週末になると近所の公園は野球少年やサッカー少年たちでいっぱいになる。最近は男女が一緒に練習しているから、正確には少年少女たちだ。

地元のチームなのか、その中に大人が交じっていて、ノックしてたりするのだが、これが酷い。

「あきらめんじゃんぇーよ」、「どこみてんだ、このくそぼけ」、「どうしてできねぇんだよ!!」の連続。

それでも子どもたちは「よろしくお願いします!」とか「すみません」とか、とても礼儀がいいし、一生懸命ボールを追いかけている。見ていて、正直、胸が痛くなる。そのうち、きっとどこかで折れるぞ、この子たち。

こういう大人の特徴。

まず、ノックしかしない。自分でキャッチの見本をみせているところを見たことがない。子どもと離れているから、身体的ガイダンス等で、たとえば膝を曲げる角度とか、キャッチする前の事前動作等を誘導することもできないし、しない。

ノックも適当。近距離のキャッチボールから始めて、次第に距離を伸ばすとか、あまり移動しなくて捕れるところから始めて、前後左右へ移動しないと捕れない球をだすとか、そういうプログラムが一切ない。

子どもがすべきことの説明もない。どうすれば捕れるのか、落下地点に移動できるのか、コツの言語化ができないのかしらないのか。キャッチできなかったり、ポロリと落としたときに文句を言うだけ。それも、ちんぴらのような言葉遣い(昨日目撃した奴はサングラスかけていて見かけもなんだか酷かった)。

そして、何しろ褒めない。驚くほど、褒めない。かなり厳しいところに飛んだボールを子どもがキャッチしても無言。

うそでしょ、とあきれるくらいだ。

腹が立つので、公園の脇のベンチに愛犬と腰掛け(自分は犬と散歩中なのです)、「ナイスキャッチ!」とか「惜しい!」とか、赤の他人なのに声をかける。

サッカー教えている大人にはこういう大人はみかけない。パイロンとか小さなゴールとか、いろいろな仕掛けも持参して、ゲームみたいな方法も取り入れて、子どもがいい動きやプレーをするたびにめちゃめちゃ褒めてる。

野球はいくつかのチームをみかけるが、程度の差こそあれ、たいてい酷い。

なんなんだろ、あの差は。たまたま? それとも競技の文化なんだろうか?

お母さんたちの話では、監督やコーチが厳しくても、チームが強ければ子どももそのチームに行きたがるし、親も行かせたがるらしい。

でも、そのチームが強いのは監督やコーチの教え方が上手いからじゃなくて、酷いコーチでも我慢して練習するほど野球が好きな子どもや、そういうのに耐えてでも勝ちたい負けん気の強い子どもが残るからですよ、と言いたくなるが、犬の散歩仲間にそんなことを言っても仕方ない。

だから、自分はできる限り、ベンチから声をかけるのだ。変なおじさんと噂されてもね。

せっかくの休日を子どもの指導に使うというせっかくのボランティア精神も、あんな教え方では台無しです。せめて、この本でも読んで勉強して下さい。


コーチング―人を育てる心理学 コーチング―人を育てる心理学
武田 建

誠信書房  1985-09-20
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インストラクショナルデザインの基礎の基礎である「RULEG」の考え方を使って作られた教材には中々出会わないものなのだが、たまたま見つけたこのテニスのレッスンビデオのサンプルはかなりイケてる。

具体的な課題分析で標的行動の属性を明記し、特定の属性について最小差異例をつくってモデリングしている(上記のページでは「姿勢を起こす」「ラケットは身体の前方に準備」「軸足を決める」)。

教えようとする属性だけが違うように、望ましい行動と望ましくない行動を組み合わせてビデオ提示しているところが素晴らしい。

「脱力」を中核にした標的行動の設定がどのくらい妥当なのか、ビデオを観ただけで行動に違いが生まれるのかどうかはやってみないとわからないけど、こういうビデオ教材なら試してみたいと思った(DVDを注文したので成果がでればそのうち報告します)。

体罰も精神主義もいりません。スポーツのコーチや指導者を目指す人、レッスン教材を開発しようとする人は、ぜひとも学んで下さい。

Swinglabo

 ダンロップとエプソンが共同開発したという「スウィング・ラボ(Swing Labo)」を受診(?)してきました。

 テニスラケットのグリップに測定装置(おそらくは加速度とジャイロセンサー?)をつけ、球出しマシンからでてくるボールを打ち、録画したビデオと共に、データを解析して、フォームにマッチしたラケットを選ぶサービスです。

 自前のラケットに加え、「スイング・ドクター」と呼ばれる専門家(コーチ)が、データと録画した動画をみながら試打用ラケットを変えていき、データを比較します。

 集計されるデータは、グリップとヘッドの最大速度、ラケット振り出しの角度を、フラット、スピン、サイドスピンにベクトル分解したものです。ここからスイングタイプが、フラット、スライス、ドライブ、トップスピンに分類されます(角度の連続量をカテゴリカルに分類)。

 ラケット一本につき、練習(キャリブレーション?)5打、本番5打ずつ打ちました。そのたびにラケットをノートPCに近づけ、データを読み込みます(Bluetoothによる通信のようです)。

結果は...

