小樽J-ABAを振り返る:「科学哲学からみた統計解析法--シングルケースデザインを中心に--」(長いよ)

 8月末に小樽で開催された日本行動分析学会の年次大会で個人的にふっきれていないのがこの教育講座でした。もろこし食べて,フロスして,歯も磨いたのに,どこかにまだ挟まっているような感じ(比喩下手くそ)。

 未消化なところについてタラたらと書いてみます。論点を整理するという意図はないです。Twitterだと長くなりすぎるのでブログにしますが,思考の浅さはつぶやきレベルで,推敲もしません。

 まずは題目。「統計解析法」となっていましたが,少なくとも講演の内容は統計についてではなく,実験計画法の話だったと思います。無作為化比較試験(RCT)もシングルケースデザイン法(SCD)も,どちらも実験計画法です。実験計画法とは,これは講演でも時間をとって解説されていたことですが,独立変数が従属変数に及ぼす影響を,その他の変数からいかに分離するかという手順です。どちらかといえば,論理(ロジック)に基づいた操作が主体になる話で,フロアから石井先生がコメントされていた「内的妥当性」を確保するために,実験をする前に計画するものです。講師の先生は「無作為化」を強調していましたが,他にもカウンターバランスしたり,マッチングしたり(「層化」というキーワードは講演にもでてきていました),恒常化したりと,色々な手段があります。

 統計解析は実験でデータが得られた後にすることです。最近の心理学ではモデリングすることが流行っているので,実験変数だけではなく媒介変数や潜在変数,もしかしたら交絡変数(剰余変数)までもモデルに組み込んで,従属変数に及ぼす影響の大きさを推定してしまったりもするので,「post hocな解析では内的妥当性は検証できない」と強く主張することはもはやできない(というか,主張する必要がない)のかもしれませんが,少なくとも講演の内容はそういう話ではなかったように思います。

 講演で詳しく解説されていたのが疑似相関でした。ただ,例にあげられていた「○○療法」の効果検証では,RCTを使っても潜在変数(共変数)の影響は排除できないと思います。潜在変数を明らかにするのは,実験計画法でもなければ,統計解析でもありません(たぶん)。おそらく最も肝心なのは,実験で対象とする変数の記述単位とその解釈です。心理学の場合,行動をどのように切り取り,測定するか,そうした測度に影響を与える可能性がある変数をどのように切り取り,測定するかです。ここの精度(完成度?)が高ければ,剰余変数をあらかじめ推定し,上述のようにその影響を排除するための実験計画を立てることができますし,実際,実験計画というのはそのように立てるものです。もちろん,それでも見落としはあるわけで,科学の言語共同体は実験者が見落としたかもしれない剰余変数を他のメンバーがみつけて,次の実験を可能にするように機能しているわけです。

 講演後半の「統計的因果推論」については不勉強で存じ上げないのですが,お話からすると,まさに科学の言語共同体がやっている作業を明文化しているように感じました。心理学のカリキュラムでいうと,実験計画法の授業で取り扱う内容のような印象を受けましたが,もしかすると完全に誤解しているのかもしれません。iPhoneのメモアプリには「統計的因果推論  因果ダイアグラムやベイジアンネットワーク」 とあるのですが,記憶にございません(困)。論文集を読み返してみると,ベイジアンネットワークの考えを用いた因果推論とありますが,そういう話ありましたっけ??(内容が濃くて頭ぶんぶん回しながら拝聴していたので,空白時間があったのかもしれません)。

 ここからは私見です。

 RCTとSCDでは同じ実験計画法でも目的が異なると思います。SCDは行動の制御変数を同定するのに役立ちます。RCTは制御変数の効果の大きさや一般性を評価するのに役立ちます。まったく新しい臨床的,実践的課題にRCTで取り組むのは効率も悪いし, 倫理的な問題もあると思います。効果があるかどうかもわからない段階で大勢のクライアントに協力を求めることになるからです。だから,この二つの方法はむしろ補完的に使うべきです。何が効果があるかわからない問題についてはSCDを使って介入方法を開発し,ある程度エビデンスが集積し,そしてその一般性や平均的な効果量を求めることに価値がある場合(たとえば,医療保険の対象とするかどうかの判断など)にはRCTを使うべきだと思います。

 弊著『WM :応用行動分析学』では,応用行動分析学の記念碑的論文である"Some current dimensions of applied behavior analysis"も解説しています。この論文では応用行動分析学の研究を定義する7つの条件を記述しているわけですが,個人的にはやはり「系統的であること」は欠かせないところだと思います。介入に効果があることを示すだけではなく,なぜ効果があったと考えられるのかを行動の諸法則を用いて解釈する(記述する)という条件です。なぜこれが欠かせないかと言うと,これこそが上述の変数の「切り口」であり,長年の研究の積み重ねによって十分に検証された,他の心理学にはない高い精度を持つ,もはや「理論」だからです。
 先日,『B.F.スキナー重要論文集I 心理主義を超えて』が刊行され,この巻には"Are Theories of Learning Necessary?"も掲載されていると聞いています(まだ読んでませんが)。スキナーがこの論文を書いてからすでに70年近くが経過していて(この論文は1950年に出版),行動分析学が記述してきた行動の諸法則は,スキナーが反対していた不十分な理論ではなく,すでに「理論」と呼んでいい(というか呼ぶべき)段階にあると思います。逆にいえば,行動の科学としてさらに発展していくためには,あらゆる行動の制御変数をこの理論を使って記述していくということを,さらに進めていくべきだと思います。
 んでもって,そう考えてみると,理論的な分析がない発表や,理論は不要(行動が変わればそれでいい)というう意見には確かにむねがざわつきます。
 ただ,こうした議論(介入の効果 vs. その解釈)は70年代末から80年代冒頭にわたって,応用行動分析学の研究が急激に増えたときにも議論になっていて,関連する論文がたくさん発表されました。Michael (1979) の"Flight from behavior analysis"とそれに対する Baer (1980)の"A flight of behavior analysis" など。同様の懸念はBCBAができて,実践家が爆破的に増えたときにも表明されました。結論がでる性質の問題ではないので,結局は状況を静観するしかなく,それでいいのだとも思います。業界全体としてはどっち側の人もいて,双方が遠慮なく意見を言い合うのが健全だと思うから。それが科学の言語共同体の在り方だと思うからです。

 あ,教授会,終了です。お疲れさまでした。

アーカイブ

法政心理ネット