2014年7月アーカイブ

 うちのはると私もたいへんお世話になった山本央子先生の「家庭犬トレーニング研修」が奥田先生主宰の行動コーチングアカデミーで開催されます。

日時:2014年9月1〜3日
会場:行動コーチングアカデミー(長野県西軽井沢)

 近隣の家庭犬をお借りしてハンドリングを学ぶ、実践的な研修です。今年は見学のみの参加者も受け付けているそうです。

 山本先生に教えていただいたことは多岐にわたりますが、とにかく通常のしつけ教室と違うのは、家庭で犬と飼い主が幸せに暮らせる環境を包括的に整えるという視点です。

 それは犬の選び方から始まり、家(部屋)の中のセッティングや馴化、環境適応、日常的な対応(正確にはできる限り何もしないこと)や問題行動を未然に防ぐための準備(例:咥えたものを離す練習とか)などです。お座りとか伏せなどを教えるのはそのごく一部でしかありません(というか、お座りとか伏せなら山本先生に教わることもないですね)。

 はるとの幸せ満杯の生活も、山本先生のおかげです。

 山本先生のような方が増えれば、私とはるのような人と犬も増えることでしょう。

 興味のある方は、こちらから

追加情報:

 とある研究の先行研究をレビューしているときに、下記の論文を見つけました。地雷を発見するネズミの訓練をするNGOのスタッフトレーニングの研究です。ペットや動物園・水族館で飼育されている動物行動のマネジメントについては、たとえば Applied Animal Behaviour Science という学術雑誌にはそうした研究報告がよく掲載されていますが、先端的な飼育法やトレーニング法を人に教え、マネジメントする方法の研究も今後進んでいきそうですね。

Durgin, A., Mahoney, A., Cox, C., Weetjens, B. J., & Poling, A. (2014). Using task clarification and feedback training to improve staff performance in an East African nongovernmental organization. Journal of Organizational Behavior Management, 34, 122-143.

この記事で嫌子や弱化の確立操作の考察が不十分であると書きましたが、ではどのような例が考えられるでしょう。
 たとえば、蚊に刺されるとかゆみという嫌子が出現し、赤く腫れたところを掻くという行動が嫌子消失によって強化されます。食べ物の遮断化が食べ物を一時的に好子化する過程とは、蚊にさされないとそもそもかゆみが生じないという点で少し異なりますが、かゆみがない限りそもそも掻く必要がないというところは同じです(お腹が減ってなければ食べる必要はない)。
 日本経済新聞の記事よると(「(ナゾ謎かがく)かゆいとなぜかくのか? 刺激和らげる物質分泌」、2014/6/8 朝刊)、つい最近、かゆいところを掻いたり、冷やしたりすることで、かゆみ刺激が中枢に伝わるのをブロックする仕組みが解明されたそうです(図へのリンクをはっておきます)。虫さされの薬がつけるとひんやりするように作ってあるのは、薬をつけてからかゆみが消えるまでの強化遅延をつなぐ役割なのかと思っていましたが、実効もあるみたいですね。

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 随伴性ダイアグラムで描くと、こうなります。行動随伴性が、文字通り、皮膚の中(within one's skin)のメカニズムとして解明された例ですね。