  • グリップ速度が速いわりに、ヘッド速度が遅く、サイドスピン量が多いことから、「ラケットの違いを手をつかって修正し、コートにいれようとしていましたね」と言い当てられました(というか、そういうふうに打つべきだと思っていたところもありました)。
  • ラケットを重めにしていくと(自前ラケットは軽めです)、テイクバックが大きめになり、角度やスイングスピードも安定してくることがデータからわかりました。以前から課題になっている前方へのフォロースルー不足も、重いラケットの方が振れているという結果が示されました。

 ノートPCで、各種データと共に、録画したフォームをスロー再生で見せてくれますが、データを見てからビデオを見ると、それはもう明らかでした。

 一応、お奨めのラケットは提案されましたが(SRIXON NEW REVO X2.0)、スイング・ドクターからは「まずはフォームを修正した方がいいですね」と言われました。ずっと前から同じ指摘をコーチからも受けているので、これはまったくその通りなのです。

 そういう意味では、ラケットの買換えを促すような営業トークもなく、とても正直に、とても親切に教えていただき、感謝しました。

 さて、いくつかの疑問点です。

  • ほとんどアップをせず、すぐに打ち出しても、素人にはなかなか、いつものようには打てません。普段通りに打った方がいいのか、試打用ラケットにあわせて打った方がよかったのか(どちらの方が正確に測定できるのか、そのくらいの違いはカバーできるくらいロバストなのか)最後までよくわからなったです。スイング・ドクターの説明は「どう打ってもわかることはわかる」でしたが、それが正確な評価なのかなぜわかるのかについての説明はありませんでした。
  • 今回は5本のラケットを継時的に試打して比較しましたが、1本あたり5球という試行数は少ないような気がしました(一打ごとのデータも見れるので分散がわかりますが、ラケットの差に比べるとけっこう大きかったです)。練習効果(ふだん機械の球出しを受けていないと、ずいぶん変な感じですね)、リラックス効果(「評価される」ことへの緊張感の減衰)、その他の剰余変数(たとえば自分はラケットエンドをかなり長く持つ方なのですが、それだと測定装置に手がかかりうまく測れないのでラケットを短く持つように教示されました。これに馴れるのにしばらくかかりました)などがあり、これで本当に妥当な分析ができるだけのデータ量が集められているのかどうかはかなり疑問でした。

 全体としては、ラケット診断よりも、フォーム改善のためのフィードバックシステムと用いれば、かなり役に立つのではないかと思われます。できれば、今より更に小型化、軽量化、耐震化し(今は、ボールを打った後にラケットをくるっと回したり、振ったりすると誤作動してしまう)、フォア/バック、ストローク/ボレー、サーブなどを自動判定できるようにして、1-2時間の練習中連続着用して、練習後や休憩中にデータを自分でみてそれをヒントに次の練習に向かうことができれば、かなり効率的な練習が可能になるのはないかと思われます。

 今後に期待します。

Keys_to_win

今年の全仏でその存在に気づいたのだが、時間がなくてアクセスしたことがなかった IBM SlamTrackerを覗いてみた(解説はこちら)。

プレー中の試合をポイント毎に記録し(これは手動のようだ)、すぐに各種指標に反映させて(1st.、2nd.サービスが入った確率、ダブルフォルトの数、1st.、2nd.での得点確率、アンフォーストエラーの数など)、リアルタイムに表示を更新する。

それだけではない。過去8年間のグランドスラムのデータから(「41 million data points」だってさ)、対戦相手に勝つためのキーポイントを3つずつ選び出し(これも多分手動ではないかと推測する)、その達成度がリアルタイムで更新されていく。

たとえば、男子準々決勝のジョコビッチ vs ベルディヒ戦だと、ベルディヒがジョコビッチに勝つには、

  • 4-9球からなるラリーの56%以上でポイントする。
  • アンフォーストエラーによる失点の割合を4-15%に抑える。
  • 相手のセカンドサービスの47%以上で得点する。

となっていた。

試合中は、ジョコビッチの達成度が0/3で、ベルディヒの達成度が2/3のときもあったけど、最終的には3-0でジョコビッチの勝利。となると、まさに今流行の「ビッグデータ」の活用例とはいえ、どこまで予測の精度があるのかは、かなり疑問になる(なんとなく、カーナビの到着予測時刻がどんどん更新されて、最終的には予測と現実がマッチするのに似ているような気もする)。

