2013年9月アーカイブ

 「一年に一回とか、極めて稀に、発作的に起こってしまう行動は、どのように測定できますか?」というご質問をいただきました。具体的には、万引きとか、盗撮だそうです。

 応用行動分析学を活かした行動変容の実践では、日々行動を記録し、主に行動の頻度を対象とし、頻度を上げたり下げたりする介入計画を立案して実行します。結果の評価も日々の行動記録を用い、折れ線グラフを描き、介入の前後で水準、傾向、分散を比較します。

 確かに年一回とかの低頻度だと、毎日記録をとってグラフにするのも意味がなさそうだし、介入の前後で行動が変わったかどうかを判断するのも難しい、あるいは数年間のベースラインと数年間の介入後の記録を比較しないと、行動が変わったかどうか判断できなさそうです。

 ワークショップで私が回答したのは、未遂に終わった行動の頻度を測ることでした。そのためには万引きとか盗撮の前段階となる行動を知らなければなりません。たとえば、飲酒の前段階の行動はスーパーでビールを買うとか、居酒屋で酎ハイを注文するとかです。飲酒行動の頻度は、ビールの購買行動や酎ハイの注文行動を減らしたり、炭酸水を買ったり、ウーロン茶を注文したりするという代替行動を増やすことで間接的に減らせます。

 あいにく私は万引きも盗撮もしたことがなく、そうした事例に関わったこともないのでビデオクリップ法が使えず、こうした行動の前段階となる行動が思いつきませんでした。ワークショップの参加者の皆さんにも問いかけましたが、参加者の皆さんも同じく未体験で、「これなら」という標的をみつけることができませんでした。

 さすがに試しに犯罪に手を染めるわけにもいかないので今でもこの無知な状況は変わりませんが、後でもう少し考えてみたら、たとえば、本屋さんで店員の死角となる場所に行くとか(このケースは本屋さんでの万引きだそうなので)、他に客がいないコーナーに行くとか、盗んだ本をいれるための鞄の口を開けるとか、これらが本当に万引きの準備行動になるかどうかはその道のプロに聞いてみないとなりませんが、そういう行動を思いつきました。盗撮についても、たとえば女子更衣室やトイレの近くでカメラを取り出すとか、一目のつかないところから覗くとか、そういう準備行動があるかもしれないと思いました。

 しかしながら、そのように考えながら、もう一つ理解できなかったことは(「理解できない」というのは随伴性を推定したときに辻褄があわないということです)、そもそも「一年に一回とか、極めて稀に、発作的に起こってしまう行動」なんてあり得るのだろうか?という疑問です。

 自発する機会が限定されている行動であればそれだけ低頻度で起こる行動もあるでしょう。たとえば自分なら海で潜るという行動は今では数年に一回くらいの頻度でしか自発されません。でもそれは海に出かける頻度がそれくらいだからです(機会あたりの自発確率であれば高確率になります)。

 自発頻度とはあくまでもフリーオペラントの反応率ですから、いつでも反応できる状態で、しかも強化される可能性はある状態での行動を考えるわけです。

 本屋さんでの万引きについて考えるなら、毎日のように本屋に行けて、毎回のように万引きする機会があることが前提です。そして、これまで万引きしている人で、それが主訴にさえなっている人であれば、行動レパートリーもあり(人目を隠れて本をバッグなどに入れることができる)、万引きの後続条件に好子が含まれていて(見つかりそうになる「ドキドキ」をうまくやることで消失させる)、強化履歴(バッグに入れた本を家に持ち帰ることができた)もある人だろうと推定できます。

 警察庁の「犯罪情勢」によると、万引きの検挙率は凡そ70%台前半で推移しているようですが、これはあくまで認知件数に対する検挙件数の割合です。ある調査は書店で棚卸し時に発覚する商品ロスのうち、万引き被害が占める割合を73.6%と推定しています。つまり、検挙率には含まれないかなりの暗数がありそうだということです。

 これだけのデータから万引きの成功率(強化率)を推定するのは困難ですが、少なくとも3割よりは高そうです。

 もちろん捕まるという弱化の随伴性が伴いますが、それでも強化確率が3割以上のフリーオペラントの自発率が「一年に一回」というのは低すぎるように思えます。自分の行動にもそのような自発様式の行動は見当たりません。

 ですので、自分なら「発作的に」というフレーズを疑い、書店に行く行動の頻度とか、書店での振る舞いとかをもう少ししつこく調べると思います。万引きしそうになったけど(あるいはするつもりだったけど)、何かの事情で(見つかりそうになったとか)中断したというケースや、見つからずに成功したケースをみつけられるかもしれません。前者は上述の準備行動になりますし、後者は正直に報告すると「犯行の自白」になるので言語報告行動に強力な弱化の随伴性がかかっていますが、実態把握には重要なことだと思います。

 そうしたさらなる調査によって、実は万引き行動の頻度が当初の自己報告よりも高ければそのまま標的行動になるかもしれませんし、それでも低すぎるようなら、準備行動を標的行動にできるでしょう。

 その可能性はそれほど高いとは思えないのですが、万引き行動も、準備行動も自発頻度が極めて低く、万引きしたくなる「衝動」はあるがほぼ毎回「自制」していて、それが時々できなくなってしまうということであれば、「衝動」を減らす介入を考えるのも手かもしれません。

 というわけで、このシリーズの次回(最終回)は「衝動」を減らす介入について、そしてそのような私的出来事とか内潜的行動の取扱について捕足します。

 日心のチュートリアルワークショップ『日常生活に活かす応用行動分析学』では、応用行動分析学の考え方を日常の仕事や生活における行動変容に援用していくときの注意点やコツなどについてお話しました。
 90分の持ち時間のうち、私の話と参加者との質疑応答の割合を6:4くらいにするつもりで準備していましたが、いざ始まるとやはり時間的余裕がなく、9:1くらいになってしまいました。結果的に、定員数を絞った意味がなくなってしまいました。この点は、参加者の皆さまにも、当日、参加しようとして断られてしまった方々にもお詫びをしないといけません。すみませんでした。

 さて、ワークショップそのものは「教科書にはあまり書いていないこと」に内容を限定することで、それなりに面白かったのではないかと思います。後日、何人かの参加者の方々から、肯定的な感想をメールでいただきました。
 行動分析学会の会員ではないし、行動分析学を系統的に学んだというわけでもないが、行動分析学には興味があるし、仕事に役立てればいいなと考えておられる関連領域の専門家の人たちのニーズを探ることが、このお仕事をお引き受けした理由の一つでした。参加者の皆さま方のご協力により、これもある程度達成できたと思います。