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 掻く行動に関する上の例は嫌子消失による「強化」の例ですが、嫌子出現による「弱化」における確立操作の例は、この時期なら"日焼け"です。海水浴で急に日焼けして、体中、まっかっかになった状態で風呂に入り、シャワーを勢いよくあてるとめちゃくちゃ痛いという体験は誰でもしたことがあると思います。
 日焼けにより、一時的に、シャワーが皮膚にあたる刺激が嫌子化していると考えれば、日焼けが確立操作であると記述できます。勢いのあるシャワーを直接あてる行動は弱化されるし、そうする行動の自発頻度は下がります(次の年の初回は自発的回復的に戻ってきたりもしますね)。
 昔懐かしキンカンやムヒのように薬品を塗るという代替行動が強化され、商品が売れるわけですから、日焼けしてしまったときに塗ると、お風呂に入ったときの痛みが和らぐ薬が開発されれば売れそうですね。
 アルコール依存症の治療には、それを服用しているときにお酒を飲むと、頭痛や吐き気がする「抗酒剤」という薬が使われることがあります。この薬の服用も頭痛や吐き気といった嫌子に対する確立操作と考えていいと思います。最近、日本でもお酒を飲みたいという欲求を抑える薬が認可され、発売されたそうです。こちらは同じアルコール依存症の治療に使われるといっても、お酒の好子としての価値を低める確立操作ということになります。
 「反転授業」というのがちょっとしたブームになっている(たとえばこの記事)。大雑把にいうと、授業の前に予習をさせ、授業中は予習してきた内容について、講義ではなく様々な演習や実習をする指導法だ。講義をビデオに撮り、ネットで閲覧できるようにして予習させる方法がよく使われるらしい。
 講義よりも演習や実習を優先させ、そのために予習を促進する工夫をするというのは実は新しいアイディアではない。むしろ、インストラクショナルデザインの考え方からすれば常識的な考え方であり、こういう取り組みが広まることはいいことだと思う。
 一方向的な講義というのは学び手から学習内容に関する行動を引き出さない。引き出せたとしても(例:教師が発問するなど)、強化もできないか(タイミングの問題や学び手の正誤反応がわからないことや、学び手にあわせて正答率を高めるプロンプトをだせないことなど)、貧弱になりがちだ。
 話を聞いて何かを学ぶための下位行動レパートリー(重要な点だけノートをとる、考えながらノートをとる、アイディアをメモする、文字だけではなくも文字情報間の関係性を図で描くなど)の取得程度には個人差が大きい。ちょっと注意がそれて大切なことを聞き逃しても、たいていはそのままになってしまう。
 集団講義形式というのは、言ってみれば8インチフロッピーディスクのような古代テクノロジーであり、黒板と共にそろそろなくなってもいい方法だと私は思う。
 だからといって、ネットでビデオというのもずいぶん安直だとも思う。わかりやすい教科書とその授業で対象とする範囲指定、学ぶべき点(学習目標)の明示さえすればいいわけで、何もビデオである必要はない。一般的に、話し言葉で伝えられる量は、書き言葉で伝えられる量よりも少ないし、教科書であればわからないところは何回も繰り返し読み返せるし、それでもわからない場合には資料を補足することも容易である。予習を自習させる限り、できるだけ学び手がとりうる行動の選択肢を広げておいた方がいい。ビデオという時間軸が固定され、提示速度も一定のメディアは、学び手にとってとりうる行動の選択肢が狭い(講義と違うのは巻き戻しができるということだけである)。
 また、むしろ重要なのは、予習行動を確実に自発させるための条件である。反転授業の先駆者であるアーロン・サムズ氏は、上記の記事によれば、予習してこなかった学生には授業中に教室でビデオを見させるそうだ。でも、それではそもそも演習や実習を重視するという話と矛盾してしまう(ただし、サムズ氏によればそうこうしているうちに学生は予習してくるようになるそうだ)。
 自分の場合、予習に課した学習目標について授業開始時に小テストをしたり(小テストの成績は授業の成績にカウントされる)、webクイズを予習にしたり(履歴が残るのでそれを成績にカウントする)など、色々な工夫をしてきたが、受講生の80%くらいはそれで予習をしてくる(ただし、この数値は授業や年度によって±10%くらいで変動する)。
 いずれにしてもビデオをネットで閲覧可能にするだけでは不十分だし、逆にビデオを使わなくても予習は促進できるということである。
 上記の記事では「まず、オンライン学習コンテンツにアクセスするためのデバイスとインターネットアクセスをすべての学習者に確保する必要がある」「(日本では家庭でインターネットを使用した学習環境が未整備で)特に初等中等教育においては大きな課題になるだろう」というコメントが引用されているが、これは本質を見誤ったコメントである。せっかくブームになっているなら、そこ(ネットやビデオ)に注目して、もっと重要な点を見逃してはいけない。
 重要なのは、集団講義形式が捨て去るべき古代テクノロジーであり、教え手が学び手に直接関われる授業では、学び手が学ぶべき行動を引き出し、強化することに時間を割くべきであり、そのための予習行動を促進する様々な工夫を学び手は授業環境にあわせてしていくということなのだから。
 どんなに効果的な教授法も、普及の過程で本質を見誤ると、玉石混淆となり、結局は衰退していく。プログラム学習しかり、ケラー先生のPSIしかりである。
 「反転授業」がそういう顛末を辿らないことを願う。
Keller, F. S. (1968). 'Good-bye, teacher . . .'. Journal of Applied Behavior Analysis, 1(1), 79-89. doi:10.1901/jaba.1968.1-79

 この動画を紹介したこの記事を読みました。脳科学と無関係じゃんというところはさておき、ファミコンのカセットに息を吹きかける行動(“ニンテンドー・ブロウ”というらしい)が、ほんとに因果の誤謬なのかという話。

 カセットと本体との接点が悪くなるのは錆とか埃が原因だと思います。錆の場合、息を吹いてもとれないでしょうが(だから、自分はCRCとか使ってました)、埃ならとれるかもしれないし、何より、カセットを出したり入れたりすることで接点が研磨されて通電するという随伴性があるのではないでしょうか。