Momentumというグラフでは、どちらに試合の「流れ」がきているかが折れ線グラフで表示される。その昔、うちのゼミで野球とテニスでそれぞれ卒論を書いたゼミ生がいたテーマなのでとても興味があるのだけれど、Momentumをどのように計算しているのか解説がないのが残念。うちのゼミ生の卒論では単位時間あたりの強化率で集計したのだけれど、「強化」に何を算出するのかがけっこうやっかいだった(たとえば、相手のアンフォーストエラーをこちらの「強化」にカウントすべきかどうかなど)。

Social Sentimentのグラフでは、TwitterやFacebookの書込み数から、観客の「盛上り」を、やはりリアルタイムで計測、表示しているらしいのだけど、これはファンの絶対数とかにも左右されるだろうから、どれだけ意味があることやら。ただ、たとえば伊達とセリーナの試合とかみたいに、もしかしたら試合での得点差ほどSocialが離れてなかったりする事例もでてきて、それはそれなりに面白いかもしれない。

最近アナウンサーや解説者がやたら細かなスタッツを、それも試合中にタイムリーに引用しているのは、きっとこのシステムを活用しているのに違いない。プロ向きだな。

一般のテニスファンとしては、数値よりもプレーを観ていた方がはるかに楽しい。もしかしてテレビ画面の横とか下とかに常時表示される形で(地デジの情報表示みたいに)表示してくれれば、たまには見るかも。PCの画面とテレビを行ったり来たりするほど強化的ではないというのが、とりあえずの結論です。

決勝戦(はNHKでも放映するはず)で試してみたい人はWinmledonのHPから「SCORES&SCHEDULE」の「IBM SLAM TRACKER」を選んで下さい。ただし、生中継時に。

日経新聞のスポーツ欄に「アスリートは強いのか?心のケアはどこに」という記事がシリーズで連載されている。

先日のフィギュア世界選手権におけるキム・ヨナ選手のように、あるいはテニスの試合ではめちゃくちゃ緊張して、時にラケットの持ち方さえ忘れてしまう私のように(併記するのも失礼な話だけども)、スポーツのパフォーマンスに選手の心理が及ぼす影響は計り知れない。

3/30の記事では、アスリートは精神も強靭であるという強い思い込みによる弊害が取り上げられてた。

うつ病やパニック障害や燃え尽き症候群など、心の病にかかったことのある(公表されている)アスリートの実名も示され、我が国におけるアスリート性善説ならぬ“性強説”の蔓延について、4月から法政心理に着任される、荒井弘和先生がコメントされている。

確かに、なんとなくだが、よく運動をしている人は心の病にかかりにくいような気もする。でも、そのようなエビデンスが果たしてあるのかどうかはわからない。

それに「選手」として周囲の期待が大きくなり、マスコミでも取り上げられるようになると、心的負荷はさらに過大になるだろうし、心の病のきっかけを見逃したり、無視しようとしたり、隠そうとしたりして、悪化させてしまうケースもあるだろう。

このあたり、荒井先生が赴任されたらぜひ聞いてみよう。

集中の科学

Innergame

『新インナーゲームー心で勝つ!集中の科学』W.ティモシー ガルウェイ (著) 後藤 新弥 (翻訳) 日刊スポーツ出版社

ハーバード大学テニス部主将という実績を持つ筆者の“インナーゲーム”シリーズ。通常の指導書とは方向性がまったく異なる本である。

練習や試合でいかに“集中”し、身体がそもそも持っているパワーを完全に発揮するための“心の持ち方”の話。残念ながら邦題にあるように「科学」を期待するとずっこける。科学的な研究を元にした理論ではなく、あくまで筆者の思弁的分析だからだ(そもそも原著には「集中の科学」なんてタイトルはついてないし)。

ただし、思弁的分析でも優れた分析はあるという一例だ。

ガルウェイ氏はプレイヤーをセルフ1とセルフ2という2人の人格というか存在に分ける。行動分析学的にラフに言えば、セルフ1は言語行動、セルフ2は非言語行動にあたる。

テニスをしているときに、「あぁ、ここでまた手首を返しちゃった」とか、「相手がここに打ってきたら、あそこに返そう」とか、「ボールをよく見ろよ」など、声に出しても出さなくても、自分のプレーについてぶつぶつ言っている人は多いと思う。このぶつぶつ言う自分がセルフ1だ。

ところがこのセルフ1がでしゃばりすぎるとセルフ2が実力を発揮できない。“集中”するためにはセルフ1を静かにさせて、セルフ2が自由に動けるようにしてあげなさい、というのがガルウェイ氏の教えだ。

試合中、いつもより体が動くときは、自問自答によってではなく、ボールの軌道、スピード、回転、相手の動きなど、いくつかの重要な弁別刺激の刺激制御下に、脚の運び、重心の移動、上半身のひねりなどが入っているときだ(あたりまえだけど)。

“集中”というのは、確かに、いかに直接的随伴性の刺激制御を機能させるか、ということなんだろう。

ガルウェイ氏が考案したとしている「バウンスヒット法」(p.189)に類似したコーチングの有効性は、応用行動分析学の研究でも確認されている。

Ziegler, S. G. (1987). Effects of stimulus cueing on the acquisition of groundstrokes by beginning tennis players. Journal of Applied Behavior Analysis, 20, 405-411.

