2014年3月アーカイブ

 大学でも学会でも、政治でも行政でもマスコミ関係でも、この人の言うこと信じられるかなというときに私が手がかりにしているのがカタカナ英語です。

 「テレビ」とか「アイドル」とかのように、もはや日本語化しているカタカナ英語のことではなく、日本語に同義の語彙があり、それでも十分通じるのに、なぜか英語を使うケースです。

 最近だとエネルギー基本計画政府案の「“ベースロード”電源」とか、これからしばらく世の中を騒がすであろうところだと「アジェンダ」とか「トレース」とか。

 こういうケースでカタカナ英語を使う理由はいくつか考えられます。一つは権威付け。聞き手が知らない言葉を使いひけらかすことで、聞き手から尊敬の念を引きだすのが狙いです。あるいは「へぇ〜、すごいですね」で強化される言語行動と言ってもいいかもしれません。

 もう一つは真意隠し。日本語にすると意味がわかりやすくなりすぎてごまかしきれなくなるのを回避するのが狙いです。聞き手から「なんだ、そんなことか」という反応が出現するのを阻止することで強化される言語行動と言ってもいいかもしれません。

 さらに行動レパートリーの強弱が原因になることもあります。帰国子女が日本語の単語を思いつかなくて、ついつい英語で話してしまうケースです。

 これらの変数が多重的に制御していることもあれば、たとえば帰国子女が帰国子女らしく話をしているうちに、お門違いの尊敬的うなづきで強化され、それが維持されてしまうというように、初発期の随伴性と維持期の随伴性が異なる場合もあるでしょう。また、本人はそういう随伴性に気づかずに随伴性形成されていることもあれば、確信犯的にルール支配されていることもあるでしょう。

 このようなカタカナ英語を多用している人は、かなりの確率で、嘘をついたり、誤魔化したり、隠したり、不正確なことを言う、というのが私の印象です。根拠となるようなデータはありません。

かくいう私も人のことは言えません。少し前に別の要件で2005年に行われた日本行動分析学会年次大会の大会企画シンポジウムを録画したビデオを観る機会がありました。すっかり忘れていましたが、質疑応答では私も発言していました。それが、恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまったくらい、帰国子女ふうの話し方だったのでした。発音も抑揚も。その瞬間は、あぁ、留学から帰ったばかりの頃は、こんな話し方をしていたんだ。気づかなかったなぁ。恥ずかしいなぁと思ったのですが、後になってよくよく考えると、留学から帰ったのは1992年です。帰国後、十年以上もそういう話し方を知らず知らずしていたのか、はたまた留学とは無関係に最初からそうだったのか、万が一、今でも変わらずそうなのかと不安だらけになりました。

 ヘビースモーカーが煙草を止めると喫煙者に厳しくなるのと似ていて、そういう個人的な履歴のせいでカタカナ英語過敏になっているのかもしれません。

 でもそれを差し引いてもかなりの確度で使える手がかりだと思いますよ。

 4月からの消費税アップにさいし、増税前の駆込み消費行動が増加しているようです。小売業界はじゃんじゃかセールして、マスコミもそれを煽っています。


 同じ商品が額面上3%値上がりするというわけで、支払う毎に値上がりぶんのお金を失うことになるので、その前に買う行動は好子消失阻止の随伴性で強化されることになりますが、値上がりまでは60秒以上ありますからルール支配、モドキです。

 強化可能時間を制限すると(LH、limited hold)、動物でも反応率が上がります。LH内の反応分布が動物でどうなるのか私は不勉強でわかりませんが、おそらく今回のようなルール支配の場合、増税開始時に近づくほど、この随伴性を記述したルールが確立操作として生みだす嫌悪感、焦燥感が高まりそうなので、もしかするとスキャロップ的な消費行動曲線が得られるかもしれません。ただ、家や車などの高額商品はぎりぎりには買えないでしょうから、縦軸を 消費金額にするとこの傾向は読み取れないかもしれませんね。

 いつぞやのワイドショーでどこぞやの経済評論家が述べていたように、おそらく買いだめした商品のある程度は、買いだめしたことで無駄に使われることでしょう。家の中に在庫がないときに比べて在庫があるときには、在庫を切らしたら買いに行かなくてはならないという随伴性がないぶん、消費行動の頻度や量が増えると予想できるからです。それに買物ついでについついいらないものまで買ってしまうことも増えているはず。そうして生じる無駄遣いが増税ぶん以上になるのか以下で収まるのか、はたまたちょうど釣り合うのか、そのあたり何かしらのデータがあれば面白そうです。

 行政が無駄遣いしないこと、必要なところに必要なお金を回すことをしてくれるなら(まぁ、これがなかなか実現しないわけですが)、消費税増税に私は賛成です。コストが余計にかかりそうだし、結局は権益や利害の争いになるだけだから軽減税率には反対です。一律でいいと思います。贅沢品の方は贅沢費を購買する余力のある富裕層に累進課税すればいい(所得税)。消費税の方は広く、みんなで(所得の低い人も)負担という切り分けを明確にすべきだと考えます。