 つまり、部分的あるいは確率的な因果はあるのではないかと。偶発的強化による迷信行動というよりは、モデリングや伝聞されたルール支配がきっかけでVRで強化されている行動のように見えます。完全に迷信行動なら、反応形が人によってもっと多様になるのではないでしょうか(カセットを振るとか、机の上でトントンするとか)。

 また、人によってはルールを記述することなく、ほぼ“無意識的に”吹いているかもしれません。その場合には、“因果の推論”さえないのだから“因果の誤謬”とも言えないと思います。あるいは“因果の推論”なしにも、“因果の誤謬”に見える現象は生じるということでしょうか。

 ちなみに上の動画でもこの記事にある画像からもわかるように、NESという略称して親しまれていた米国で販売されていた“ファミコン”は日本のファミコンとは全く異なる外装で売られていたようですね。

 以前、どしゃぶりに振られてiPhone 4s が故障しました(何年か前の行動分析学会@高知で)。Apple公認のショップに持ち込んだら、内部に水が入り込んでいるので保証の対象外だと言われました。濡れるとピンクに変色する特殊な紙が入っていて、それで水没の有無がわかるそうです。自分の場合、水没ではなく豪雨にやられたわけですが、いずれも免責事項だそうです。
 このピンクシート、なんだかAppleらしくないと思います。水分が侵入することがわかっていて、それで故障することが多いこともわかっていて、それを保証の対象外とする証拠のためだけに仕組まれたテクノロジー。
 サードパーティーの防水ケースは野暮ったいし、せっかくのデザインが安っぽく見えて台無しだから避けたいし、最近では特殊な方法でナノレベルの皮膜をはって防水化するサービスもあるそうですが、一年くらいしか持たないそうなので、まだ試していません。
 Appleには、ぜひ正面きってこの問題に取り組み、完全防水はいらないから、せめて生活防水くらいは実現して欲しいです。
 そう考えると、充電も非接触、更新もWiFiか3/4G、ヘッドセットもBluetoothのみの完全無線版を作るのが現実的ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 買収した Beats は ワイヤレスのヘッドセットを多数だしているようです。廉価版でも標準で Beats のワイヤレスヘッドセットがついてくるとなると、製造コストは相当下げられるはずだし、多少値上げをしても支払いに値する十分な付加価値になりそうです。そしてせっかくなのでこの機会に音漏れ防止を実現して下さい。
 たとえばこんな比較広告はどうでしょう?
 エレベータの中で、じゃんじゃか音漏れしながら聴いている若者に嫌気をさしている人たち。ところがその若者が途中で降りていっても音はなりやまず、あれ?っとみんながあたりを見回すと、隅の方で音にあわせてからだをゆすっている高齢者(内田裕也風)。シーンが変わって先ほど降りて行った若者を追うと、壮大なクラッシックが鳴り響き、でも席に着いてカメラをひくと、やはり静寂。そこでiPhone6+Beatsのヘッドフォンのズームアップ。かっこいいと思う。

 「確立操作」(Estblihing operations: EO)という用語は、Larawayら(2003)以来、「動機づけ操作」(Motivating operations: MO)と呼ばれることが多くなっています。

 これは元々、EOに関連する用語についてJack Michael 先生が抱いていた懸念を解決しようとした工夫です。一つは操作の方向:たとえば、遮断化は好子の強化力を増し、飽和化は好子の強化力を減じるというように、両方向に作用するのに、“estabishing”という英語からは増加の印象しか受けないこと。EOのもう一つの機能である、反応を引き起こす作用(“evocative effects”)についても同様で、作用は促進と抑制の両方向なのに用語の印象は片方向であること。最後は、好子だけではなく嫌子の機能も変えるということ。

 なので、Larawayら(2003)では、増減両方の機能を持つ操作としてEOではなくMOという用語を使うことにして、増やす操作をEO、減らす操作をAO(“abolishing effects”)と呼ぶことを提唱しているわけです。

 確かに論理的であり、正論だと思いますが、私は以下の点から、この用語(MO)を使っていません。

1.  “Motivation”という言葉がすでに手あかがつきすぎていて、心理学だけでも色々な定義があり、“punihser”や“punishment”と同じように誤解を生む可能性がある(特に、行動分析学の初学者や行動分析学以外の心理学者に対して)

2. “Motivation”という用語はもっと漠然とした、広い、いわば素朴概念としてとっておき、それを行動分析学から解釈する作業をすべきであり(例:たとえば、いわゆるMO以外にも、そもそも随伴性、強化スケジュール、好子や嫌子の派生など、“Motivation”の下位分析にあたる概念や法則は他にもある)、EOだけに収束させるべきではない。