相手や自分が打つときに「Hit」、ボールがバウンドするときに「Bounce」と言わせる方法だが、言語行動をこれだけに限定させることでその他の余計な言語行動の自発を抑えて、プレーに必要な弁別刺激が有効に機能するようにする方法なのかもしれない。

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衝動買いの一本(もちろん私費)。

イチローは「天才」ではない』を読んでから、スポーツビジョンという概念に興味を持ち、いろいろ調べたり、考えたりしている。

行動分析学ではサッカー選手の注意の視野を広げて反応を早くするようなこんな研究もある。

Ziegler, S. G. (1994). The effects of attentional shift training on the execution of soccer skills: A preliminary investigation. Journal of Applied Behavior Analysis, 27, 545-552.

この『武者視行』というソフトはパソコンで視覚刺激を走査する眼球運動(scanning)を強化しようとしているようだが、やってみると中にはそれよりもテンキーの操作の方がたいへんなトレーニングもある。

「早稲田大学で実験 被験者の80%以上が効果を認めた!」という帯にひかれたのだが、とりあえず今のところそのような報告をした文献が見つからないでいる。

テニスだったらキッズテニス用のこんなボールで、打つときにボールに描いてあるキャラの名前を言わせるなんてトレーニングの方がもっと効果がありそうな気もする。

sponge_ball

阿波踊り本番まで1ヶ月を切った。3年目の今年こそ自分で納得のいく踊りをしたいと、週5日の練習にできるだけ参加している。

諸先輩方の親切な指導にもかかわらず、どうもうまくいかないのは、たとえば、腕の位置や肘の曲がり方。

自分ではアドバイスに従って耳の後ろに腕を上げているつもりなのだが、横に開きすぎていると言われる。

試しに鏡の前で踊ってみると、確かに腕が開いている。

鏡を見ながら−すなわち視覚的なフィードバックをリアルタイムで受けながら踊れば、腕の位置や肘の曲がり方をある程度は調整できるのに、体性感覚のみだとうまくいかないということだ。

野球とソフトボールがオリンピック競技からはずされた(Yahoo!ニュース)。

我々、日本人にとっては「え?」と思うほど不思議な話だが、J. S. Minami(2005, 私信)によれば、ヨーロッパでは野球を知らない人がほとんどで、水球の方がよっぽどポピュラーらしい。

自分たちの常識が世界の常識とは限らないことが世の中にはあるということを、全国的に学ぶチャンスだと思う。

データなしでは語れないので、調べてみた。

元バレーボール少女の大西さんがアタックNo1.の猪熊コーチについて、こんな分析をしている。

懐かしアニメ「アタックNo.1」@徒然なる随伴性日記猪熊コーチのレシーブ練習だと,1対1でコーチが選手に向かって次々にボールを投げつけ,そのボールをレシーブします。2球連続でミスすると顔面にボールが飛んできます。顔面にボールは嫌子です。顔面にボールを阻止するためには,ミスをせず,取れそうにない難しいボールにも飛びついてレシーブしないといけません。こういう練習を続けていると結果レシーブの技術が向上するというわけです。

大西さんが分析しているように、これは嫌子出現阻止による強化を使った指導と言えるだろう。間違ったフォームで打てば、顔面にボールが飛んでくるなら、嫌子出現による弱化によるシェイピングと言えなくもない。

野球の1000本ノックなら、あと100本、あと34本、あと5本、あと1本....と、ノックが終りに近づくことが、ボールをキャッチする行動を嫌子消失の強化によって、強化しているだろう。

“しごき”といわれるコーチングは、このように嫌子を使って望ましい行動を強化し、望ましくない行動を弱化するわけだが、スポーツ行動分析学の研究からわかるように、これは好子を使ったコーチングに比べて効果がないはずである。

ところが、全国津々浦々、いまだに数多くの部活やクラブで、“しごき”的な練習も行なわれているらしい。

それにはそれなりの理由があるはずだ。

img_karada

NHK教育で平日の朝に放映中の「からだであそぼ」に注目している。

松岡修造が子ども(たいきくん)にテニスを教えているコーナーをたまたま観て、こりゃ面白いと録画したら、他にも歌舞伎やサムライの動き(ナンバ)や、からだほぐしなど、コーディネーショントレーニング的な「動き」や「遊び」が満載。

