2012年12月アーカイブ

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日本教育心理学会第55回総会テーマ: 成果の見える教育環境づくり
日 程:2013 年 8 月 17 日(土)・18 日(日)・19 日(月)
会 場:法政大学・市ヶ谷キャンパス

 教心は幽霊会員だし、来年度はサバティカル。大学のお仕事は休みして、論文と本の執筆に専念する予定なのです。でも地元開催で、総会のテーマが「成果の見える教育環境づくり」、キーワードが「エビデンス」ということもあり、14年ぶりに参加することにしました。たぶん1999年の甲南女子大学以来だと思います。

 行動分析学関係では、特別講演にSchool-Wide Positive Behavior Support(SWPBS)のGeorge Sugai 先生の招聘が決まっています。スガイ先生には1999年にオレゴン州立大学を訪問したときにたいへんお世話なりました。SWPBSの講義を聴講させていただいたり、地域の学校でのコンサルテーションに同行させていただいたりしました。そのときのレポートは下記に公開しています。

 

 国内からは、慶應義塾大学の山本淳一先生にお願いして「発達・教育支援におけるエビデンスにもとづいた実践」という準備委員会企画シンポを計画しています。こちらの方も内容が明らかになり次第、お知らせします。

 大学が学会などに使いやすいようにキャンパスを開放していないため、お盆明けという微妙な時期の開催とはなりますが、「成果の見える教育環境づくり」は行動分析学の得意分野ですので、私と同じように久しく幽霊会員の方々も、ぜひこの機会に発表、参加をご検討下さい。

  • School-Wide Positive Behavior Supportについてはこちら
  • 最近SWPBSの枠組みで開発されているいじめ対策プログラムについてはこちら
  • 日本教育心理学会のwebサイトはこちら
  • 大会準備委員会からいただいた第一号通信はこちらから。

奥田健次先生の新書『メリットの法則—行動分析学・実践編』を読みました。初めて日本行動分析学会の年次大会に参加されたときに “コンディショニング”や“トリートメント”とという言葉が飛び交っているのを聞いて、「ここはシャンプーの学会か!」とツッコミたくなったそうですが、この本のタイトルを初めて聞いたときには私にも「ん? 花王さん??」といらぬイントラバーバルが出現しました。

当たり前ですが、なかみはまったく行動分析学の話です。奥田先生が取り組まれてきた様々な臨床事例について、死人テストと具体性テストによって行動が特定され、医学モデルに陥らないように随伴性が分析され、行動変容のための技術が再現可能な手続きとして解説されていきます。

阻止の随伴性についてもわかりやすく、そして臨床で重要な概念として取り上げられています。伝統的な行動療法ではレスポンデント消去として解釈されるエクスポージャー(曝露療法)を、阻止の随伴性として再解釈し、レスポンデント消去によって不安を減らすというよりは、社会・生活適応にとって望ましいオペラントを強化し、その結果、レスポンデント消去によって不安が減る(こともある?)と、逆説的に捉えているところは、最近の奥田先生の一連の臨床研究の成果でしょうね。

その他、不登校・再登校支援の問題が、学校と家庭という2つの場面における対応法則を「てんびんの法則」という、よりわかりやすい比喩で解説されるなど、とても読みやすい本で、一気に読了しました。

臨床に興味のある行動分析学の初学者にお薦めします。


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奥田 健次

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忍者がクリッカートレーニングしてる珍奇なYouTubeビデオがあるよと教えてもらい、はると一緒に鑑賞。

確かに珍奇なビデオだが、それより面白かったのは、はるが動画を見ながら、音を聞きながら首を傾げること。

普段から、何かよくわからないことがあると首を傾げる。時々、こういう行動がでてくる。まるで、「なに? なに?」と“考えている”ようだが、もちろん犬族だから、そのような人族の言語行動があるわけではない。

どうやら既知の刺激やまったく新奇な刺激というよりは、どこかで見たり、聞いたりしたことがある刺激だけど、まったく同じではない場合に自発されるようだ。

自分はアラビア語が読めないから、文字を見せられても無反応だが、たとえば、中国語の簡体字を上下ひっくり返して見せられたら、たぶん、首をかしげたりして見る角度を変え、読めるかどうか試してみると思う。レストランで中国語のメニューを見ているときのことを思い浮かべて欲しい。