 消費税を増税されたら食べるものも買えなくなりますと訴える人をマスコミが取り上げることがありますが、3%の値上がりがほんとうにどこまで影響するのかはよくみていかないとなりません。ただ、ちょっと考えても、国民一人当たり一日おにぎり1-2個分と言われる食品ロスを減らし(政府公報オンライン)、食べ過ぎを減らし(BMIが25以上の“肥満者”の割合は男性30.4%、女性21.1%。平成22年国民健康・栄養調査結果の概要、厚生労働省)、メーカーでは過剰包装を減らすことで十分吸収できる範囲の増分だと個人的には思います。ガソリンも自家用車であれば急ブレーキ、急発進を減らし、車間をとるとかすれば、3%くらいの燃費は改善するはずだし、電気代も部屋の設定温度を1℃変えたり、つけっぱなしのテレビや照明を消せば節電できます。そういうことをすべてやってますという家庭はそれこそ3%にも達しないのではないでしょうか。

 増税に賢く対応しつつ、増税したぶんの使い道をしっかり見届けることが大事だと思います。
 法政心理の大学院入試で出題する可能性のある用語(法政心理キーワード)を行動分析学の概念に翻訳しているこのシリーズですが、ふと、三つのことを思いつきました。

 ひとつめ:はたして逆はあるのだろうか? すなわち、行動分析学の概念を他の心理学から解釈することは可能なのだろうかということです。強化や弱化、弁別や般化、分化や連鎖、消去やバースト、自発的回復、変化抵抗や行動的慣性、等価性や関係性などの概念や現象を、他の心理学で翻訳することはできるのでしょうか?(興味と技能がある人がいるかどうかは別として)

 もうひとつ:大学院入試の出題範囲はけっこう限られていて、翻訳する必要や意味ががなかったり(「統制群法」や「アセスメント」、「帰無仮説」や「インフォームドコンセント」)、翻訳できないもの(「ドーパミン」や「セロトニン」など)もけっこうあります。それでいて、たとえば「コンプレックス」とか「サブリミナル」とか「カタストロフィー」とった、世間一般では(あるいは一部のサブカルで重宝される)用語はなかったりします(元々、日本心理学諸学会連合が「心理学検定試験」に作成している生真面目な用語集を元にしているせいです)。

 さらにもひとつ:最初の記事が2010/12/15だから3年ちょっとで17語。う〜ん、スローなペースだ。

 どれも I wonder 〜 レベルの思いつきで、だから何をどうしようというわけではありません。閑話休題の一つ前の話です。すみません。

本シリーズの過去記事一覧:
定義:

「持続的な意識消失と、全般的な身体機能の低下状態であり、覚醒と対をなして周期的に生じる脳の生理的な活動様態である」(『心理学辞典』(有斐閣),  p. 464)。

行動分析学的解釈:

 スキナーは Science and Human Behavior で、睡眠を、周期性をもつ特殊な行動と捉えられないことはない(1953, p. 155)と述べていたが、それ以上の詳しい解釈はしていない。睡眠について行動分析学から研究を進めている Blampied & Bootzin (2013)は、睡眠そのものは周期的に生じる生理的な状態と捉えた方が生産的であるとし、さらにその状態を以下のように定義している。

  1. 中枢からの制御により運動(顕現的行動)の範囲や強度が大きく制限される。
  2. 同時に、中枢での神経活動、夢、新陳代謝などの内的な活動(非顕現的/内潜的行動)は行われている。
  3. さらに、それが成熟、発達、学習、脳機能の維持などに必須である。
 Blampied & Bootzin (2013)らは、睡眠につながる行動連鎖の中で、たとえば横たわる行動を最終的な好子(入眠/睡眠)の完了行動(consummatory behaviour)とし、行動連鎖の中で完了行動の弁別刺激がうまく機能しないと不眠の問題が生じるとしている(従って不眠治療でも刺激性制御をつけることを重視する)。また、覚醒時間など、睡眠の好子としての機能に影響する条件を確立操作として分析することの有効性も指摘している。

 以上を踏まえ、よくある質問に答えてみる:

Q: 睡眠は行動ですか?
A: いいえ。睡眠そのものは顕現的な行動の自発頻度が大きく低下した状態と考えた方がよさそうです。ベッドに入るとか横になる、目をつむるなどの行動は、入眠につながり、睡眠で強化される行動であると考えられる。

Q: 睡眠は好子ですか?
A: はい。生得性好子であると考えられます。睡眠につながる行動、横になるとか目をつぶるとか、カーテンを閉じて照明を消すとか、人によってはアロマをたくとか、そういう行動がもし入眠につながれば強化されるという意味で好子ですし、他の好子との対提示が必要ないということから生得性の好子であると考えられます。ただし、「眠気」がいつも好子として機能するかと言えば、たとえば仕事が残っているときや渋滞の中運転して帰らなくてはならないときなどは、弱化の弁別刺激にもなり、コーヒーを飲んだり、大声で唄ったりすることで眠気を消す行動が強化されることもあります。

