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前期も終了したので、来年度の国際会議「持続可能な世界をつくる行動改革のための国際会議」(Behavior Change for a Sustainable World)の準備を始めた。

岡山大学の長谷川芳典先生にご紹介いただいた(関連記事)、東大を拠点とした連携研究機構-IR3S-を調べ、サステイナビリティ学なるものがあることを(恥ずかしながら今さらながら)知ったり、この機構が刊行している機関誌"Sustainability Science"を読んでみたり、我が国における様々な活動(たとえば「緑のカーテン」)について調べて準備委員会に報告したり。

そうこうするうちにうちの大学にも環境問題に取り組む専門家を育成する学部(人間環境学部)と大学院(大学院環境マネジメント研究科)があることが判明。恥ずかしながらついでにさらなる無知のカミングアウトですけど。「グリーン・ユニバーシティをめざして」という理念を掲げてISO14001の認証を取得したことも評価され、第13回地球環境大賞 優秀環境大学賞を受賞していたこともわかった(BT11Fの、分別を妨害するようなゴミ箱の設置を見ている限りではどうにも信じられないのだが)。

そんなこんなで見つけたのが法政大学環境センターのwebサイトにいた「えこぴょん」。なるほど、これが噂の元祖ですか...

準備委員会の準備のために調べたことは、そのうち記事として書いて行きます。

ザリガニにも「意志」  歩く1〜2秒前、脳に活動北海道大学の加賀谷勝史学術研究員と高畑雅一教授は、ザリガニが歩行などするときに働く脳の仕組みを解明した。実際に歩く1〜2秒前に、脳の神経細胞が活動を始めていた。同じ現象は霊長類などでも確認されているが、無脊椎動物では初めて。比較的単純な脳を持つとみられていたザリガニが外部刺激で動く反射ではなく、意志を持って動いていたことを示す成果だ(日本経済新聞, 2011/5/2, 朝刊)。

「反射ではなく、意志を持って」というところに反応して(^^)、この資料を読んでみた。“脳内で起こる準備活動”の有無で反射(レスポンデント)と自発的に起こる行動(オペラント)を区別できるのなら(そういう差異があるのなら)、面白いなと思って。

残念ながらそのような記述はなし。しかも資料の最後にはちゃんと書いてある。

本研究の成果は,「意志」の仕組みを解明したわけでも,ザリガニの準備活動がヒトと共通していることを示したわけでも,決してありません。

そもそもザリガニの「歩行」を制御している変数にはどんなものがあるだろう? 小魚の採餌とサギなどの野鳥からの逃避はずいぶん違うだろうし(どちらも明確な弁別刺激や確立操作が行動を引き起こす外的刺激として存在する)、“なんとなくふらふら”歩いているような、フリーオペラント水準での歩行行動の制御変数もあるだろう(これには明確な弁別刺激はないかもしれない。強いて言えば水草や魚の死体やプランクトンなど餌の密度のより濃い場所への移動によって強化されるとか、あるいは外的から隠れてしばらく動かないでいた、つまり歩行の遮断があった後の回復とか)。

外的な刺激がある前者の方が後者よりも一般的には「意志」があるように映ると思うのだが…

記者さん、もちっと勉強して下さいね。

Basi2010

 今年5月の国際行動分析学で招待講演を行ったオハイオ州立大学・地理学科の Lonnie G. Thompson 教授による論文と(氷河の消失とCO2の増加から地球温暖化を検証し,警鐘しています),この警告に対する行動分析学家からの提案が6つの意見論文として掲載されています。

 投げかけられているのは次の2つの問題:

  • 我々の行動と地球温暖化にどうやら関係がありそうだとわかっているのに,なぜ我々は有効な対応をとろうとしないのだろう?
  • どうすれば我々は対応をとることができるのだろう?

 COP16(第16回国連気候変動枠組み条約締約国会議)では米国と中国という二大排出国による反対により,京都議定書後の温暖化ガス削減に関する枠組みの決定が先送りされました。

 その米国の行動分析学家が提案する温暖化対策という意味でも興味津々。年末年始にかけて読もうと思います。

 この雑誌の最新号がダウンロードできるのは,おそらくこの問題の社会的意義の大きさによる特別な配慮だと思われます。興味のある方はぜひどうぞ。

嵐のような一日の後、日没寸前、大島の海岸から見えた富士山。

Mtfuji201003real


でも、実際に目に見えていたのはこんな感じ(レタッチのスキルがないから雑な仕事ですみません)。

Mtfuji201003perception

景色に感動して撮ったのに、写真を見ると実物とは全然違っていてガッくりしたことありませんか。

人間の知覚システムってものすごく巧妙にできているわけです。

さあ春の休暇も今日で終了。明日は卒業式で、仕事に復帰です。

冬になって空気が乾燥してくると、静電気が天敵としてあらわれる。

なぜか人より静電気を受けることが多い。肌が乾燥しているんだろうか?

