなくせに、みんな「お肌にやさしい」なーんて宣伝してくるのだから、だまされやすい私のような消費者は路頭に迷うことになる。そもそも、お肌にやさしいということは、どういうことをいうのか、とぶつぶついいながら、小さな実験を繰り返すことになる。

「綿30% ポリエステル70%」のストッキングはいてみよう、「わー、だめだ、合わな~い」というように。そんな努力を少ししてみるとだんだんばかばかしくなって、めんどうくさがりやの私は、「綿100%」はウソつかないだろうと信じ、すべての実験はやめて、それを信じて三千里ということになってしまっている。

ところが、ところが、新聞に某子ども服有名会社が、「ポリエステル100%」のものを「綿100%」と表示して売り出していたというのだ!!! 驚くことに、同社は「製品の仕様書をよく確認せずに表示札を作成していたほか、チェックも徹底されていなかった」とコメントしているのは、もう言葉が出ない。

有名な会社ほど、「李下に冠を正さず」(注)という中国の故事成語の教えを守ってほしい、と願いつつ、今は、どんな製品でも、荒れないような肌にするため、「チョコラBB」などのドリンク剤を飲んだりしているのだが、この努力は報われるのだろうか?? お肌にやさしい靴下製品を知っている人、ぜひご一報を!

 

(注)李下に冠を正さず:李(すもも)の木の下で、冠をかぶりなおしたりしていると、李を盗んでいるといった思わぬ嫌疑をかけられることになるので、常に用心深く、慎み深く振る舞うべきということ。ま、他者から評価されていることを忘れずに、身を正すべきという教え。

 

 

 

 

 

電車で座ることのリスク

毎日乗っているのは、「田園都市線」。これは、「半蔵門線」とつながっている。実は、「東武東上線」ともつながっている。たいていこの線は、日本で一番ラッシュがすごいともいわれ、どの時間帯に乗っても、めったに座れない! ま、でも私にとっては、座らない方が良いという気持ちもある。なぜなら、以前、眠りこけて引き込み線にまで入ってしまったことがあるからだ。

追憶・・・・・・・

目が覚めたときにどの車両にも誰もいないという経験をした人はわずかだと思う。不幸中の幸いで、電気はついていたのだが、誰もいない・・。 しまった、なぜだか寝込んでいて、椅子と同化してしまったのか車掌さんにも起こされることなくホームにはずれてしまっている。車両の先頭にいけば、車掌さんがいるかも」と思い、よれよれと先頭の車両に行き、「すいません、まだ乗っていました...」とエクスキューズにもならないことを言ったりした。

車掌さんは怒らず、「これは最終じゃないから、20分もしたら、ホームに戻るから」。

ほっとしたのもつかのま、なぜだか無人のはずの列車の中に、一人だけ誰だかわからんものが、ちょこんと一人だけ座っているのをみたら、ホームの人はきっと不審に思うだろうと思い、憂鬱になったのを思い出す。

・・・・・・・・・

「しかし、どうしてだれも起こしてくれなかったのだろうか。」見ず知らずでも「もう駅ですよ」と起こしてくれた人は以前はいたのに、ちょっとした援助行動(注)をしてくれる人は激減したのだろうか。それとも、あまりにも心地よさそうで近寄りがたかったのか、・・・・・それともあまりにも酷く近づきがたかったのか......。

ということで、座らないと寝込むことはなく、おろかな失敗も繰り返さないということで、良いことかもしれないと今は思っつている。

(注)援助行動:他者が困難に陥っている場合に、自らの犠牲を覚悟した上で、その他者を助ける行動。分配行動、救済行動、寄付行動なども含まれる。向社会的行動とも呼ばれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自由に遊べない子ども

最近、対人関係がうまくいかないとかコミュニケーションができない子が増えているっていわれるけど、これって、小さいときに思いっきり遊べてたかどうか関係するように思う。日が暮れて「帰りなさーい!!」「ご飯って言ってるでしょ!!」と言われるまで、友達と思いっきり遊ぶ経験て大事だと思う。

そのときは気付かないけど、いっぱいいろんなことを学んでいる。時間は無限にないことも、友達と仲良く遊んでいてもそれぞれの家庭に帰らなければいけない寂しさ、穴を掘っても地面が固くなればあきらめなければならない限界を知ること、などなど。友達関係で大事なことや、罪の意識なんかも・・。遊びには、カタルシス(注)という効果もあるし。

確か大好きな男の子のうちで、プラモデルづくりの手伝いをしたのを思い出す。「ありがとう!」っていってもらおうと、一生懸命手伝った。簡単なところだけ手伝っておけばよかったのに、赤と青のエナメル線の先を切って、中の針金みたいなのを出すのもやってあげるなんていっちゃって、思い切り線自体を短く切ってしまったことも・・・。あのときの「あっつ」という間の悪さ。人生で、出しゃばってはいけないということを学べたと思う。今となっては良い経験だった。

APA(American Psychological Association)のMonitor on Psychology の40号でも、Tufts Universityのエルキンド博士が「構造化されたスポーツやビデオゲーム、コンピュータープログラムに子どもたちの時間が奪われている!」と嘆いている。これだけ、自由に制限なく遊ぶことが大事だと言っているのに、どうして、われわれ人間はわかっていることを実行しないのだ!と。

遊びといえば、映画『禁じられた遊び』を思い出す。両親を失った5歳の少女と、11歳の少年がドラマの主軸で、二人が動物や昆虫の墓を水車小屋に作っていく姿が、哀切をこめて描かれている。少女はお墓作りに熱中し、少年は少女を喜ばためにお墓から十字架を盗んでしまう。つまり、『禁じられた遊び』とは、墓作りに十字架を盗むということ。しかし、この監督のルネ・クレマンは、本当の『禁じられた遊び』とは、大人たちが起こしている戦争ではないのかと風刺している。

注:カタルシス:自分の心が浄化されること。遊戯療法は、遊びのカタルシスを治療機制として用いている。

 

 

 

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