テニスのコーナーは「たのもう」というコーナーで期間限定のようだが、脚の動きでボールを打つとか、呼吸法によって体(腰)を回転させるとか、バラエティーでみせる熱血のみのキャラとはうってかわって、松岡修造のかなり賢いコーチングが興味深い。というか役に立ちそうです。

テニスのサーブ練習では、コースを狙う練習をするために、打ちっ放し時にサービスエリアの隅にコーンを立てたり、ボールを積み重ねることがある。

確かに狙いやすくなる気もするし(なんでだろ?)、的に当たったら明確なより強力な強化になるかもしれない(的がなくて、なんとなくその付近に打てたときに比べて)。

でも、もちろん試合では的はないわけだから、この手がかりは、できれば徐々に減らしていけたらいいはず(フェイドアウト)。大きなコーンから中くらいなコーンへ、小さなコーンからマットみたいな2次元の的へと。

それからリターンする相手をコートに入れて、かつ、的を使う練習も有効かもしれない。たいていはリターンする人をいれると的をはずしちゃうけど、コースを狙う行動の般化を促進することを考えたら、練習と本番の状況は近い方がいいわけだから。

「サーブを打つときは肘を高くあげて」「ラケットは下から上へ振りましょう」(テニス)、「谷足に重心をかけて」「膝を曲げて」(スノボー)と、スポーツの指導においては、言語による教示が中心的な役割を果たす。

ところが、指導者が期待している動作がこれらの教示によって確実に引き起こされるとは限らない。

自分では肘を上げているつもりでも十分に上がっていなかったり、膝を曲げて欲しいのに腰が曲がっていたりと、言語と動作はなかなか一致しないからだ。

となれば、一つには、期待する動作をできるだけ確実に引き起こすには、どんな言語教示を使えばいいのか(逆にどんな教示はどんな間違った行動を引き起こしやすいのか)、という実践的な研究の方向が見えてくる。

もう一つは言語による教示で望ましい動作が引き出せないときの、矯正的な課題である。

健康スポーツのスノボーの授業では、上半身(特に腕)の回転で板を無理やりに回転させてしまっている私の動作を矯正するために(言語教示だけでは不十分だったため ^^;;)、大森コーチが、両手を後ろ手に組んで滑る課題を与えてくれた。上半身の回転が使えないので体重の移動だけでターンしなくてはならない。おかげでかなり矯正が進んだ。

望ましい動作を引き出すための言語教示と矯正課題。教えるのが上手な指導者はこの2つを豊富に持ち合わせているのだと思う。

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『スマッシュ』(2005年2月号, p.21)に昔懐かしいビヨン・ボルグ選手の逸話が掲載されていた。

B・ボルグは幼少時代に(サーブのトスを上げたときに)手の甲を見るようにと、テーピングを手につけていました。その名残でプロになってもテーピングを手に巻いていたのです。

応用行動分析学の初学者向けの研修や教科書などでは「プロンプトを使ったら、最後はフェイドアウトすること」みたいなルールを見かけることがある。でも、フェイドアウトしようとしてもできなければしなくてもいいこともある。ボルグのテーピングはそのいい例だ。

見かけは悪いけど、ウィンブルドン五連覇をはじめ数々のタイトルを獲得し、歴史に残るプレイヤーになったのだから。

snowbord2005

過去数年間、保健体育講座が開設している健康スポーツという授業にはスケジュールが許す限り、「特別ゲスト」として、できるだけ参加してきた。

そうでもしないと忙しさにかまけて雪山にでかけないってこともあるが、ふだん交流のない学部生と話をして、昨今の学生気質を探ったり、スキーやスノーボードの講習プログラムを拝見して、インストラクショナルデザインの観点から考察したりと、他にもいろいろなメリットがある。

今回はボード講習に同席させてもらったのだが、いくつかの面白い発見があった。そのうちの一つが「パニック」である。集団ヒストリーとか発作まではいかない、言うなれば「戸惑い」程度ながら、それが起こると適切な行動が自発されなくなる状態だ。

たとえば、ボードの初心者にありがちなのが、進みたい方向とボードが逆に向いていることに気づかずに、一生懸命逆側に体重をかけ、それでもボードが反対側に流れていくので「パニック」になり、バランスを失って転んでしまうことだ。