特に研究室のドアだと、部屋からでるときは100%に近いくらいでピシッとやられる。

指先にくる痛みと、驚きのダブルショック。

しかも、だんだんと、ふつうにドアノブに手をだせなくなる。手の甲でちょいちょい触ってみたり、腕を縮こませてみたり、なんだか、だらしがない。

その様子が、まるで権力者にへつらってるようで、ふがいなく思う。

堂々と対峙したいのだが、直接効果随伴性にはかなわない。鬱の人が「頑張ろう」と思ってもなかなか頑張れないのと、構造上、似ているかも。

「鳥が群れたりアリが秩序だって動いたりするのはなぜか。生物がアルゴリズムに基づき情報処理しているからで、『自然は計算している』ともいえる。自然や社会に潜むアルゴリズムの解明が新しい挑戦分野だ」

2008年度の京都賞を受賞したカリフォルニア大学バークレー校のリチャード・カープ教授の談話である(日経新聞, 2008/11/17)。

「自然は計算している」と「生物がアルゴリズムに基づき情報処理している」とは必ずしも同義ではないが、前者にも、後者にも、そこはかとない違和感を感じてしまう。

そこで「違和感」の正体を考えてみた。

たとえば、海流や潮の満ち引きは、一見複雑でデタラメに見えながらも、実は一定の法則性をもった地形(リアス式海岸とか)を形作る。精巧に作られたサイコロを振れば、1から6のでる頻度は、最初は偏りがあっても、長期的には収束していく。

それを、砂や、水や、サイコロが、“アルゴリズムに基づき情報処理している”とは、カープ教授でも、たぶん言わないだろう。生物の話になったとたん、現象の原因をそこに求めてしまっては、モーガンの公準をおかすことにはなるまいか。

自然科学は、それが物理学であれ、生物学であれ、心理学であれ、自然の法則性を記述することが仕事である。それは、まさに、“自然や社会に潜むアルゴリズムの解明”である。しかし、法則性が見つかったからといって、その主体(主体という構成概念を設定すること自体、検討を要するが)が法則性を生みだしていることにはならない。

「違和感」の正体は、そこから、計算の主体を想定し、ほぼ根拠のないまま断定してしまっているところにあったようだ。

もちろん、新聞や雑誌の記事の取材においては、しばしば、語ったことがそのまま活字にはならないこともある。カープ教授の談話も、歪んで伝えられているのかもしれない。

とうとうウチにも地デジ対応液晶TVがやってきました。中型だけどハイビジョン対応。世界に誇る亀山産(笑)。

アナログ放送との差は思ったより歴然としていて、しかもノーマルとハイビジョン放送の違いも段違い。

というか、納品直後は微々たる違いだなぁと感じていたのに、1週間くらいしてから同じ番組のアナログ版に切り替えてみたら、もう耐えられませんってほど絵がにじんでボケて見える。

迷惑なのはこの感受性の変化がホームシアターのプロジェクターにまで般化しちゃったところ。今まで感じていなかった画像の粗さや暗さを感じるようになってしまった。

プロジェクターまで買換えさせる気か!

一方、音楽の方は、CDから192kbpsでリッピングしたデータをiPodで聴いているけど、これに不満はほどんどない。確かに若干の物足りなさはあるけれど、ポータブルCDプレイヤーに戻ろうという気はさらさらない(人によってはいまだにレコードを聴いたり、CDでも高級AVでなくちゃ聴けないって人もいるけど、圧倒的に少数派だ)。


この違いは何だろうか?