これは、テクスチャル(読字)という行動クラスが強化される事態であることを示す弁別刺激はあるのだが、そのままでは強化される反応を直接誘発する弁別刺激がないときに、そうした弁別刺激を生みだすことで強化される“問題解決行動”であると考えられる。

はるの首を傾げる行動も、そうすることで、画面の見え方や音の聞こえ方が変わり、何からの反応が誘発されるようになる問題解決行動なのかもしれない。そのように解釈すれば、自然に存在する行動内在的随伴性で、一見知的で、人らしいこの行動の源も理解できるのではないだろうか。

つーか、何より可愛いし(^^;;)。

 ゼミ生全員が八分咲きの卒論をしっかりと仮提出してくれました(お疲れさまでした)。それに対するコメントも書き終え、千葉県某高校での模擬授業も終わり、少々余裕ができたので、“強化と罰は「同じものの裏表」ではないと”について書いてみます。

 かのスキナー先生も罰(と言わずに私たちはこの頃「弱化」と呼んでいますが、この話はまた後で)と強化は「同じものの裏表」と単純には考えていなかったふしがあります。『罰なき社会』では罰の副作用についてふれ、正の強化を使うことを奨励していますが、副作用そのものが罰の手続きが行動の頻度を下げる主因であると考える人たちもいるのです。

 強化は行動の直後に環境が変わったこと—たとえば正の強化子(これも私たちは「好子」と呼んでいますが、今回の記事ではトラッドな用語を使います)が出現すること—でその行動の将来の頻度が増加する現象です。逆に、罰(弱化)は行動の直後に環境が変わったこと—たとえば負の強化子(これは「嫌子」と呼んでいます)が出現すること—でその行動の将来の頻度が減少する現象です。

 「同じものの裏表」ではないと考える人たちの説はTwo-Factor Theory(二因説)と呼ばれます。これは、たとえば、餌で強化されているラットのレバー押しに電気ショックを呈示したとき、レバーが条件刺激となって不安を誘発し(レスポンデント)、レバーから離れる行動がこの不安から逃避できることで強化され(オペラント)、その結果、レバー押しの頻度が下がると解釈する理論です。不安や恐怖反応の出現や、逃避・回避行動の自発は、まさにスキナーが罰の副作用と指摘した効果です。これに対し、罰も強化と同じように環境の変化がそのまま直接行動の自発頻度に影響しているのだとみなす説がOne-Factor Theory(一因説)です。

 二因説と一因説のどちらが妥当な解釈なのかを実証的に扱った研究はそれほど多くありませんが、選択行動のパラダイムで対応法則にどのように罰の随伴性を表現するのが妥当かという実験がいくつか行われています。ただし、動物実験であれば、強化に使う刺激(例:餌)と罰に使う刺激(例:電気ショック)が質的に異なるので比べにくいといった技術的な問題があります。ヒトを対象にした実験であれば、たとえばスイッチを押したら10円もらえたり、逆に10円失ったりする条件を設定できますが、行動経済学の研究から明らかなように、文化・社会的な背景(条件づけの履歴)によって、失う方に高いバイアスがかかりやすいなどの難しさがあります。それでも、これまで行われた研究からは、一因説によってたつ direct-suppression model の方が、どちらかというと二因説によってたつ competitive-suppression modelよりもあてはまりがいいことを示した研究の方が多いようです。ヒトを対象にした論文では Critchfieldら(2003)が、これまでのこのあたりの研究の流れも解説してくれているので参考になるでしょう。また、やはりヒトを対象に、同じ価格でも罰の方が強化の3倍も効果があることを示した実験もあります(Rasmussen & Newland, 2008)。なにしろ、研究の絶対数が少ないので、断言できるほどの証拠があるわけでありませんが、今のところ、一因説が優勢というのが私の理解です(そうでもないよという人がいらしたら、個人的にご教示下さい)。

 しかしながら、一因説が成り立つ、つまり、たとえば電気ショックの呈示によってレバー押しの頻度が直接低下することがわかったとしても、そのことがすなわち二因説で考えられているようなレスポンデント的な不安反応や、それが確立操作となって誘発され、強化される逃避・回避行動の存在を否定するものではありません。こうした副作用によって罰の効果が拡張される可能性もあるでしょう。失点の方が得点よりも3倍も効果があるという上述の実験結果はそうした副作用の一つを示しているのかもしれません。