 ここでは、限られた時間の中で参加者の方からいただいたいくつかの質問のうち、会場ではあまり十分に答えられなかった二点について書くことにしました。
 その1は「自主性」について、その2は「極めて低頻度で起こる問題行動」について、そしてその3はその2の発展として「内潜的行動/私的出来事の取扱い」についてです。

 「自主性」については、三項随伴性(ABC分析)でいえば、できるだけA(先行条件)を減らし、C(結果)で行動が自発されるように工夫するという話をしましたが、これを捕足します。
 ワークショップで想定していたのは、たとえば家でなかなか宿題をやらない子どもが「宿題をする」行動を増やそうとする場面です。
 親が「はやく宿題しなさい」とか「まだしてないの」とか「宿題しないとゲームできないぞ」とか、子どもが自分で宿題を始める前に色々と働きかけて(つまり、先行条件「A」を操作して)宿題を“させる”ことは、その場では成功することはあるかもしれませんが、そうすると、これが制御変数の一部になりますから、言われないと始めない(言われたら始める)ようになってしまう危険性があります。いわゆる「指示待ち」の状態ですね。
 加えて、上記のような言葉がけは、その多くが単なる「脅し」です。“単なる”というのは、宿題をしないと何か重大なことが起こるわけではないという意味です。「ゲームできないぞ」でさえ、本当にゲームをさせないことに成功している家庭は少ないのではないでしょうか。「はやく宿題しなさい」は「さもなくば○○○になるよ」が省略されているルール(随伴性を記述した言語刺激)ですが、まさに省略されている部分は随伴性がないわけです。
 このような単なる「脅し」型のルールは行動を制御する力を持ちません。随伴性は「A:親が「ゲームできないぞ」と言う B: テレビを見続ける C: ゲームできる」です。最初はそれまで他の場面で獲得したかもしれない履歴効果でテレビを見る行動を抑制し、宿題を始める行動を引き起こせたとしても、随伴性がなければ効果は消失します。
唯一残る効果はそうした言葉がけそのもが持つ嫌子としての機能ですから、子どもが宿題に取りかかるとしてもそれは「グダグダ言われ続けるのをやめさせるため」です(嫌子消失による強化です)。逆に言えば、グダグダ言い始めたら宿題に取りかかりなさいね、そうすればグダグダ言うのを止めるからというふうに教えているわけで、子どもは素直にそれを学ぶはずです。つまり、親がいるとき、しかもグダグダ言われたときだけ宿題をする。しかも、宿題し始めれば(少なくとも親にそう見えるように)いいわけですから、それで何らかの学習が起こる確証はまったくありません。このときの随伴性は「A:親からぐだぐだ言われる B: 宿題を始める(or ふりをする) C: 親がぐだぐだ言うのを一旦やめる」です。
 これが「指示待ち」の正体です。そして、これは家庭での宿題に限らず、パパさんの家事手伝いでも、会社での仕事でも、基本的には同じことなのです。

 「自主性」を高めるということは、言われなくてもするということです。自分から進んでやるようになるということです。ですから、親や上司からグダグダ言われなくても行動するように随伴性を設計します。
 そのためには、基本的にはC(結果)を増やします。子どもがゲームをする時間を親がコントロールできている家庭なら、宿題が終わったら(終わったときだけ)ゲームができるというのも手ですし、おやつやTVや音楽鑑賞やPCなど、子どもがそのことに向けてなら頑張れるという好子を出現させて、行動を強化するのが基本です。
 もちろん、モノ以外の好子も、それが好子として機能するなら使えます。親からの褒め言葉が機能するなら、それでもOKですが、子どもが大きくなってくるとそれだけではうまくいかない場合も多いはずです(だからこそ「はやく宿題しなさい」とか言わなくちゃならないわけだから)。それでも、たとえば、「宿題をして新しく学んだことを一つだけ教えて」と質問して、それをきっかけに「そうなんだ。それはお母さん知らなかったなぁ」とか、「これについてはどうなのかしら」とか、学んだことを承認しながら、それに関するおしゃべりを自然にするなど、社会的な好子を組み込むことも可能です。ただし、これも親と話をすることが好子となっていることが前提となりますから、日頃からの親子の関係性(お互いが習得性好子になっていて話し合う行動が相互に強化されているかどうか)が重要になります。

 以上はいわゆる「教育的」強化随伴性についてです。「教育的」強化随伴性とは、行動レパートリーの獲得に向けて、自然な随伴性だけでは望ましい行動が獲得できない場合に、補助的に付加する随伴性です。一度行動レパートリーが獲得されれば、自然な行動随伴性だけで行動は維持されます。
 たとえば、読み書き算術などは、日常生活に随伴性がありますが、そのまま放置しておいただけでは獲得が難しいので、何かしらの教授システムを使って教えるわけですが、一旦、行動レパートリーが獲得されれば、その後は「行動」を「こうどう」と読めたことを褒めなくても、維持できます(日常生活に読み書き計算をして強化される場面がたくさんあるからです)。
 ゲームで子どもの宿題をする行動を強化したり、おこづかいで部屋の片づけを強化するのは、“飴で子どもをつっている”ようなもので、むしろ「自主性」を育むことを妨害するのではないかと疑問に思う人もいるかもしれません。特にいわゆる「内発的動機づけ」の話をどこかで聞いたことがある人はそのように考えて、C(結果)を操作することにも反対することがあるようです。こうした反論に対する私の回答は次の三段階+αからなります。
 まず、すでに自分から宿題したり、片づけをしている子どもの行動を、わざわざゲームやお小遣いで強化する必要はありませんし、普通、しません。部屋が片づけている状態が好子だったり(片付いていない状態が嫌子だったり)、宿題をしてそれまでわからなかったことがわかったり、上達したりすることや、課題が終わることが好子になっていたり(終わっていないことが嫌子になっていたり)することが推定されますから、もはや「教育的」強化随伴性は必要ないわけです。
 次に、まだできていない子どもの行動に「教育的」強化随伴性を付加することで、将来、付加した随伴性なしには行動できないようにならないかという疑念ですが、これはそういう可能性もありえます。ただし、「教育的」強化随伴性を追加したことが原因というよりも、日常生活における行動随伴性がそもそもその行動の自発を十分に強化しないためと考えます。
 どういう場面でそういう可能性が高く、どういう場面でそういう可能性が低いかは、随伴性を書き出してみれば、ある程度は推定できます。
 たとえば、文字の読み書きや計算のように、日常生活に強化随伴性があるなら、行動レパートリーの獲得後に「教育的」強化随伴性を中止しても行動は維持されます。
 片づけはそうはいかないかもしれません。たとえば、片付いてない部屋に散らばっている雑誌を一冊本棚に戻しても部屋全体が片付くわけではなく、その行動は強化されません。これは塵も積もれば山となる型の随伴性であり、日常生活の随伴性が必ずしも望ましい行動を確実に強化できない場合です。こうなると、「教育的」強化随伴性による介入で一次的に片づけ行動の自発頻度を上げても、「教育的」強化随伴性を中止した後で行動が維持できるかどうかは不確実ということになります。
 ただ、希望はあります。片づけ行動を「グダグダ」指示のような嫌子ではなく、好子出現の随伴性で強化することで、片付いている状態が習得性好子としての機能を持つようになる可能性です。こうなれば、「教育的」強化随伴性を中止した後でも、片づけ行動が内在的強化随伴性で維持されるかもしれません。自発的に、楽しく片づけをしている人の行動はおそらく何かしらの履歴で、片付いている状態が習得性好子としての機能を獲得している人たちと考えます。片づけにおける「自主性」の理想型の一つと言えるでしょう。
 「教育的」強化随伴性を中止しても行動が維持されるかどうかを推定するもう一つの簡単な方法は大人の行動観察です。「教育的」強化随伴性で子どもの頃に教えられて(今は教えられていない)大人が、「教育的」強化随伴性なしで自主的に行動できているかどうかを観察すればよいのです。読み書き計算ができるようになった大人が、いまはしなくなったという話は聞いたことがありませんが、片づけをしない大人はたくさんいますよね。実際、学校コンサルテーションをしていると、職員室の自分の机の上は書類などでごちゃごちゃになっている先生が、子どもには完璧な清掃を要求していたりして、苦笑してしまうことがあります。そういう先生には「まずご自分の机の上を片づけてみませんか?」と助言させていただくこともあります。皮肉ではありません。そうすることで、片づけや清掃行動の随伴性をより正確に記述できるようになりますし、自然な随伴性では十分に行動は自発されないときに、どういう付加的な随伴性を整備すれば行動を自発させ、維持できるかもわかるようになるからです。