対処法は一度完全停止して(座ってでも)ボードの向きを修正してから再開するか、それともボードの向いている方向に一度進んでからターンすること。

ところが「パニック」になると、こうした行動が出現せず、うまくいかない行動(逆側に体重をかけ続ける)ばかりが出現する。行動分析学的に言えば、消去によるバーストと呼ばれる現象であるが、学生たちを観察していると、単に不適切な行動が増加するだけではなく、体中の筋肉が過緊張し、(おそらく心拍数・血圧も上がり)、認知的にも「え〜? どうして〜? なんで前に進まないの?」と、頭の中は?マークだらけになっているようだ。

最終的には転んでしまって、次に立ったときに、たまたまボードの位置が進みたい方向と一致していれば、今度は問題なく滑り出せる。たまたま再度逆方向になれば、再びパニックとなる。

おそらく、こういうパニックが起こったことをまずは自分で認識して、対処策を考えられるように練習することが大切なのだろう。つまり、こういうことである。

A:先行条件 B:行 動 C:結 果
動転している自分 「パニックだ」とタクトする 一度座ってみる(−)
転ばなくてすむ(↑)
どうすればよいかわかる(↑)

kyudo-2

スポーツアトム研究会の特別体験企画第1弾は「弓道を体験しよう会」。

元学生チャンピオンの江本さんによれば「初心者がはじめて弓をいって的に当てることなどあり得ない」とのこと。

自他共に認める負けず嫌いっ子は、この言葉にムキになって張り切ったが、これがなかなか難しい。

上田先生が指摘しているように

弓道体験(動きを)止めるのではなく、常に動いているなかで、その動きをうまくコントロールすることが重要になってくる

なにしろ、銃のスコープのような標的を狙うための道具がない。顔(視線)と弓は平行で、弓の後ろからではなく横というか、前の方で狙いを定めなくてはならない。そして、ブルーワーカーのように引っ張った弓は微妙に動いて止まらない。

ただし「矢が飛ばない」ってことは自分に限ってはなく、3射とも的の上方をはるかに超えて、後部のブロックに激突した。

江本さんは一撃で命中。カッコよすぎ。

自分の身体のさまざまな箇所の位置関係、動きなどを、射った弓がどの方向にどのくらいずれていたかによって修正していく能力が大きく関わっていそうだ。

比較的近いのはゴルフかもしれないなぁ....

参加者は江本さん以外はほとんど初心者だったが、皆、この新しい体験を楽しみ、興奮していた。日常的にはない動作をすること、少しずつでも上達すること、何人かが同じ課題に同時に取り組むことで競争的・協同的な要因が入ってくることなどで「楽しさ」が生まれるようだ。このへんに「遊び」の本質があるのかな。

kyudo

アトムの研究会で、剣道では左利きの人も右利きの人と同じように竹刀を持たなくてはならないということを聞いた。初耳であった。どうやら弓道でもそうらしい。

テニスで同じことを言い始めたらすぐにパニックになるはず。さすが「道」だね、なんて笑っていたけど、よくよく考えると、戦国の時代から日本刀には右利き用のものしかなかっただろうし、どうやら拳銃も昔は右利き用のものしかなかったようだ(米国の軍隊では長い間ルールとして右利きの銃の使用しか許可されていなかったというし、日本の警察では今でも右打ちで練習させられているという情報もある[事実かどうかは未確認])。

自然界にも右利き・左利きが存在するけど、その比率は人間以外の動物ではほぼ半々らしい。

まさか武器の物理的構造によって左利きの遺伝子が淘汰されたってことはないだろけど(系統発生的消去)、昔は右利きに「矯正」される左利きの人も多かったようなので、左手を使う行動が文化的・社会的に弱化されたり、消去されたりってことはあるのだろう(個体発生的分化強化と弱化)。

ちなみにプロテニスの世界では一時期レフティが全盛で、左利き有利説もあったけど、ここ数年は左利きで活躍する選手が減っているらしい(それでも自分はレフティの打つスライスサーブが大の苦手です)。

スポーツのアトムの中で「敏捷性」というか、いわゆる「反応の早さ」を測定するための課題を考案中。

「コーンタッチ」は左右に置いたコーンにタッチする課題。

左右の指示を音声でランダムに出したいので、まず「ひだり」「みぎ」の音声をDTalkerで作成し、RealBasicでプログラムを自作した。

ところが体育館で鳴らすにはPowerBookのスピーカーはあまりに非力。南先生の真赤なラジカセも壊れてしまったので、なんとかオーディオCDに落とせないかとネット検索していたら便利なソフトが見つかった。

WIRETAPはMacで再生している音声を横取りして、QuickTime形式で書き出すフリーウエア。こんな感じに出来上がりました(WIRETAPで保存したaiff形式ファイルをQuickTimeProでMPEG4オーディオで書き出したもの)。