 電気ショックのような負の強化子ではなく、テレビゲームのような正の強化子を使った罰の手続き(反応コストやタイムアウト)によっても行動の頻度が減ること、そしてそういう場合に必ずしも情動的な反応が現われるわけではないことから、こうした手続きには直接行動を減らす効果があると考えています。しかし、逆に、回避の随伴性が行動の頻度を減らす仕組みの解釈には、二因説を用いた方がすんなりと説明がつくと考えています。なぜなら、回避の随伴性には、行動の前後に環境変化がないため、何かしらの変数が必要で、かつ、内観(!)によって、不安などの私的出来事を観察することが可能だからですが、これについても断言するにはもっとデータが必要になるでしょう。

 個人的には、行動の制御変数を探るのに大切なのは、一因説や二因説といった理論構築よりも(そうした検証の価値を否定するものではありませんが)、どのような変数がその行動を制御しているのかを一つひとつ丁寧に検討、検証していくことだと考えています。たとえば、二因説では罰の随伴性が強化の随伴性に及ぼす影響のみが想定されますが、論理的はその逆も考えることができます。実験で罰の随伴性を使うには、当然その前に反応を自発させないとならないですから、実験者は罰とは別に強化の随伴性を用意することになります。強化の随伴性の設定にはそのような必要がありません。このことから、罰の随伴性(というか負の強化子)から強化の随伴性(というか正の強化子)への一方的な影響が注目されるのだと思うのですが、よくよく考えると、これはおかしな話です。単純にレバー押しを餌で強化する随伴性でも、たとえばレバーを押すには反応コストが随伴するという目に見えにくい罰の随伴性が存在するからです。レバーを押すのに必要な労力(反応回数でもレバーを押すのに必要な力でも)を上げていけばこの随伴性は顕在化します。二因論をとるのであれば、正の強化によってこうした罰の随伴性に対する感受性が変化するのだとも言えます(もしかしたらそうかもしれません)。正の強化子との対呈示によって、レバーが条件性強化子となり、実験箱のそれ以外の場所にいるよりもレバーの近くにいる配分が高くなったり、実験箱内をうろうろしても、レバーの前に戻ってくる行動の頻度が上がり、その結果、相対的にレバー押しの頻度が高まるのかもしれません。こうした頭の体操は、馬鹿馬鹿しい解釈で終わることも多いとはいえ、応用・臨床場面においてはそれまで気がつかなった制御変数をみつけるきっかけになることもあるのです。

というわけで....

“強化と罰は「同じものの裏表」ではないと”に対する私のつぶやきはこうなります。

“「同じもの」や「裏表」の定義にもよるけど、どうやら両方とも単純に反対方向に機能する法則のようですよ。でもそうでもないかもと色々考えてみると行動を理解するための諸変数が見つかるから決めつけないで考え続けるのはいいことだと思います”

なお、今回は「弱化」や「好子/嫌子」にアレルギーがある人たち(?)にも読んでいただきたくてトラッドな用語を使いました。用語についてはまた別の機会に記事を書きます。ただ、少なくとも、「好子/嫌子」は「慶応の人たち」みたいな学閥くくりで使われている用語ではないです(→渡邊先生)。たとえば、坂上先生はおそらく使わないし、山本先生は聞き手が誰かで使い分けてらっしゃるのではと想像します。

さ、今週の仕事はこれで完了。はると散歩に行ってから、ビール&食事です。

皆さま、Have a nice weekend!

引用文献

  • B. F.  スキナー (1991).  罰なき社会  行動分析学研究, 5(2), 87-106.
  • Critchfield, T. S., Paletz, E. M., MacAleese, K. R., & Newland, M. C. (2003). Punishment in human choice: Direct or competitive suppression? Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 80, 1-27.
  • Rasmussen, E.B. & Newland, M.C. (2008). Asymmetry of reinforcement and punishment in human choice. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 89, 157-167.