 まとめると「自主性」を高めるには、増やしたい行動を先行条件ではなく、後続条件で強化する、できれば好子出現による強化随伴性を追加して強化することが望ましく、追加した随伴性を中止しても行動が維持できるかどうかは自然の(日常生活の)随伴性次第であり、ずっと付加的随伴性が必要な場合もある、ということになります。

さらなる捕足:

  • もちろん「自主性」は行動分析学の概念ではありません。上記の分析は、世間で「自主性」が高いと言われている人の行動とは、行動分析学からとらえるとこのように解釈できますよという話です。「自主性」が自主的な行動の原因ではありません。誤解のないように。
  • すでに行動内在的強化随伴性で自発されている行動にモノなどの好子出現による強化随伴性を付加してすると、その付加的随伴性を中止した場合にどうなるか、これがいわゆる「内発的動機づけ」研究の一般的な実験手続きですが、上述したように、教育場面、臨床場面では、こういうことは普通はしません(しているとしたら、それは無駄な介入です)。ですが、無理にでもそういう介入をした場合にどのような効果があるかは、実は教育心理学の教科書などで概論されているほど単純ではありません(これについては機会があれば別途記事を書きます)。
  • 「教育的」強化随伴性を導入するのは、現状では(日常の随伴性では)学習が進まないと判断したときなので、たとえば、ゆっくりとでも学習が進行しているときに、そのまま待つか、加速させるために「教育的」強化随伴性を導入するかは臨床的な判断になると思います。その場合、「教育的」強化随伴性を導入したことで、もしかしてそのままにしておけば自然な内在的随伴性の制御下に入ったかもしれない行動を、内在的随伴性の制御下に起きにくくなる(「教育的」強化随伴性を中止しても維持されにくくなってしまう)という可能性はなきにしもあらずだと思います。ただ、そのままにしいても、いつまでたっても学習が進まない可能性もあるわけで、「臨床的な判断」というのは事前に完全に予見するのは困難なので、どちらかに決めざるをえないことも多く、その場合は選ばなかった選択肢を選ばなかったことに後悔するより、選んだ選択肢から先を考えていく方が適応的だという意味です。

吉田先生からの問いかけ:

マルチベースラインデザインによる研究とリプリケーションの違いは?
そもそもベースラインがマルチなのか?

 私たちは “Multiple baseline design” を「多層ベースライン法」と訳しています(『行動分析学入門』産業図書)。いつ、なぜ、「マルチプル(Multiple)」が「マルチ」になってしまったのかは不明ですが、バーロー&ハーセンの訳本『一事例の実験デザイン』でも、アルバート&トルートマンの訳本『はじめての応用行動分析』でも確かに「マルチベースラインデザイン」と訳されています。
 私たちが「多層」という和訳を選んだのは、この実験デザインを用いて行った研究では、参加者間や場面間、あるいは行動間のデータを、縦に「多層」的に積み並べた折れ線グラフで表示し、分析するからです。そして、この実験デザインの特徴がまさにそこにあるからです。
 多層ベースライン法では、一つの折れ線グラフについて、ベースライン期と介入期を比較するだけではなく、そのときに、他の、まだ介入を開始していない折れ線グラフのベースラインで変化が起こっていないことを確認します。グラフを縦に多層的に積み並べているのは、横軸の時間軸をあわせ、同時性を確保し、介入を始めた条件では行動が変わっているのに、同時期に介入をしていない他の条件では行動に変化が起こっていないことを視覚的に確認するためです。他の条件で変化が起こらなければ、介入以外の剰余変数の影響を排除できる可能性が高まります。そして、介入が行動変容の主因であった可能性を高めます。
 逆に介入を開始していない他の条件でも行動が変化してしまったら、それは介入以外の剰余変数の関与、もしくは次のご質問にあるように「般化」を示唆することになります。これについては後述します。
 多層ベースライン法は、AB法(ベースライン期と介入期を比較する方法)の反復による再現(「リプリケーション」を私たちは「再現」と訳しています)をしていく方法ではありますが、同時に、複数の条件間で時間軸をあわせることで、上記のような剰余変数の排除を試み、結果として内的妥当性を確保しようとする実験デザインなのです。
 このあたりのロジックは、上記の本よりも、"White Book"という相性で呼ばれる、クーパー・ヘロン・ヒュワードの"Applied Behavior Analysis"の方に詳しく、よりわかりやく解説されています。この本は、応用行動分析学を勉強する人にとっては、必読書の一つだったのですが、ようやく日本語訳が出版されましたのでご紹介しておきます(私はまだ日本語訳は読んでいません)。

吉田先生からの問いかけ:

行動間 or 状況間マルチベースラインデザインによる研究において,最初の介入期に後続の検討対象となる行動や状況において効果が見られないことの意味は?
般化(?)が生じないものだと見なす根拠ないし論拠は?
以上の4つの事柄に関する各研究者の(当該の研究における)考えについて論述する必要はない のか?