Q: 睡眠を好子として機能させる確立操作にはどのようなものがありますか?
A: 覚醒、夕方から夜にかけての運動、体温の変化(床につくまえにお風呂に入る)などがあります。睡眠導入剤や睡眠薬などはお医者さんに相談の上で。

Q: 夢を見るのは行動ですか?
A: 夢は睡眠中に自発される非顕現的/内潜的行動の一種ですから、行動です。外界との接触がほとんどなく、随伴性は夢の中だけで、覚醒時に比べると強度も弱いと考えられ、このため覚醒時の思考に比べて、不安定で非連続的な展開をするのはないでしょうか。

Q: 起床は行動ですか?
A: 目が覚めるという意味での起床は、睡眠から覚醒への状態の変化であると考えられますが、覚醒状態になるということは、様々な顕現的な行動の自発が始まるということなので、たとえば見る、聞くなどの行動の自発頻度が一斉に上がることになります。なお、朝起きれない人が起きれるようにする介入を考えるときには、目が覚めないないのか、目が覚めても動かないのか、動くけどベッドからでないのかなど、問題の在処をまず特定する必要があります。

引用文献

Blampied, N.M. & Bootzin, R.R. (2013). Sleep—A behavioral account. In G. Madden (Editor-in-chief). Handbook of Behavior Analysis Vol 2. (pp 425 – 453). Washington, DC: American Psychological Association.

Skinner, B. F. (1953). Science and human behavior. Oxford England: Macmillan.

本シリーズの過去記事一覧:

 昨日の記事で真央ちゃんを引き合いにだしたこともあって、過ぎた話を蒸し返すことになりますが、森元総理の発言について私見を述べておきます。例の「大事なときには必ず転ぶ」ってやつです。


 最初この発言がマスコミやネットに流れたとき、真央ちゃんへの同情から「なんてひどいことを言うんだ」と世間の声が一斉に上がりましたが、間もなく全文が公開されると(たとえば荻上チキ・Session-22)、一転して、揚げ足をとるような切り取り方をしたマスコミに非難が集中し、中には森元総理への同情の声さえ聞こえるようになりました。

 自分はこの全体的な流れがまず気色悪いと感じました。ネットはいわゆるバンドワゴン効果みたいな現象が起こりやすい場です。特にツイッターなどの登場で、その場その場の発言を誘発する確立操作や弁別刺激がタイムリーに継時的に提示され、反応コストの低い行動で、メッセージやリツイート、選好されたタイムラインで同じようなつぶやきを目にすることで即時強化されるという随伴性が整えられて、誰かの発言に乗っかって行くという傾向が加速していると思います。「危うくメディアに騙されるところだったわ」と言う人たちは、すでに騙されていたわけだし、その発言さえも、同じように“騙されている”のかもしれないし、そういうことに全体的に無自覚な状態というのは健全ではないと思います。

 「みんなはこう考えているみたいだけど、自分はどう考えようか?」、「あの人はこう言っているけど、根拠はあるのかな?」、「調べてみよう」、「よくわからないから、これとこれがわかるまで判断は保留にしておこう」などなど、我々が大学で一生懸命教えているこういう思考がほとんど見たらないことに悲しさもこみあげます。ただ、そう考えている人はネットなどでは発言しない傾向にあるのかもしれず、もしそうなら少しは気が楽になるのですが....。

 さてさて、森元総理の発言について自分が考えたことは以下の通りです。

1) 基本的にはそこらのおじちゃん、おばちゃんの発言と同じだなということ。この人も真央ちゃんを応援する気持ちは世間と一緒だなということ。おそらくこの人に対する好感はそういうところにあるのでしょう。
2) でも、この人は世間一般の人ではなく、元総理であり、東京オリンピック組織委員会会長であること。
3) 公の場での発言であり、政治家、組織委員会会長の発言は、報道される可能性があることは自明の理であること。
4) 失敗や負けを「恥」とみなしているようであること(「団体戦に何も浅田さんを出して、恥かかせることなかったと思うんですよね」)
5) 上の発言からわかるように、選手ではなく監督?などに対する批判をしていること。
6) 「もっと自由にした方がいいのかも」とも思ってようだけど(「どうも日本の各競技団体のやり方が本当に正しいのかどうか。もっと自由奔放にやらせたほうがいいのかなという感じもいたしますが」)、
7) 日本には日本のやり方があるとも思っている(「日本で急にどっかそこに走ってた選手を連れてきて、社長にぽんと置けるかと言うと、どうなんでしょうかね。まあ、そこは日本のまた文化があるわけでしょうが、外国のものばっかが良く見えてくるんでしょうね」。
8) つまり、確たる方針があるわけではない(おそらく時間をとって調べたり、考えたりしたこともないのでしょう)。