便利だねぇ。

大リーグのボンズにドーピング疑惑が生じている。もし疑惑が事実だと証明された場合には、ボンズの年間最多本塁打記録(73本)の価値に疑問が生じるという記事もあった。

von Dionysos bis Physis, und....DOPINGを禁止する理由として、 ・選手の健康を考えた医学的理由 ・競技の平等性を保持するという理由 ・社会悪の流布の可能性があるという理由 が挙げられている(「スポーツ倫理を問う」、友添ら、大修館書店、2000)が、そのどれもが説得性という意味では希薄である。むしろ ・DOPINGした結果、巨万の富と名声をほしいままにしてしまうということに対するenvy! が禁止の一番大きな理由ではないだろうか。

ドーピングにはもちろん反対だが、薬によって限界に挑みたい人がいるなら、それはその人の自由だとも思う。
ただし、薬の力で勝ったなら、薬の力で勝ったと、堂々と宣言すべきだ(隠しちゃいけない)。

陸上で「追風参考記録」みたいのがあるように、「ドーピング参考記録」みたいのを認めてしまって、ただし、多くの人はそれに価値を見いださないことを認識してもらうしかないのではないだろか?

日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥勇太がナイキジャパンのCMに起用されている。

「何万回もパスをし、何万回もドリブルして、何万回も相手をフェイクし、何万回も速攻をだし、何万本もシュートを打って、何十足もバッシュを履きつぶし、僕はアメリカのコートに立った」という彼のメッセージはとても印象的だ。

天才のように見えるプレイの裏には単純な練習の積み重ねがある。

アトムにつながるヒントかも。

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手と脚の協応の課題を模索中。

コーディネーションの教科書に載っている「靴踊り」とか「操り人形」はわりと簡単にできるので、エアロビクスの得意な大西さんに、ちょっと難しめの動きを考えてもらった。

腕は「ライダー、変身」の要領で、右、上、左へと回す。同時に、脚はぐー(閉脚)、ちょき(前後に開脚)、ぱー(左右に開脚)に開閉する。この3拍子を繰り返す。動画はこちらから。

自分の場合、マスターするのに十数回練習が必要だった(竹田さんはまだ練習中)。

こうした課題をさらっとかわす人となかなかできない人との違いは何なのか。手だけ、脚だけならできるのだから、ポイントは「協応(コーディネーション)」ということになる。

手と脚の協応というオペラントとしての反応クラスがあるのだろうか? それとも、何らかの先天的な要因あるいは低年齢児の経験(発達的な要因)が決め手になるのだろうか?  トレーニングを上手にデザインすれば成人も学習可能な力なのだろうか?

多くの人は子どもの頃にした運動の質と量によって決まる、不可逆的な能力だと考えているようだが.....

これからいろいろ調べてみようと思う。

eyetoy.jpg

「アトムを探せ」プロジェクトでコーディネーションの測定に使えないかと、EyeToyプレイを買ってみた。TVコマーシャルで小錦が宣伝しているPS2用のゲームである。
夕べ、飲み会から帰ってきてからチャレンジ。酔いのせいか、コーディネーションが悪いのか、うまくいかず、でも楽しめた。
「ブギーダンス」は使えるかも。

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中国雑技団の入団テスト.... ではありません。

アトムを探すプロジェクトで、主にコーディネーションに関連した運動テストをいくつか考案してテストしています。

これは、手のひらにバドミントンのラケットをた立てて、ラインの上を行ったり来たりする課題。1分間で何回できるか測ります。

他にも「カマボコ板投げ」や「けんけんぱリズム」など、少なくとも従来学校でやってる「運動テスト」より、楽しい課題を揃えてはいるんですが....

運動のアトムって、もしかしたら最初に漠然と考えていたより、ずっと多いかもしれません。  測りきれるかな。

動画はこちらから。

hitme.jpg

女子バレー部の4人の選手を対象に検討してきた「アトムを探せ!」プロジェクト。

第一段階の結果はいまいちはっきりしないものとなった。

今回は、まず標的とするパフォーマンスを決め(アタック/サーブ)、その下位行動をアトムとして探していったわけだけど、
(1)あたりをつけた運動(下位行動::アトム候補)の熟達性を上げるのに時間がかかる(2〜3週間)。
(2)パフォーマンスに影響を与える下位行動は(あたりまえだけど)ひとつではなく、また、どれが強いか/弱いかに個人差がある。
(3)パフォーマンスが低い理由も個人個人で異なる。下位行動の熟達度が低いというより、フォームに改善の余地(これも下位行動に分解できるのかもしれないけど)がある選手もいる。
(4)フォームに改善の余地がある場合には、下位行動の熟達度を上げるより、正しいフォームを分化強化するような指導法の方が有効そうである(例:ビデオフィードバック/サーブの打距離のシェイピングなど)。