 多層ベースライン法を適用するときの前提の一つは、各条件における行動が独立であること(共変化しないこと)、それでも行動のもつ機能はある程度、類似していることです。実験者は実験計画を立てる段階で、標的行動の随伴性を分析したり、先行研究を調べることで、この前提がどれだけ成立しているか「あて」をつけることになります。
 たとえば、発語のない知的障害があるお子さんにカードの交換で要求することを教える新しい方法を開発するとして、訓練場面が学校の給食時間、最初の訓練者が担任の先生、訓練する行動が「お茶」の要求だとします。給食の時間に副担任の先生もいつも同席していて、このお子さんに関わっているようなら、副担任に対するカード要求は訓練しなくても般化によって生じる可能性が大きいです。なので、カードによるお茶の要求訓練の効果を指導者間の多層ベースライン法で確認するのは難しいと判断します。
 そこで、「お茶」で訓練したカードによる要求が「チョコレート」を要求することに般化するかどうかを考えます。これなら機能は十分に類似していますが、先行研究から独立した行動であることが示唆されるので、行動間多層ベースライン法を適用できると判断します。
 判断がつきにくい場合もあります。このお子さんが自宅に帰って、夕食の時間に、お母さんに対して、「お茶」のカード要求ができるかどうか。これはグレーゾーンかもしれません。参加者間の多層ベースライン法を組むための参加者が他にみあたらず、どうしても新しいカード訓練方法の効果をこのお子さんで確認したいとゼミ生に言われたら、私なら暫定的に多層ベースライン法でやってみることを勧めるかもしれません。家庭で般化せず、家庭でのお母さんによる再訓練が必要なら多層ベースライン法が適用可となります。もし家庭でのやりとりにも般化したなら、この事例からは般化の可能性が示唆されたことになり、ただ、その再現はできていませんから、「般化」なのか、その他の剰余変数が効いているのかは判断できません。他のお子さんで再現できるかどうか、さらに研究を重ねることになります。
 多層ベースライン法を適用して開始した実験で、最初の条件で効果的だった介入が他の条件では効果がなかったり、不十分であるとわかることもあります。その場合には、その条件の随伴性を見直して、その条件で行動変容が起こるための追加の条件を導入することが多いです。つまり、多層ベースラインの条件によって、ABだったり、ABCだったりする場合です。
 こうなってくると、単なる再現は失敗しているので、解釈は難しくなります。制御変数を明らかにするという意味では、条件を増やしたり、別の参加者を使って、ABで行動が変容するときと、ABCで行動が変容するときの決定因を探していくことになります。
 ただし、制御変数の特定には失敗していても、介入には成功しているわけで、少なくとも、その参加者のその条件でのその行動を変えたという臨床的価値が残ります。これは仮説検証型の群間比較デザインにはない、シングルケースデザインの長所の一つだと思います。

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(やたらと「私見」と断り書きするところが多くて歯切れが悪いのですが、学会という公的組織についての見解や、行動分析学という学問に関する私の理解について書いていますので、無用な誤解が生じないための配慮とお考え下さい)

吉田先生からの問いかけ:

心理的メカニズム(内的過程)についての論述は絶対不要なのか,(現在も)自明のことだと考えているのか?

 まず「内的過程」が実在するものなのか、それとも架空のものなのか(仮説的構成体なのか)に分かれると思います。
 前者の場合、たとえば「強化」にはどのような神経生理学的なメカニズムが関わっているのかといった問いに興味がある人は多いと思いますし、数多くの学際的な研究がすでに行われている領域です。
 ただ、そうした研究による知見によって行動の制御変数がより詳しくわかるようにならない限りは、本業の研究よりも、そちらの方に傾斜していく研究者は少数派ではないかと思われますし、行動分析学の学術誌においても背景にある仕組みを考察する必要はないと判断されるのではないかと思います。
 これは、メカニズムの研究に意味がないということではなく、単純に、隣接学問の研究であるということです。学際的研究の成果については、行動の制御変数に及ぼすメカニズムの影響を示した研究であれば行動分析学の雑誌に掲載されることもあるでしょう。それ以外の研究はそれぞれ専門の雑誌に掲載されていますし、これからもこうした分業体制に変わりはないのではないかと予想します。
 仮説的構成体については、今も昔も変わらずに、行動の制御変数を探すという仕事には必要ないし、むしろ妨害的に働くと考えるところが行動分析学の特徴の一つです。

吉田先生からの問いかけ:

このことに関して学会は一枚岩なのか?

 調査しているわけではないので断言はできませんが、常識的に考えたら「一枚岩」ではないと思います。
行動分析学会の会員にも、色々な領域で様々な仕事をしている人たちがいます。専門が行動分析学以外の会員さんもおられます。それぞれお考えをお持ちだと思います。
 これは私見ですが、他の心理学会と一番違うところは、やはり、行動の制御変数への興味だと思います。この行動はどうすれば変わるんだ?という問いに答えられる研究に価値を置く人が、基礎でも、応用でも、多い学会だと思います。逆に言えば、それ以外については、かなりバラバラだと思いますし、そのような多様性はむしろ健全だと私は思います。たぶん、三十年前の学会設立時には、当初の会員にも、回りで見ていた人たちも純粋無垢な「スキナリアン」の学会のように写っていたのではないかと思います。しかし、少なくとも、現在、会員の中で、自らをわざわざ「スキナリアンです」と呼ぶ人はむしろ少数派だと思われます(行動分析学を専門にしていますという人はいても)。「スキナリアン」って何ですか?と言う人がいても驚かないくらいかも。

吉田先生からの問いかけ:

「開かれた」というのならば,このことを再考する必要があるのでは?

 心理学界における学術団体は、各学会が学問(理念・哲学・方法論)というより、研究対象やトピックごとに構成されていることがほとんどです。日心でも教心でも基礎心でも、そもそも様々な学問を専門とする人たちで構成された組織なので、わざわざ「開かれた」と言う必要もないのでしょう。これに対して、行動分析学会は学問が構成員の主な共通要素で、その意味でも特異な学会です(ただし、これが特異なのは、もしかしたら心理学界のそれこそ特異な特徴なのかもしれません)。
 日本行動分析学会では年次大会でも他の学問領域や分野から専門家をお呼びして講演していただくことが多いですし、非会員に向けた公開講座も実施してきています。日本行動分析学会第5回論文賞を受賞した丹野・坂上(2011)では学際的研究の推進の必要性が主張されていました。日本行動分析学会の論文賞は会員からの投票によって選考されます。学際的研究の推進については、おそらく一定の指示を受けていると思われます。
 学際的な研究の推進は、他の学問の専門家で、行動分析学やその研究を知った人が「これは面白い!」、自分たちならこう取り組むと進めてくれることが、これまでは多かったのではないかと思います。「強化」の背景にある神経生理学的なメカニズムに関する研究もそうですし、行動経済学の専門の人たちが、実験的行動分析の選択行動の実験を引用するのもそういう流れです。
 行動分析学の専門家自らが学際的研究に取り組むのが消極的に見えるとすれば、それは研究者の総数が少ないためではないかと私は考えています。基礎系の専門家、研究者の数が増えれば、自然と研究対象も広がり、学際的研究をする余裕もでてくるのではないかと思いますが、昨今、どこも基礎系の研究者にとっては厳しい状況ですので、楽観視はしていません。

  • 丹野貴行・坂上貴之(2011)行動分析学における微視-巨視論争の整理 行動分析学研究, 25(2), 109-126.