スバルのi-Sightに始まり、自動車各社が“安全運転”支援技術、もしくは事故回避のテクノロジーにしのぎを削っているが、少々不安にもなる。

「国内の交通事故の死者はシートベルトの普及などで年間4千人台に減ったが、事故の件数自体はあまり減っていない。今後は高齢ドライバーの増加が予想され、安全性への要求はさらに高まる。日本メーカーには世界をけん引する安全技術を期待したい」(日本経済新聞, 2012/12/08)とあるが、「リスク・ホメオスタシス理論」によれば、こうした安全技術が進んでも“運転距離あたりの事故数”は減らない可能性がある。

テレビのCMを見ていると、逆に、これまでは運転に自信がなくて免許を取っていなかったり、ペーパードライバーだった人たちが、これなら私でも大丈夫と運転を始めることを期待しているつくりになっていて、だとすると、それはまさに「リスク・ホメオスタシス理論」の予測するところとなる。

『交通事故はなぜなくならないか:リクス行動の心理学』(p. 171-173)では、リスク・ホメオスタシス理論の反証として取り上げられることのある日本の交通事故のデータを分析し、実は理論とは矛盾しないことを示しているのだが、死亡者数は減っているのに事故の数は減らないというのはまさにこの理論を支持しているように見える。

自動車の自動運転技術は、高速道路でトラック数台を無線で連結し、先頭のドライバーだけが運転し、後続は自動追尾させるような実験まで行われているようだが、こうした技術の進化が運転行動にマクロで与える影響については慎重に吟味すべきである。

交通事故はなぜなくならないか―リスク行動の心理学 交通事故はなぜなくならないか―リスク行動の心理学
ジェラルド・J.S. ワイルド Gerald J.S. Wilde

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日曜日のFDフォーラムは予想以上に楽しめた。何よりも玉川大学の菊池繁雄先生のお話が情報満載で面白かった。

玉川大学では以下の改革を推進しているとのこと:

  • 卒業要件としてGPA2.0を採用する(よってCを取った科目は再履修を可能にする)。
  • 授業時間は100分とし、授業外学習時間を確保するために16単位キャップ制を設ける。
  • 時間割を調整して、連続コマでは受講できないようにして(例:1時限めの授業をとったら、次の授業は3限以降にしか採れない)、隙間時間に自習活動を促す。
  • 通常の春学期、秋学期の他に、夏冬に集中授業期間をもうける(この期間の授業は科目数に応じて追加料金をとる)。
  • 時間割がうまく組めないなら、早朝の授業や夜間の開講も検討する。
  • 教員の担当コマ数にもキャップをもうける(通年10科目)。

「秋入学制度」のような雲をつかむような話ではなく、学生の学修(能動的な学びを「学習」とは区別してこう呼ぶそうな)の機会を確保し、支援するために、かなりラディカルではあるが、理にかなった方向性の一つだと思った。

風邪気味で発熱していたこともあり、パネル討論では若干とちくるった回答をしたような気がする。「授業改善をする気のない大学教員をどのように動機づけられるか?」といった主旨の質問に「大学には色々な人がいることが大事だし、学生もそれを学ぶことが重要だから、そのままにしておけばいいと思う」と回答したのだが、真意は次のとおり。

授業改善をする気のない教員をその気にさせるのはとてつもなく大変なことだし、そういう人はそれほど多くない(10%? 20%)。しかもこれからはどんどん減っていくはず。だから、大学全体で改善努力をするときには、大学側が支援すれば自発的に改善していく中間層を大事にしていった方が楽だし、おそらくお互い苦しむことなく成果もでるだろう。

当日の私の話題提供のスライド資料はここからダウンロードできます(←個別的な事例の話で、どちらかというと技術的な話です)。

追記:私は大学教育の質を改善する早道は授業料の従量課金と年限制の廃止だと考えてるのだが、玉川大学の夏冬集中授業(従量課金)はその意味でも興味深いものだ。菊池先生も同様の考えで、どうやら法律上は従量制は可能だそうだ。ただし、いくつかの理由で実現には大きな壁があるという(大きな壁についても菊池先生からお話をうかがったが、私信なのでここでは公開しない。興味のある人は機会のあるときにでも菊池先生に直接お尋ね下さい)。

201212082

大学の仕事ですが.... FDフォーラムというイベントで、大学の授業改善について話をします。予習、復習を増やす工夫など。

興味がある人はどうぞ。12月8日です。詳細はこちらから。

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