 私が感情的に相容れないなと思うのは(4)。競技で負けたり、失敗したとき、本人が恥ずかしいと思うのはその人の自由だけど、それを「恥」と本人以外が言うのは筋違いだし、そういうふうに指導を進めたら(練習で失敗するたび「なにやってんだ、そんなことしていると恥かくぞ!」)、失敗に対する不安が高まるだけで逆効果です。失敗を「悔しい」と感じたとしても、次は成功しようと頑張ることをサポートする環境を整えることが大事なのです。幸いにも(素晴らしいことに)、真央ちゃんのフリーの演技はまさにこれを世界中にみせてくれました。つか、そもそも団体の女子ショート、真央ちゃん3位ですよ。世界三位。なぜそれを誉め称えず「失敗」とするのか理解に苦しみます。

 論理的に考えて問題だと思うのは、こういう価値観を持った、スポーツの指導方針についてまったくの素人の人が、それなりの地位につくこと。オリンピック組織委員会会長ですから、大きな権限を持ち、大きな予算の裁量を持ちます。そうなると、ご本人がどう思うと、その下で働く人たちの随伴性は、トップの発言に影響されます。予算や権限を手に入れるために、トップの意向にあった発言や活動が自発され、強化されるようになります。トップやそのような随伴性でトップについていく人たちと相容れない人たちの行動は制限(妨害)されたり、弱化されたりします。どこの組織でも多かれ少なかれ生じることです。

 そしてだからこそ大きな組織のトップに就いたら、自らの発言や行動が組織全体に及ぼす影響に配慮しながら行動することが求められるわけです。森元総理の発言はそういう意味で不適格だったと思います。
 教会で祈りを捧げたり、神社で手を合わせたりするように、宗教的慣習として決められた手続きや約束事に則って行われる「祈り」もあれば、より日常的な“願い”としての「祈り」もあります。

 ソチオリンピックのフィギュアスケートでは真央ちゃんの演技に対し、日本中で「跳んで」と願う声が上がったのではないでしょうか。先週ずっと風邪をこじらせていた私は、夜中じゅう咳き込んで眠れず、思わず「かみさま、咳とめて」と祈りました。

 このような「祈り」はスキナーの言語行動理論からは拡張マンド(extended mand)として解釈可能です。

 拡張マンドはマンドが刺激般化もしくは反応般化した反応です。父親とキャッチボールしているときに「ゴロ投げて」と要求したらゴロを投げてもらえて強化されたマンドが、友達とキャッチボールしているときに自発される場合が刺激般化です。友達に対してはこれまで自発されたことも強化されたこともなかったけれど、父親に対するマンドが強化されていたことで般化したと解釈します。同じ文脈でそれまで自発したことがない「フライ投げて」が自発されたら反応般化です。刺激般化した拡張マンドも反応般化した拡張マンドも聞き手によって強化されれば、定義上、通常のマンドになります。つまり、拡張マンドと言えるのは聞き手によって強化される前の初発反応だけです。
 拡張マンドには聞き手によっては強化されないマンドもあります。どちらも、習得済みのマンドが刺激般化、もしくは反応般化したものです。

 迷信的マンド(superstitious mand)は聞き手に強化されることはありませんが、たまたま偶然に強化されることがある拡張マンドです。一緒に遊んでいる友達に「なわとびとんで」とお願いしたり、プールで遊んでいるときに「とべ〜」と声をかけたりしたときに友達が跳んでくれることで強化されてきたマンドが、テレビの向こうの真央ちゃんに自発されるのは、刺激般化でもあり、「トリプルアクセルとんで!」なら反応般化でもあります。そして、真央ちゃんは失敗することもありますが成功することもあり、私たちのマンドとは無関係ではありますが、偶然強化され維持される反応です。

呪術的マンド(magical mand)は聞き手に強化されることもなければ、偶然に強化されることもない拡張マンドです。ソチの真央ちゃんのフリーの演技を見たあと、「時間を巻き戻してもう一回ショートをできたら」と思った(願った)人もいたでしょう。「時間を巻き戻して」は偶然にも強化されることがない呪術的マンドです。

 私の「かみさま、咳とめて」はどちらとも言いがたいところです。偶然でも咳がとまったことは記憶の限りはありませんが、論理的には言い続けていればいつか咳は止まりますから。雨が降り続いているときに「やんでくれ〜」と思うのも同じような随伴性です。

 呪術的マンドは強化されないのになぜ維持されるのでしょう。一つには拡張マンドの元になる通常のマンドは強化され続けているからです。もう一つには呪術的マンドを自発させる好子や嫌子の確立操作が強力だということでしょう。

 このように「祈り」とみなされる行動の中には、信仰や宗教とは無関係に、マンドが派生した拡張マンドとして解釈できるものもあるのです。

 参考文献:『行動分析学入門』 第21章 言語行動

行動分析学入門 行動分析学入門
杉山 尚子 島宗理 佐藤方哉 リチャード・W. マロット アリア・E・マロット

産業図書  1998-03-30
売り上げランキング : 15587

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 「コピペ」ってすでに辞書にまで掲載されている立派な(?)日本語なんですね。Macに標準装備されている「スーパー大辞林」では、「コピペ」→「コピー-アンド-ペーストの略」→「コピー-アンド-ペースト」→「コンピューターのデータ編集作業で,文字や図形などのデータの一部を複写し,他の部分へ貼り付けること」となります。