吉田先生からの問いかけ:

「他の事象との関連性・共通性の高い心理過程を変容させる」という考え方が入り込む余地はないのか?
より上位の概念レベルでの理論構築の必要性はないのか?

 ごめんなさい。これはちょっと具体的なイメージがつかめず、回答できそうにないので、文献や情報の提供だけにさせて下さい。

 たとえば、望月・佐藤(2003)では「性格」を高次オペラントとして分析しています。第三世代の行動療法とされるACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)は、その理論的基盤の一部をRFT(Relational Frame Theory)においています。RFTは、端的に言えば、関係性の学習を分析する枠組みです。
 前者は行動分析学の既存の概念で「性格」という人の行動傾向を記述、解釈できるかどうか検討しているのに対し、後者は、実験手法はこれまでの行動分析学の研究と変わりはないのですが、提唱者であるHayesらは「post-Skinnerian」をうたっています(それに対する異論反論もあります)。
 これは私見中の私見ですが、行動分析学の楽しさの一つは、一見複雑に見える行動現象が案外単純な変数で制御されていることをみつけることではないかと思います。“ストイック”なのかもしれませんが、既存の基本概念でまずは変数を探索し、どうしてもそれだけでは何がどうなっているかわからないときでさえ、それを説明するためだけに新しい概念を持ち込むのには躊躇する。そういう傾向は強くあると思います。

  • 望月 要・佐藤方哉(2003) 行動分析学における"パーソナリティ"研究 行動分析学研究, 17(1), 42-54.
  • Hayes, S. C., Barnes-Holmes, D., & Roche, B. (2001). Relational frame theory: A post-Skinnerian account of human language and cognition. New York, NY US: Kluwer Academic/Plenum Publishers.

場面緘黙の本は少ないので、貴重な一冊である。しかも、前半はマンガ、後半はスモールステップでの指導や練習に使えるチェックリストや具体策のイラストなどが掲載されていて、とても使いやすそうな本にまとまっている。

緘黙そのものよりも、緘黙によってQOLが落ちないように、できることを伸ばしていくアプローチにも好感がもてる。

昔、テニス仲間に極端に無口な大学生がいた。テニスをしているときも、飲み会でも、自分からはまったく話さない。こちらが酔っぱらって、しつこく質問を繰り返すと、ようやく、ぼそっと一言二言、返してくれた。

周りは「個性」として受け止めていたように思う。本人がどう感じていたかはわからないが、テニスも飲み会も、時々、突っ込まれるのも、楽しんでいたように思う。

話ができなくても(しなくても)、それが「無口」という「個性」でしかなく、友人関係や仕事に影響せずに、適応できれば「障がい」ではないのだと思う。そして、そのための環境作りも実は重要だったりするのだと思う。

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定義:
 ホーソン実験とは「1924年から32年にかけてシカゴのウェスタン・エレクトリックのホーソン工場で実施された一連の研究」(『組織行動のマネジメント』p. 176、S. P. ロビンス、ダイヤモンド社)である。適度な照明などの労働環境を科学的管理法の視点から探るのが目的であったのがそのような変数は生産性に影響を与えず、実験に参加した「少数のメンバーが、そのように期待されるとそのように行動する」(『組織の心理学』p. 138、田尾雅夫、有斐閣ブックス)という成果に終わった。これが、いわゆる実験者効果を確認したと、ネガティブに捉える解釈が広まり、ホーソン効果というと実験者効果(観察者効果)を意味することが多い。

行動分析学的解釈:
 ホーソン実験とそのデータはその後、さまざまな研究者から最解釈が試みられていて、その解釈は定まっていないが、そのうちの一つが、パフォーマンスフィードバックやペイ・フォー・パフォーマンス、すなわち作業に対する強化随伴性によって作業効率の増加を解釈する考えであることはあまり知られていない。
 Parsonsは下記の論文で、リレーの組み立て作業実験について、組立て個数のフィードバックや給与の一部が歩合制になっていたことによる、賃金による強化随伴性が効いていた可能性を指摘している(実験者効果と随伴性効果の混交)。

  • Parsons, H. M. (1974). What happened at Hawthorne?. Science, 183(4128), 922-932.
  • Parsons, H. M.  (1978).  What Caused the Hawthorne Effect?: A Scientific Detective Story.   Administration & Society,10, 259-283.
  • Parsons, H. (1992). Hawthorne: An early OBM experiment. Journal of Organizational Behavior Management, 12(1), 27-43.

 余談ではあるが、ホーソン実験に参画していた研究者の一人である T. N. Whiteheadとスキナーとの関係性・関連性が下記の論文に推察も含めてまとめられている。Whitehead氏の父がやはりハーバード大学の哲学の教授であり、息子さんも同席した会合での、父 A. N. Whiteheadとのやりとりから、Verbal Behavior の執筆が始まったとのことである。

  • Claus, C. K. (2007). B. F. Skinner and T. N. Whitehead: A brief encounter, research similarities, Hawthorne revisited, what next?. The Behavior Analyst, 30(1), 79-86.

本シリーズの過去記事一覧:

○(その従属変数に対する,その介入は)
「不可逆的な変化をもたらすものか」
「持ち越し効果があるものか」
「効果が現れるまでに時間がかかるものか」
といったことについて,どう考えているのか?