圧縮して欠損したデータの量が違うのか、それとも視覚と聴覚とでは感受性の働き方に違いがあるのか。

謎。

日経新聞の『常識を疑う』という囲み記事で奈良先端科学技術大学院大学の佐藤浩教授へのインタビューが取り上げられていた(2006.1.23)。

後天的に学習したことは遺伝しないというのが常識なのだが、この“獲得形質遺伝”は植物では確認されていて、分子生物学でも説明できるそうだ。

実は、かつてミジンコにおける獲得形質遺伝らしきデータを得たことがあった。『行動は遺伝する-Daphnia magna(大ミジンコ)における行動の遺伝に選択複生と照明条件が与える影響-』
田中淳一先生(現・授業開発講座)の研究室の深見佳彦氏の修論である。

当時うちの大学の生物学の専門家に「常識に反する!」としてケチョンけちょんに批判されていたが、もう一度再考すべきではないだろうか? 新進化説の可能性もあるそうですよ。

NASAのすい星探索プロジェクト、その名も「ディープ・インパクト」が成功した。

秒速30kmで飛んでいるすい星に、秒速10kmの探索機をぶち当てるんだから、すごい技術。映画を超えたリアリティだ。

CO2を光合成なしに食べてしまうバクテリアの話とか、最先端のサイエンスのニュースは、ついつい夢中になって見てしまう

科学大好き宣言です。

カラスによる被害が全国のゴミ集積所の大きな悩みとなっているらしい。

これに対し「カラス博士」の異名をとる宇都宮大学の杉田昭栄教授は、化学メーカーと共同で黄色の半透明のゴミ袋を開発した(日経新聞, 2005.5.9, p.34)。

カラスの視覚では黄色が強調されるため、人間の目には半透明でも、カラスには中身が見えない。だから、つついたり、ついばんだりする行動が自発されないということらしい。

すでに杉並区や大分県臼杵市などで導入され、一定の効果を上げているようだ。

私の予想:袋がやぶけて中からゴミがでてしまったり、たまたま黄色いゴミ袋をつついて生ゴミにありついてしまったりということが数回あるだけで、逆に「黄色いゴミ袋」がそこに食餌があることの弁別刺激になってしまって、オセロゲームで土壇場に大逆転されるように、カラスがいっせいに黄色いゴミ袋をつつきだす−あたらないと、いいけど。

私の提案ーカラスにもカラスの事情があるはず(自然界に餌が少ないとか、それ以上に繁殖にとってプラスの条件が多いとか)。いっそ人間のパートナーとして迎え入れ、ゴミ拾いをしてもらうとか、発電してもらうとか(空き缶を拾ってきてポッドに入れれば自動で餌がでるような装置とか)、労働力を提供させたらどうだろう。線路に置き石するくらいだから、好子さえ出現させてやれば、代替行動を強化できるでしょう。

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実験装置を作るのに久しぶりにハンダごてを使って工作していたら、火傷してしまった(ブザマ)。

コードを踏んづけた途端、机から落下したハンダごてを“反射的に”つかもうとしてしまったのだ(疲れがたまってくるとこういう過剰般化が起こりやすくなるような気がする)。

傷跡は後の祭りだけど、授業でオペラントとレスポンデントの区別を教えるのには役立ちそう。

身の回りにあるレスポンデントの例をあげさせると、「泥水がはねたのを反射的によける」とか「殴られそうになったので反射的に殴り返した」など、実はオペラントである行動をレスポンデントと混同する学生がたくさんいる。

“反射的に”という表現が日常的には「とっさに」という意味で使われるようになってしまっているので、混同するのもやむをえない。

それに、日常生活に埋め込まれている自然の随伴性(行動内在的随伴性)によって形成される行動は、人から教えられたという意識がないぶん、まるで生まれ持って備わっていたように感じるのだろう。

ハンダごてを握った直後に熱くて手をひくのはおそらく反射だからそれと対比させればいい教材になるだろう。

転んでもタダではおきないぞ。

行動展示!

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クローズアップ現代(NHK)で、北海道・旭川にある「旭山動物園」の特集をやっていた。

つい何年か前までは廃園の危機に瀕していたこの動物園。「動物のすごさを見せる」という方針を打ち出して以来、入場者数を飛躍的に伸ばしたという。

オランウータンが地上十数メートルで綱渡りをしたり、ふつーの動物園だとよたよた歩きしているペンギンがものすごい早さで泳ぐのを水中から観察できたり、アシカ(セイウチ?)が天井の上のプールからつながっているチューブに降りてくるのを側から観察できたりするらしい(携帯のカメラでテレビ画面を撮影したんでよく見えないけど)。

この園では、「動物のすごさを見せる」ための工夫を「行動展示」とよんでいるそうな。従来の「飼育係」は「飼育・展示係」として生まれ変わり、動物を飼育するだけではなく、担当する動物たちが持っている魅力をお客さんに見せるにはどうしたらいいかを考え、実行することが職務となったそうな。

動物いっぴき一匹が持っている行動レパートリーと好子を熟知し、それらが自然に自発されるように環境を整える---まさに行動分析学的動物園と言えるのではないだろうか?

北海道に遊びに行く口実がまた一つ増えました。

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