 世間を騒がしている剽窃問題については記載がありませんが、これも時間の問題かもしれません。

 剽窃について、大学で教えている経験からすると、対策はただ一つ。正しいコピペの方法を教えるしかないです。

 私が担当している学部の「心理学基礎実験」では、入学したてのピカピカの一年生を対象に、心理学の基礎的な実験実習をして、レポートを書く方法を教えています。

 なにしろ相手は先月まで高校生だった学生諸君です。「ですます」調ではなく「である」調で書くんだよとか、事実と解釈を区別して書くんだよとか、感想ではなく考察を書くんだよとか、そういうところからスタートします。段落の書き出しは一文字あけるんだよとか、「すごいちがい」とか「ぼんやりした」とかは口語体だよ、「大きな差があった」とか「明確にならない」というように文語体に書き換えるんだよ、なんてことまで指導します。

 文献を読んで引用するというところまでは学習目標に設定していませんが、学生によっては他の授業で学んだことや教科書を参照したり、インターネットで調べたことを考察に書いてきたりします。

 当然のように「コピペ」が多発します。なので、引用の仕方を教えることになります。引用には直接引用と間接引用があるよ。どこまでが引用でどこまでが自分の考えなのかが読み手にわかるように示すんだよ。そのためには直接引用は「」でくくるし、間接引用にも引用元を明記するんだよ。そしてレポートの最後にどこから引用したのかがわかるように引用元の一覧をつけるんだよ。ネットの情報は信用できないことが多いから、ネットで見つけたことは図書館の本や雑誌で確認するんだよ。それができなかったときには、ネットのどこから引用したのかわかるようにURLを書くんだよ、などなど。すべて学生が書いたレポートを元に、実例(正しい例と間違った例)をたくさん示します。

 引用する行動は、自発的に調べる行動ですから、この段階では(その後も)強化して増やしたい行動です。もちろん、すべてが引用になってしまったら意味はありませんが、心理学の場合、自分たちで実験や調査をしてそのことについて書くことになるので、そもそもすべてを引用で構成することは難しく、そこのところはあまり心配ありません(通常の授業でレポートを課す場合はまた少し話が違ってきますが)。

 この授業の受講生は70名前後。一学期に4-5回のレポートが提出されます。そろそろ7年やっていますから、これまでに二千以上のレポートを読んできたことになります。そして、ここまで来ると、引用を明記しない「コピペ」はかなりの確率で発見できます。それ以外の箇所の文体との相違が手がかりになりますし、同じ実験について同じ時期にレポートを書きますから、複数の学生が同じ文章をコピペすることもあります。怪しいと思った文章はまさにコピペし、ぐぐってみます。すると、かなりの確率で引用元がヒットします。私にとってはこの信号検出作業が弁別訓練になっていて、検出率が上がっています。直観的制御が効いている感じです。

 「コピペ」について教示をするのは、2回め以降のレポートからです。一回めのレポートで引用なしのコピペがあっても減点しません。そして教示後の初回のレポートからは引用なしのコピペは減点します。ただし、引用ありのコピペは加点します。学生にとって、レポートの採点による分化弱化、分化強化の随伴性は効果的で、間もなく反応が分化していきます。最終回のレポートは一年前期にしてはお見事!と胸をはれるレポートになっていきます。

 ただし、般化・維持は難しく、3年生になってゼミに配置され、レポートを書かせてみると、1年の前期にやったことをすべて忘れてしまっている学生もいて、再学習となってしまうこともあります(今年度はカリキュラム改訂があり、2年次でも実験実習とレポート執筆指導をする機会が追加されたので、このあたりは改善されるのではないかと期待しています)。

 レポートや論文執筆における「コピペ」問題は、意図的で非常に悪質な例を除けば、引用の正しい方法を教え、練習させ、フィードバックして繰り返し練習させることで減らすことができます。逆にいえば、問題があるということはそうした指導が欠如していることの顕われだと思います。

 さらに、意図的な引用なし「コピペ」も、指導教員であればゼミ生の論文にそれを発見することは、常日頃から指導をしていていれば(実験計画を発表させ、議論し、データを発表させ、議論し、論文の書き方を教えながらフィードバックし...)、気づかないはずはありません。これも、問題があるということはそうした指導が欠如していることの顕われだと思います(たとえば論文を提出する前に一度も確認しなかったとか)。

 データの捏造や改変については、引用なし「コピペ」の発見ほどたやすくはありません。個人的には、これまでどう考えても矛盾するようなデータを目にして、学生に再確認したことが何回かありますが、すべては単純な集計間違いでした(だと思います/信じています)。問題は、そのような明らかな矛盾が見つからない場合です。発見できず、見逃してしまった確率が0かと問われれば、0とは言えないと答えるしかありません。