前回のご質問(「フォローアップ」と条件反転による行動変容の有無について)と関連している問いですが、それぞれ回答します。

「不可逆的な変化をもたらすものか」
 行動の変化と維持をもたらした条件が継続する限り、原則的には、その行動は元には戻らないと考えますが、これを「不可逆」と言うかどうかは「不可逆」という言葉の定義次第だと思います。
 新しい行動レパートリーをシェイピングしたあとで、消去したら、次にまたその行動を強化するときには初回よりも短い試行数や時間で訓練可能ですが、こうした学習の累積性のようなものを「不可逆」と定義することもできるかもしれません。

「持ち越し効果があるものか」
 過去の強化歴は現在の行動に影響します(「強化歴」の効果として研究対象とされています)。また、直前の反応率が現在の反応率や行動の変化に影響することもわかっています(「行動慣性」や「変化抵抗」として研究されています)。こうした文脈からすれば「持ち越し」効果はあって、研究されていると言えます。

「効果が現れるまでに時間がかかるものか」
 随伴性が変化してから行動が変化し、安定するまでには時間がかかるときもあれば、かからないときもあります。これは制御変数次第です。たとえば、随伴性を記述した言語行動(ルール)の介在によって行動が変容するときには、ルールが自発されてすぐに行動が変わることもあります。随伴性が変化した後も、これまで自発されていた行動が間欠的に強化される場合には、行動の変容までに時間がかかったり、場合によっては変化しないこともありえます。

 随伴性の変化から行動の変化までに時間がかかることもあることから、シングルケースデザインの研究法の多くでは、介入前後の二点比較(事前事後の比較)ではなく、比較的長期間にわかる多時点での時系列測定をするわけです。
 シングルケースデザインで複数の介入方法の効果比較がしにくいのも、介入の相互作用を無視できないという、こうした事情によるものです。

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  • 「インクカートリッジ」で検索しているのに、全く無関係な注文がヒットする。
  • 検索対象期間を絞ると、キーワードが消えてしまう(期間を絞ってキーワード検索できない)。

この記事を参照してカスタマーサポートに連絡してみようと思います。

後日談です。

まず、驚いたこと。

昔、Amazonのカスタマーサービスといえば、どこに問合せ窓口情報があるのかわからないほどでしたが、なんと今では(いつからこうなのかわかりませんが)、電話番号を入力すると、Amazonから電話してきてくれるんですね。しかも「5分以内に」という指定させできます。

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次に、残念だったこと。

注文履歴の正体がわかりました。カスタマーサービス担当の方とお話しているときに気がついたのですが、どうやら「インクカートリッジ」で検索すると、検索文字列の一部分、たとえば「カー」とか「リッ」とかを含む商品までもヒットしてしまうということです。しかも、文字列のどのくらいが重複しているかで重み付けていないので、ぴったんこの「インクカートリッジ」を商品を含む履歴が最上部に表示されるということもないとのことです。

サービス担当の女性はどうもよくわからないらしく、メーカー名で検索してみて下さいとか、「インクカートリッジ」と「ブラザー」をスペースで区切って検索して下さいとか言われます。

でも、メーカー名「ブラザー」で検索すると「真空マグカップブラック」とか「ブラックジャックによろしく」とかがヒットしちゃいますし、スペースはどうやら「and」ではなく「or」の機能しかないようで、さらにヒットする履歴が増えちゃいます。

と、結果を知らせても女性にはピンとこないらしく、「お買い上げになった日付を入力してみて下さい」などど、無茶なことを言われました。そんなの覚えてなくてもいいように検索の仕組みがあるのにね。

というわけで、開発チームに改善要求を送ることをお願いして電話を切りました。

対策です。

これまでAmazonの注文メールなどは商品到着した後で削除していましたが、これを削除せず、残すようにして、メールの履歴から検索することにします。

おわり。


iPhoneやiPadで読むのにとても便利な「日本経済新聞SPbeta」(html5使っていて、記事の一括読込も可能)なのだが、見出しの構成に改善の余地ありです。

見出しの機能は、読みたい記事に視線を移動させ、読まない記事は視線をスキップさせることで、無駄な視覚的走査を減らし、読みやすさを実現することにあります。昨日の記事でいえば「アウトライン」です。ところが、そうなってないのです。

特に酷いのがスポーツ欄。ほぼ毎日こんな調子です。

「プロ野球」の見出しに「フィギュア」が混ざってます。
   ↓   ↓   ↓

Img_2050

この日なんか、わざわざ「テニス全米オープン」て見出しつくってくれているのに、その中にボクシングやスケートが混ざってしまってます。
   ↓   ↓   ↓

Img_2051

ぜひ、ぜひ改善して下さい。種目別に見出しをつくり、記事が少ない場合は「その他の種目」でいいと思います。

 

うちのゼミでは、卒論/修論/博論の執筆で「パラグラフ・ライティング」法を指導しています。

パラグラフ・ライティングとは、各段落に一つの論点を「トピック文」として段落の先頭に書き、段落の残りの部分は、論点の論拠や例などを「サポート文」として書いていく方法です。だから、一つの段落内に「しかし」や「ところが」、「そして」など、異なる論点をつなげる接続詞は含まれません(その場合、別途段落をたてることになります)。

段落の先頭の「トピック文」だけを拾い読みしても全体の論旨が明確になるように書きます。極端な話、トピック文だけをつなげれば、論文全体の要約文が完成する仕組みです。

私はWestern Michigan University に留学中、英作文の授業で「パラグラフ・ライティング」を教えられ、その後、博論の執筆でも同じようなフィードバックを受けました。米国では(おそらく英国など、英語圏では)標準的なレポートの書き方なのだと思います。

ゼミで「パラグラフ・ライティング」法を指導しているのは、論文全体を通した論旨の展開を明確にするためです。そのために、まずは、トピック文だけからなる「アウトライン」を書かせています。つまり、レポート執筆方法というよりも、論理的に考えて書くための指導の一貫として、「パラグラフ・ライティング」法を使っているということです(こういう指導を始める以前は、序論と考察で書いてあることが正反対だったりすることもありましたし、何が言いたいのか、読み手も本人もわからない論文が出来上がってしまうこともありました)。

これまで「パラグラフ・ライティング」を解説した和書がなかったので、ゼミ生には苦労をかけていましたが、ようやく一冊、解説書が見つかりました(というか、2012年の11月の新刊です)。この本自体も「パラグラフ・ライティング」で書かれていますので、どんどん読み飛ばしできます(これもメリットの一つです)。

来年度、サバティカルから戻ってゼミを再開するときには、この本を参考書に使いたいと思います。

論理が伝わる 世界標準の「書く技術」 (ブルーバックス) 論理が伝わる 世界標準の「書く技術」 (ブルーバックス)
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「質も量も」二兎を追うアップル  「新型iPhoneは有害物フリー(無し)なだけでなく、アンドロイドフリーでもある」。10日の発表会でアップルのフィル・シラー上級副社長は会場を沸かした(日経新聞 2013/9/12)。

なんて書くから、まさか新型iPhoneはアンドロイドインストールできるのか!(?)と思って、基調講演のビデオ見直してしまった(汗)。

フィル・シラー氏、iPhone5cが環境にやさしく、有害物質をださない作りになっていることを説明した後で、確かに「yes, android free」と一言シャレを言って、会場もうけてるけど、これはメインテーマじゃないよね。

びっくりこいた。

名言〔第15位〕:「強みを総動員する」

解釈:

上司でも、部下でも、自分自身でも、苦手な行動、不得手な行動をする機会よりも、好きな行動、得意な行動をする機会を増やした方が、組織にとっての成果につながる。

苦手な行動とは、行動内在的に嫌子出現によって弱化されている行動である。不得手な行動とは、主に行動レパートリーが未習得か不十分なため行動内在的に強化率が低い行動である。どちらも、うまく遂行できないときには、叱責などの嫌子出現による弱化の随伴性が付加されることがあると、さらに「苦手に」、さらに「不得手に」なる悪循環となる。

反対に、好きな行動とは、行動内在的に好子出現によって強化されている行動である。得意な行動とは、行動レパートリーが十分に習得され、流暢であり、行動内在的に強化率が高い行動である。どちらも、うまく遂行できたときには、賞賛などの好子出現による強化の随伴性が付加されることがあると、さらに「好きに」、さらに「得意に」なる好循環となる。

組織の成員個人の、好子、嫌子、行動レパートリーを把握し、仕事や作業とうまく組合わせ、悪循環を減らし、好循環を増やすことで、組織全体のパフォーマンスをあげていくことができると考えられる。

本シリーズの過去記事一覧:

吉田先生からの問いかけ:

ベースラインに戻したときに従属変数の値が介入前の値(の方向)に戻ることの意味について
・介入の効果を主張するための強い証拠?
・効果の持続性がない(強い効果がない)ことの証拠?
これらは矛盾することではないのか? 各研究では,どうなることを目指している(ないし,想定している)のか?
・介入の除去とフォローアップの違いは?

 最後のご質問に最初に回答します。 「フォローアップ」は学術的な定義がない用語です。なので「フォローアップ」と命名された条件でどのような手続きが用いられていたかについては各論文にあたるしかありません。ご指摘の通り、介入をそのまま続けて、介入の持続効果を評価した研究もあれば、介入を除去し、それでも行動が維持されるかどうかを検討した研究もあります。さらに、たとえば実験終了後、実験者が介入場面から去った後で、教員や保護者が同じ介入をどれだけの精度でどれだけの頻度続けたかはわからない状況で、とりあえず従属変数だけは測定したということもありえます。
 つまり「フォローアップ」と命名された条件で実際にどのような手続きがとられていたのかは、論文中にできるだけ詳細に書くか、あるいは「放置状態で不明」と書くべきであり、もし「フォローアップ」という名称だけ書いてあってそれ以外の情報が見当たらないようであれば、それは論文の不備にあたると思います(著者、査読者、編集委員会・長による査読&編集過程で確認、修正されるべきことだと思います)。

 介入を中止して行動が元に戻る、もしくは戻らないことをどのように解釈するかですが、これは標的行動に関する随伴性の解釈がどうなっているか、そもそもベースラインで標的行動が自発されなかった(あるいは自発されすぎていた)理由をどのように解釈するかによると思います。
 たとえば、大人の手をとってお茶の方に近づける反応(その形態から「クレーン反応」と呼ばれます)で要求していた子どもに、カードの交換でお茶を要求することを分化強化手続きで教えたら、分化強化手続きを継続しなくても、日常の随伴性がカードを見せる行動を強化し、維持することでしょう。その場合は、ベースラインに戻しても行動は反転しない可能性が高いです。つまり、日常生活には標的行動を強化する随伴性があるけれど、その行動レパートリーが未形成もしくは標的行動と両立しない行動が強化されていて自発されないときに、新たな、より望ましい標的行動を形成した(と解釈する)場合です。
 逆に、たとえば、登校してからの着替えに、他の子どもや教員にちょっかいをだしたり、座って自己刺激行動をしたりするなどの逸脱行動が多くて、時間がかかっていた子どもに、着替えが終わったらゲームができるといった随伴性を提供すれば、逸脱行動が減り、着替え時間も短縮できる可能性がありますが、この場合、介入前後で他に随伴性が変わらない限り(例:着替えが早く終わることでゲーム以外に何か楽しいことができるとか)、行動は元に戻る可能性が高いと考えられます。これは、日常生活に標的行動を強化する随伴性がないか微弱で、行動レパートリーはすでに習得されていても自発されない(と解釈する)場合です。
つまり、介入中止によって行動が元に戻るかどうかは、ベースラインと介入の随伴性を記述し、比較することで、予測し、解釈することになります。

 シングルケースデザインは介入の効果を検証する方法ではありますが、同時に、行動の制御変数をみつける方法です。たとえば介入が複数の独立変数からなるパッケージになっている場合などは、どの変数が効いたのかはわからないので、効果検証のみで制御変数の同定までには至らないケースもありえます。
 上記のような随伴性の分析により、介入中止後の予測をして、それがはずれる場合もあります(日常生活で強化・維持されると想定した新しい行動レパートリーが維持されないとか、介入を継続しないと維持できないと想定された標的行動が維持されたときなど)。こういう場合は、行動観察などから事後的に随伴性を再分析し、結果を解釈することも可能で、これは論文でいえば考察で論じるべきことでありますが、こうなると、その実験では制御変数が明らかになっていないことになるので、条件を追加してさらに実験を追加するとか、再試、追試をして不明な制御変数を明らかにする方が生産的であり、価値があると考えるのが、行動分析学では一般的です(推測や解釈より、条件操作による実証が重視されるという意味です)。

 ただし、これがそのまま学術論文の査読基準にあてはめられているわけではありません。「理想」的な、高水準の論文しか受理しないとしたら、掲載論文数が発刊に至るまでに足らないということになるかもしれません(これは国内の、研究者の会員数が少ない、小さな学会では、どこでも抱えている課題ではないかと思います)。
 つまり、機関誌に掲載されている論文がすべて「理想」的な研究論文ではないということです(ちなみに、行動分析学研究ではこれまで「原著」と「短報」という区分けで、この違いを明示してきています)。
 吉田先生がシンポジウムでご指摘下さったように、なぜそのような介入をするのか、どのように介入の結果を解釈するのかを、もう少し丁寧に書くべきとの印象を与える論文があることには私も同意見です。特に、推定される行動随伴性は明確に書き、論じるべきだと考えていますが、これは学会内で一致した見解ではありません。

7月の日本行動分析学会年次大会自主シンポジウム「『罰なき社会』を再考する」で山本央子先生からいただいた宿題の報告です。

犬のしつけで殴ったり、蹴ったり、チョークチェーンで絞めあげたりするなど、嫌子を使った弱化や阻止(回避)が使われることを止めるには、飼い主が声をあげていくしかないという山本先生のご主張はごもっともです。

私は以前このブログで某区の主催する「犬のしつけ教室」に対する苦情を書きましたが、山本先生によればそれでは不十分なので「区の担当者に電話して下さい」という宿題をいただいたわけです。