のような問題があった。

アトムを探しながらコーチング技法も開発してしまおうとした、二兎を追う欲張りさが禍したかも。

アトムを探すなら、まずはそれだけに集中して、複数のパフォーマンスに関する測度と、複数のアトムに関する測度を、もっとたくさんの選手で測定して相関分析を行い、先に全体的なアタリをつけてしまってから、パフォーマンスに高い相関を持つアトムを練習するような順番がいいかもしれない。

と、本日のミーティングで提案する予定。

先日、スポーツアトム研究会で、学校における体育の授業の目的は何か?という議論になった。

ちなみに小学校学習指導要領の総則にはこんなことが書いてある。

学校における体育・健康に関する指導は,学校の教育活動全体を通じて適切に行うものとする。特に,体力の向上及び心身の健康の保持増進に関する指導については,体育科の時間はもとより,特別活動などにおいてもそれぞれの特質に応じて適切に行うよう努めることとする。また,それらの指導を通して,家庭や地域社会との連携を図りながら,日常生活において適切な体育・健康に関する活動の実践を促し,生涯を通じて健康・安全で活力ある生活を送るための基礎が培われるよう配慮しなければならない。

ちょっとピンとこない。

自分の意見は、ズバリ、「体育」をやめて「遊び」にしましょう! 

他の子どもと一緒にいろんな遊びができない子どもが増えているという(テレビゲームはできたとしても)。子どもの頃の遊びは、ソーシャルスキルを学習する基礎になっている。遊びの技能が不十分なら、社会的技能も不完全になってしまう。

型にとらわれない自由な発想や思考も「遊び」という状況では引き出しやすい。もちろんルールを守るということも教えられるけど、ルールを破ることもありというのが遊びの面白さでもある(他の教科ではなかなかないでしょ。そういうの)。

それに日本人は働きすぎと言われるようになって久しい。中高年の自殺が急増しているけど、ストレスの解消には、余暇のレパートリーが豊富にあることが望ましい(酒・女・パチンコ以外に)。

つまり、日本人がもっともっと遊び上手になれば、社会は楽しく、健康になって、しかも経済的にも潤う(福祉の負担が減り、経済が活性化する)。

体育のかわりに、ぜひ遊びを教えましょう!

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保健体育講座の南先生・上田先生との共同研究がスタート。

テーマはあらゆるスポーツに共通のアトムを探せ!

『Contingency Adduction』 という概念がある。

ケラーという心理学者が行ったチンパンジーの洞察の実験は有名だが、ハトにも同じことができることを示したエプシュタインという行動分析家の研究はあまり知られていない。

エプシュタインのハトは天井からぶら下がっているバナナの模型を見て、実験箱の隅にあった足場となる箱を移動し、その上に登った。まるで、ケラーのチンパンジーがバナナを取るのに棒と足場を組み合わせて使ったように。

エプシュタインが教えたのは、バナバをつつくこと、箱をつついて動かすこと、箱の上に登ることの3つだ。これを別々に教えてから、そのままでは届かない位置にバナナの模型がぶら下げてある実験室にハトを入れた。するとハトは、しばらく考えこむような素振りを見せた後、まるで『洞察』したように、これまで一度もしたことがない3つの動作の連係によって、見事にバナナをつついたのである。

Contingency Adduction とはこのように、部品となる行動を教えれば、それらを組み合わせた複雑な行動は直接教えなくてもできるようになる!というアイディアなのだ。

同じような考え方は、Precision Teaching の人たちの間では、たとえば「Big6」として実践されていた。これは知的障害児などに、箱詰めや組み立てなどの作業を教えるのに、その作業そのものを教えるのはなく、「手を伸ばす」、「指さす」、「触る」、「つかむ」、「置く」、「離す」の6つの基本スキルの練習をさせ、熟達度を上げることで、作業ができるようになるというものである。

体育学でも、こうした基本動作を「メルクマール」と呼び、どんなメルクマールがあるのかを探求しているようだ。

行動分析学の課題分析や測定のテクノロジーと体育学や運動生理学・バイオメカニズムの専門性を組み合わせることで、かなり面白い研究ができると思う。

乞うご期待。

クライミング

附属養護学校の研究発表会と反省会の隙間をぬって、分科会で助言をお願いした吉備国際大学の奥田先生と、司会をお願いした国府養護学校の團先生をスポーツクライミング体験コース(?)にご招待した。

お二人ともけっこう楽しんだご様子。「高いところに登る」っていうのは、もしかしたら生得性好子なのかもしれない。高いところに登ると純粋に楽しいという感覚は、誰でも子どもの頃に経験しているんじゃなかろうか。もちろんスポーツクライミングには、より難しいルートが登れるとか、仲間との勝負に勝つなどの社会性好子も含まれているけど。

とりあえず記念写真。

けっこう身軽な奥田先生。

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はまりそうな奥田先生。

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これは私。

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落下中の團先生。

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