 私の場合、学生の度重なるやりとりを通して、学生の報告行動が実験事実そのままに制御されるように工夫しています。行動分析学の研究では他の心理学のように仮説を立て統計的に検証することが少なく、どちらかと言えば変数探索的な実験が多くなります。仮説検証型だと「こうなるはずだったのにならなかった」「有意差がでなかった」と報告することになりますが、指導する側がどう頑張っても消去や弱化の随伴性がついてまわるようです。なぜそう思うかと言うと、そういう研究をしている学生・院生の会話を聞いていると「何がわかったか」という話より「有意差がでた/でない」の話の方が多いからです(さらに「どうすれば有意差がでるか」という話とか)。

 行動分析学の実験の場合、「こうなりました」とありのままに報告するところからはじまり、「そこから何がわかるかな?」とか「次どうしてみようか?」と話が展開するので、実験結果が「失敗」に映ることが比較的少ないというメリットがあります。それでも、学生さんは最初はそうは思わない傾向があって、「うまくいきませんでした」と報告してきたりします。そんなときにも、見せられたデータを面白がり、解釈の切り口を示したり、次の実験のアイディアを促すヒントをだしたりして、学生がうまくいかなかったと思い込んでいることでもそのまま報告することが強化されるように気を配っています。

 データの捏造や改変の問題の背景には、マスコミが指摘しているような成果主義や競争原理の他に、研究者養成過程での教育的随伴性があるのだと思います。すなわち、研究者の行動が「わからなかったことがわかること」で強化されるのではなく、「わかりたかったことが示せること」で強化されるようになっている可能性です。研究室やゼミの随伴性は、おそらく指導教員や所属組織の随伴性(成果主義や競争原理)にも大きく影響されるのだとは思いますが、科学の本質を考えると、より深刻な問題ではないかとも思います。

Photo_2


 これまで私が出張するときには友達や親戚にうちに泊まりに来てもらっていました。でも、いつでもそうできるわけでもなく、先月の出張では泊まりに来てくれる人が見つからず、本来1泊するところを強行の日帰り出張にしてもらいました。4月から通常の生活に戻り、学会出張なども増えてきます。いざというときのために、ペットホテルに泊まれるように準備を進めてきました。

 毎月シャンプーをお願いしているペットサロンで預かってもらるように、シャンプーの前後、数時間余計に滞在させ、スタッフさんや看板犬たちにも馴れてもらい、また、その過程で色々お話をして、信頼できそうなところを見つけてあります。ここを見つけるのに、ペットホテルやペットサロンなど、十数件を訪問して見て回りました。

 いよいよ4月には1泊の宿泊学習をさせることなり、そのために、これまで留守番をお願いしていた友達や親戚に渡していたメモを「サポートブック」的にまとめ直しました。

 サポートブックは、保育所、託児所、学校の先生や、ボランティの人たちに、お子さんに関わるときに知っておくと便利な情報を、親御さんがまとめて書いておくものです。特に、自閉症などの発達障がいがあるお子さんの場合には、それを事前に知っていればトラブルを減らせることも多く、親御さんにも、関わる人にも、ご本人のお子さんにもメリットがあるものです。

 そこで、これまでみてきたサポートブックを参考に、はる用の「サポートブック」を作りました。

 書きながら気づきました。これはエンディングノートの一つだなと。一人暮らしで飼っている犬ですから、私に万一のことがあれば、どなたかに後をお願いしなくてはなりません。そのときに、食事や散歩、遊びや躾、その他、生活する上での注意点や医療情報などが一冊にまとめられていれば、新しい飼い主さんにとっても、はるにとっても役に立つに違いありません。

 エンディングノートなんて縁起が悪いように感じるかもしれませんが、何かあっても安心して任せられるようにしておけば心配の種も減るのではないかと思います。

 おそらく4月の宿泊学習の後に改訂することになるとは思いますが、個人(個犬?)情報を取り除いて、公開します。同じような懸念を抱えている、一人暮らしの愛犬家さんの参考になれば幸いです。

はるの「サポートブック」
 サバティカルも大詰めというのに酷い風邪をひき、数年ぶりにのべ6日間も寝込んでしまいました。ゼミ生には以下のように訓示(?)をたれているのに、桜咲く前にだらしなさ満開です。

体調管理について
大人になると健康管理は仕事の一つになります。具合が悪いから休みますでは、なかなか済まなくなるのが現実です。となると、具合が悪くならないようにするしかありません。

具体的には:

(1) 十分な睡眠時間をできるだけ同じ時間帯にとる。
(2) 気温にあわせて衣服や室温を調整する。
(3) 栄養に気をつける(コンビニ弁当やスナック菓子ですませないようにする)。
(4) 頻繁に手荒いとうがいをする。
(5) 疲れすぎたら無理しない。