そこで区の保健所に電話しました(お盆前の話です)。そして「犬のしつけ教室」の担当者Aさんと30分近く話をさせていただきました。

それでわかったことです。

  • 保健所にはしつけの専門家がいるわけでなく、Aさんもまったく関係のない部署からこの4月に異動になったばかりである。
  • 保健所で犬(や猫)のしつけに関する相談には応じていない。
  • Aさんたちの日常の業務の一つには、近所からクレームがあった犬猫への対応がある(飼い主さんからの相談はまずなく、近所の人から「あのうちの犬が吠えてうるさいから何とかしてくれ」というクレームが入るそうです)。
  • クレームへの対応としては、現地に赴いて実態を確認すること、飼い主さんに話をすることだけ。
  • 「近所からクレームがあるのでなんとかしてください」とは言うそうですが、専門家ではないので、どうすれば犬の吠えを止められるかはアドバイスしない(できない)そうです。
  • 「それではクレームされた飼い主さんも困りませんか?」と聞くと、「確かにそうなので、わかる範囲のアドバイスはすることがあります」とのこと。
  • 「どのようなアドバイスをするのですか?」と聞くと、「ラジオのノイズを流しっぱなしにするとかですかねぇ」とのこと。
  • 「民間のしつけ教室を斡旋したりはしないのですか?」と聞くと、「公の組織なので特定の民間業者を推薦することはできません」とのこと。
  • 「それでは、ほんとに困っている飼い主さんにとっては役に立ちませんよね」と言わせていただきました。
  • 「そのようなクレームはどのくらいあるのですか?」と聞くと、Aさんが担当されているエリアで4月から数件ということでした。これが多いのか、少ないのかはよくわかりませんでした。

他にも色々は話をさせていただいたのですが、最後に、愛する飼い犬の吠えや噛みや排泄で困っている人はたくさんいると思うので、ぜひその人たちの役に立つ「しつけ教室」にしていただきたいことをお願いし、そのためには講演形式ではなく、せめて後半の時間を相談にあてるべきであると意見を言わせてもらいました。保健所の日常業務としてそういったサービスがないのですから。Aさんによれば4月のしつけ教室の感想にも同様の意見があったそうです。

最後に、私のブログ記事をファックスさせていただくことにして、電話を切りました。記事はファックスしましたが、読んでいただけたかどうか、理解していただけたかどうかは未確認です。

区では「犬のしつけ教室」を年に2回開催しているそうですから、できる限り次回の教室にも参加し、このクレームの効果を確認したいと思います。効果がないようなら、次の一手を考えます。

殺処分される犬や猫の数を減らすことは、倫理的にも経済的にも行政にとってメリットがある話だと思うので、保健所による(あるいは民間委託による)、適切な(嫌悪刺激を使って悪化させない)しつけ支援サービスの提供には意義があると思います。一市民としてのアクションがどのような効果を持つか、探ってみることにします。

8月は学会、研究会、研修会、里帰り旅行と、行事が目白押しで、7月末の日本行動分析学会創立三十年記念シンポジウムで関西学院大学の吉田寿夫先生から投げかけられたいくつもの重要な問いかけにブログで答えるという仕事が置き去りになってしまっていました(吉田先生、ごめんなさい)。

とぎれ途切れになりそうですが、一つずつ考え、個人的な見解を書いていこうと思います。形式的には公開返信のようになりますが、吉田先生に宛てて書くわけではありません。吉田先生はもちろんご存知であることも書くことになるからです。吉田先生個人に対する回答ではなく、これを機会に物事を整理し、吉田先生以外の方にも共有させていただくための記事ですので、ご了解下さい。吉田先生は、記念シンポジウムのために行動分析学研究を何号も読んで下さり、下調べをして下さったそうです。残念ながらシンポジウム当日にはせっかくの興味深い論点がほとんどふれられずじまいでした。吉田先生への感謝の気持ちとお詫びの気持ちの両方をこめて書かさせていただきます。

まずは、これから。

吉田先生からの問いかけ:

 そもそも、シングルケースデザインという名称は適切か? ケース数が重要なのではなく、個人内(での操作した独立変数と測定された従属変数の間の)共変動に基づいた検討をしていることがポイントでは?

 名称の妥当性については後述するとして、群間比較デザインに対する参加者内(個体内)比較デザインという意味では、ご指摘の通りだと思います。
 ただし、単なる参加者内比較デザインではありません。他の実験心理学の実験でも、たとえば記憶の実験で刺激の特性による差を参加者内で比較するように、参加者内比較デザインを援用することもありますが、シングルケースデザインでは、一つの独立変数に対して従属変数が《変化する》まで《繰り返し測定》すること、そしてそうすることで両者の因果関係を判定するところに特徴があります。
 通常の実験心理学の実験で群間比較デザインを用い、代表値の比較をする場合には、たとえば参加者内変化量(例:事前事後テストの差)の平均値を群間で比較することになりますが、仮説とは逆の方向や傾向を示す参加者がいても、それはそのままです。個人差が相殺された上での群間の差が問題とされるため、《変化する》まで条件を変えていき制御変数を探すことはしませんし、変化するまでの過程(例:独立変数が投入されて急激に変化したのか、徐々に変化したのかなど)も検討されません(多くの場合、事前事後などの二点測定しかないので)。
 現在「シングルケースデザイン」と呼ばれている方法論を、たとえば「参加者内比較デザイン」と呼んでしまうと、こうした違いが強調されなくなったり、見落とされてしまうと思います。

 “シングル”ケースデザインという名称でありながら、重要なのはケースの数ではないことはご指摘の通りです。“シングルケースデザイン”という名称を“一事例の実験デザイン”と訳してしまうことで、n=1の実験計画法なのだという誤解が生まれてしまったことからすれば、確かに適切な名称ではなかったのかもしれません。
 しかし、こうした誤解は名前を変えるだけでは修正できないようにも思えます。シングルケースデザインを用いて行われた実験の結果は、ほとんどが比較的単純な折れ線グラフによって提示されます。そのことで、この研究法そのものが「単純」であると思われがちなのですが、原理原則は単純だとしても、正しく実行し、正しく解釈するための条件や配慮すべき事項は数多く、習得はそれほど簡単ではありません。したがって、名称というよりも、むしろ内容が正確に理解されるような参考書や教材や指導が重要なのだと思います。

 とりあえず今日はここまでです。続きはまた来週に。

Pigeon_system

Larry Page と Sergey Brin が Skinnerの行動分析学にもとづいて開発した、ハトのチーム(Pigeon Clusters: PC)を使った低コストで高性能の検索エンジン。

知らなかった... 

(2002年のGoogleによるエイプリルフールの記事です)

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