3. (これは半分冗談だけど)一般人にとって“MO”(エムオー)といえば、犯罪系のドラマの“MO”(motives:(犯罪)動機や目的)の方がはるかに耳に馴染んでいるわけで、ABAIのポスター発表の会場で“MOがMOが...”と話している人がわんさかいるのは、妙な印象を与える。もう少し社会全体に対して感受的になった方がよいのではなかろうか。

4. 日本語の「確立」には「増やす」という意味はない(だから英語圏の人たちの心配は実は共有されない)。
 かくりつ【確立】(名)スル 物事の基礎立場計画方針などをしっかりきめること。不動のものとして定めること。「外交方針を―する」「婦人の地位の―に努力する」(スーパー大辞林)

 以上の理由から、(主に)アメリカ人の動向にあわせて、ようやく定着してきた日本語の用語を「確立操作」から「動機づけ操作」に変える必要はないというのが、私の個人的見解です。

 なお、punisherについてやpunishmentにおいてもEOを考えるべきではないかと、二十年近く前にJack Michael先生の授業で質問した私としては、そういう検討がされるようになったことはいいことだと思うのですが、Larawayら(2003)で取り上げられているのはタイムアウト(好子消失による弱化)の例であり、この場合、EOがかかっているのは嫌子ではなく好子なので、これでは不十分だと考えます。このあたり、これだけの専門家が著者として名を連ねていても(Jack and Alan)、もしや嫌子と弱化を混同してしまっているのでは?とさえ思います。用語というのは思考の元になるわけなので、それだけ大切だとは言えると思います。

Laraway, S., Snycerski, S., Michael, J., & Poling, A. (2003). Motivating operations and terms to describe them: Some further refinements. Journal of Applied Behavior Analysis, 36(3), 407-414. doi:10.1901/jaba.2003.36-407 (ここから無料でダウンロードできます

 授業で英語の動画を教材に使って(コロンバンシュミレーションの解説動画、字幕なし)、学生に英語がどのくらい理解できたかを尋ねてみた(n = 67)。
 動画を見せる前に、動画にでてくる実験の話(ジャックとジルのコミュニケーション、マークテスト、台を動かして乗ってバナナをつつく“洞察”実験、実験の背景となる科学論)は日本語で講義をした上で。
 理解度百点満点の自己採点は二極化(二山分布)するかと予想していたのだが、思いっきり0-10にピークがある右下がりの度数分布だった(ぎょあ〜 授業時間を無駄遣いしたかも)。
 文科省はグローバル化の名の下に大学で英語の授業を増やせだのなんだの言っているようだけれど、もう少し現実をみる必要があるなぁ。
 これからの社会人(企業人)に英語力がさらに必要というのはわかるし、大学が最後の砦だというのもわかるが、大学までにもう少しなんとかしておかないと、実際には難しい。
 基本的に読み書き計算のリテラシーは大学入学前までに基礎的なレパートリーを確立しておいてもらわないと。大学入学後にその訓練をするとなると(技術的にできないことではないにしろ)、本来大学で教えるべきことに割ける時間が圧倒的に減ってしまう。それは結局は社会人として必要な力量の低下につながってしまう。ちなみに大学では社会に出てから役に立つことが学べないという人は、もう一度大学に入学してみるといい。何十年前と今の大学では、学部や学科やゼミにもよるけど、やってることがまったく違うことが多いですよ。昔は確かに一理あった主張だけど、今はあまり説得力がないかも(注)。
 たとえば高校卒業までに、日本語の新聞記事を読んでから英語のニュースを聞いたら50%くらいは聞き取れて理解できるところあたりを目標にして、そこまでやってもらえれば、後は大学入学後に引き継げると思う。
注) 大学というところは、多様性が信条だから、それぞれ学部や学科、教員やゼミや授業によって、やってることはほんとに色々。だから、「大学というものは」という包括的“大学論”のほとんどは、その人の受けた大学教育や情報によってかなり偏向するものだという自覚がないと、ほんとよくわからん議論になります。

 奥田健次先生主催の行動コーチングアカデミーで開催される“道場”の参加者募集が始まりました。

 日時:2014年8月18日(月)〜20日(水)
 場所:行動コーチングアカデミー(長野県北佐久郡)

 今年度は道場で行われる演習の開発をお手伝いしています。新しい2つの演習。現在、ユーザーテストが進行中。お楽しみに。

 もう一つはこれも新しい試みで、事例研究の進め方を指導します。実際に事例研究に取り組んでもらい、その経過や成果を道場で発表するまで、事前に支援するという企画です。

 こういう機会もなかなか普段では得られないことだと思いますので、我と言う方はぜひご参加下さい。

 案内や申込みはこちらから。


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