を実行するだけで、風邪を引いたり、体調を崩す確率は確実に低下させることができます。

皆さんはまだ年齢的には若いので(5)は無理がきくかもしれませんが(私はもう無理です)、(1)-(4)は年齢に関係なく影響します。
 
 振り返ると、今回はいくつかの罠にはまっていたことがわかります。

 まず、風邪の引きはじめ。鼻水、のどのいがいが、倦怠感などが一週間以上続いていたのですが、季節柄、花粉症の症状だと思っていました。実際、部分的には花粉症だったのかもしれません。この段階で鼻水はまだ透明でしたから。花粉症で体を休める必要はないので、サバティカルフィナーレに向って原稿をどんどん書き、テニスをし、まだ冷たい風が吹く中、はる(犬)を公園やドッグランに連れていっていました。そのうち、鼻がつまるようになり、鼻水が黄色くなり(最終的には出血するようになり;今年の流行だそうです)、咳がでて、悪寒、関節痛、筋肉痛などがでてきました。風邪の初期症状が花粉症の症状でマスクされ、適切なタイミングで「休息」に入らなかったことが初動期の罠でした。

 次に、これは風邪だと思ってからの対応です。軽い風邪なら、運動し、汗をかいて風呂に入り、お酒をかーっと飲んで寝てしまえば、熱はでても次の日にはケロッと治る。それでうまくいったのはせいぜい二十代前半くらいまで。風邪の症状は安静にしていても少なくとも3ー4日は持続するのが近年の傾向。それにも関わらず、若いときのこういう経験が未だに影響していて、そういう行動パターンをとってしまいます。今回もそうでした。その結果、喉の炎症がひどくなり、夜、息がしにくくなって咳がでて眠れなくなり、休養できず、体力が落ちました。

 今回は、静養を決意してからも罠がありました。昼間、ただ寝ているのはもったいない気持ちになり、4月になって大学生活が再開したら観る余裕がなくなるテレビドラマでも観ておこうと、Hulu(REVOLUTION)に手を出してしまいました。寝落ちしては巻き戻し、しばらくしてからまた寝落ちして巻き戻しを繰り返し、結局、熟睡できず疲れがとれませんでした。

 それでも2日後には約束をしていた用事があったので外出。天気もよく日差しも暖かそうだったので、春らしい格好をしていきましたが、風は冷たく、外を歩く時間も長く、始終、寒気を感じていました。元々、上記「(2) 気温にあわせて衣服や室温を調整する」が苦手という自覚はあるのですが、うまく機能しませんでした。

 薬に関してはよくわかりません。病院に行ったのは、症状がいよいよ悪化したラスト二日前で、それまでは市販の風邪薬を飲んでいました。そもそも風邪を根本治療する薬がないことは承知の上ですが、諸症状を緩和するとうたっている各種の薬剤も、今までに本当に効くと実感したことがありません(頭痛薬が頭痛を緩和するように、咳止めが咳を止めたり、鼻炎をおさえる薬が鼻水を止めたりしたように感じたことがありません)。これは市販薬でも、病院で処方される薬でも同じです。それでも病院に行ったのは、何か別の病気だったらやばいからです(今回は鼻血が気になったからです)。

 せめてこの体験を活かすために、体調管理のチェックリストを改訂することにしました。上記は予防のための項目としてとっておき、以下の項目を追加します。

風邪かなと思ったら(鼻水、のどのいがいが、倦怠感など)、
 ○ 運動と酒を控え、暖かくして早く、たっぷり寝る
 ○ 花粉症に偽装した風邪に注意すること
症状が悪化してきたら(咳、悪寒、発熱など)、
 ○ 病院に行き、薬をもらう(外出するときには大袈裟までに着込む)
 ○ 外出は控え、昼間も休み、強制的に熟睡する(読書、テレビ、パソコンなどは禁止事項)
 ○ 鼻水、のどのいがいが、倦怠感などの初期症状もたいてい収まるまで無理はしない

それにしても、あぁ〜 もったいない一週間だったなぁ。

 TBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』が最近のお気に入りです。ポッドキャストのみならず、radikoで配信されている全2時間ぶんの放送をラジ録2というソフトで予約録音して、ジムや車で聴いています。

 いつだったかの放送でリスナーからのお便りに「人はなぜ電話中に歩き回るのでしょうか?」というメッセージがありました。オフィスで隣の席の同僚が、電話がかかってくるたびに席を立ち、給湯室に入ったり出たり、事務所中をぷらぷらと歩き回り、あげくのはてに上司の席の後側まで通過していく。そんな内容だったように記憶しています。なんだかちょっと迷惑ですというニュアンスのメッセージでした。

 気になってググってみたら、同じような疑問を持っている人は他にもいるようです。Yahoo!知恵袋でそういう疑問を投げかけている人もいました。この問いに正解があるとして、なんのために正解が欲しいのか、どうしてそういうところで正解が得られると思うのかは毎度のように疑問ですが、それでも、話をしていると動きたくなるとか、他人に聞かれたくない話をしているのではないかとか、もっともらしい回答も書込まれていました。

 確かに電話しながら歩き回る人を見たことはあるし、自分もそうすることはあるけれど、電話がかかってきたときに歩いていたのに立ち止まったり、立っていたのに座ったりすることも同じくらい、いや自分の場合はそれ以上にありそうです。よく歩き回る人でも、他に誰もいない自宅で独りくつろいで珈琲でも飲んでいるときに友達から電話がかかってきたときに部屋を歩き回ったりはしなさそうです。オフィスで他の社員と一緒に仕事をしているときでも、資料を拡げて読みながら話をしなくてはならないときには歩き回らないはずです。

 「人はなぜ電話中に歩き回るのだろう?」と素朴に思うのは自然として、その理由を見つけるには、まず「人はどんなときに電話中に歩き回るのだろう?」という形で設問を立て、観察したり、記録したり、考えるべきです。そうすれば「本能がそうさせているのではないでしょうか」といったトンチンカンな答えに辿り着かなくてすむはずです。

 それでは、人はどんなときに電話中歩き回るでしょうか? 観察したわけではないですが、私の推測は以下の通りです。

1. 周りの人に聞かれたくない話をするとき
2. 周りの人に話し声で迷惑をかけたくないとき
3. 携帯や子機の電波が入りにくいとき
4. 座ったまま話をするのが失礼な相手から電話がかかってきたとき

 もちろんこれだけではなさそうです。たとえばPCで仕事をしていたときに電話がかかってきて仕事を中断せざるをえないが丁度コーヒーが飲みたかったのでお代わりを注ぎに行くために立ち上がるなんてこともありそうです。だから、これはこれがすべての解ですというリストではありません。むしろ一つ確実に言えることは、電話中に歩き回る行動の原因は複数あるし、1と4が同時に起こりえるように重複している場合もあるということです。

 行動の原因はその見かけからはわかりません。“電話中に歩き回る”ところだけを見ていると、どれも同じように見えてしまうかもしれません。ところが、カメラを引いて俯瞰で眺めると、歩き回る前後の状況変化が異なることがわかります。上記の1や2は自分の周りに人がいなくなることで強化される行動です。3は通話のノイズが減り、相手の声がよく聞こえるようになることで強化される行動です。4は座ったままで話をしていると感じる不安が減ることで強化される行動です。それぞれ行動随伴性が異なるわけです。行動分析学では行動随伴性が異なる行動は外見は同じでも機能が異なる別々の行動であるとみなします。

 そしてそのように考えると想像できるように、これらの行動は機能の違いゆえに、よく見ると外見も少々違っているかもしれません。1や2はひそひそ話になるかもしれません。3では逆に声が大きくなるかもしれません。4では腰を引いたり、ぺこぺこおじぎをするなどの行動が同時に発現するかもしれません。

 もう一つ行動の原因推定を難しくさせるのが「学習」という側面です。目の前に相手がいたときの経験(「座ったままで失礼な!」と怒られたなど)が影響していると考えると4はわかりやすい例かもしれません。1-3も同じです。周りの人に聞かれたくない話をしていたときに歩き回ることで話を聞かれずに済んだという経験が次の行動に影響し、次に周りの人に聞かれたくない話をする電話がかかってきたときに歩き回る行動が引きだされるようになるのです。つまり、現在生じている行動は、現在の状況だけではなく、過去の類似の状況にも原因があることになります。過去の状況は現在生じている行動を俯瞰で観察しても見えてきません。だから推測が難しいのです。

 さらにもう一つ原因推定を難しくさせるのが「過剰般化」(より正確には「隠喩的拡張」)という現象です。周りの人に聞かれたくない話をしていたときに歩き回ることで話を聞かれずに済んだという経験が次の行動に影響し、次に電話がかかってきたときに、周りの人に聞かれたくない話でもないのに、電話がかかってきたという過去の経験と共通する部分的な状況だけから歩き回る行動が引きだされるようになる場合です。

 つまり、「人はなぜ電話中に歩き回るのだろう?」を考えるために、まずは「人はどんなときに電話中に歩き回るのだろう?」から無難にスタートしても、観察するだけで原因を推定するのは困難だということになります。

 そこで「実験」という方法論が登場するわけです。周りの人に聞かれたくない話をするときに歩き回ることで聞かれないからそうするなら、歩き回っても聞かれてしまうようにして、それでも歩き回るかどうかを確かめればいいことになります。たとえば電話をしながら歩き回る同僚に聞き耳を立ててついて回るなどです。携帯や子機の電波が入りにくいから歩き回っているのであれば、どんなに歩き回っても電波状態がよくならないような部屋で電話をしてもらい、それでも歩き回るかどうかを確かめればいいことになります。こうした実験によって、ようやく「人はなぜ電話中に歩き回るのだろう?」に答えがだせるようになるのです。

 そんなことまでする人はいないでしょうね。

 でも、オフィスで同僚が電話をしながらウロウロしているのにイライラしている人は、このようなことを考えていれば、そのうちウロウロに対するイライラは解消するかもしれませんよ。

アーカイブ

法政心理ネット