2012年2月アーカイブ

Vpnmac

CISCOのVPNクライアントの調子が悪くて(?)、自宅から大学のLANに接続できないことがあった。再起動とインストールを繰り返しても、つながったり、つながらなかったり。

調べてみたら、MacOXは、10.6(Snow Leopard)からOSのデフォルトでVPNをサポートしていたということがわかりました。

大学の情報センターもこれについてマニュアルを配布していたようです(わかりにくいけど)。

法政ではPsychological Scienceの最新版も読めるようになり、来年度からはAPA系の雑誌もオンラインで読めるようになります(なかなかスゴい、うちの大学)。

家で仕事をする時間が増々増えるかも。

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行動分析学にもとづいたワンコの飼い方を学ぼうと、山本央子先生にお借りして読んでいます。

臨床動物行動学(Clinical Animal Behavior)という領域があること、その基礎を作られたDavid Tuber博士がオハイオ州立大学(応用行動分析学の鉄板教科書 Applied Behavior Analysis が生まれた大学です)にいらしたこと、家庭犬のしつけや問題行動の解決に関するたくさんの行動分析学的な研究がなされていたのに論文としてはほとんど出版されていないことなどなど、今まで知らないことだらけです。

とりあえず、現在、うちの子にとって課題となっている"分離不安"の章を読みました。

私はてっきり鳴かせて消去させるのかと思っていました。ところが、この本では、不安状態の犬は(動物は)学習が進みにくいので、不安にさせないようにプログラムを組む重要性が指摘されています。

このところずっと読んできた数々の「犬のしつけ本」(和書)には、犬にでかけることがわからないように(たとえば「行ってくるよ」などとは言わずに)でかけることが望ましいと書いてありましたが、この本では、むしろ、そのうち帰ってくることを示す刺激を提示して(たとえば、洗濯物が手がかりとなって洗濯しにいなくなっても不安が生じないとか)、不安が生じないことを確認しながら、数十秒から1分、2分、3分、5分、10分と、不在時間を徐々に、そして変動させながら伸ばしていく方法が説明されています。とにかく不安にさせないことが大切なので、うちの子の場合なら、鍵をじゃらじゃら持つのはしばらくやめることになります。

ドライブに出かけてたとき、車に置き去りにしても泣きわめかない犬がいるのは、こうした訓練を飼い主が気づくことなくやっているからだという解釈です。

90分間不安にならず待てるようになれば、6-8時間くらいは待てるようになることが多いそうです。

こういう手続きの有効性を示すエビデンスも知りたかったので、調べてみたら、どうやらありそうです。

これとか。
 ↓   ↓   ↓
Butler, R., Sargisson, R. J., & Elliffe, D. (2011). The efficacy of systematic desensitization for treating the separation-related problem behaviour of domestic dogs.  Applied Animal Behaviour Science, 129, 136-145.

残念ながらうちの大学ではオンライン契約してないようなので、取り寄せて読んでみます。

春休みの課題です。

Readings in Companion Animal Behavior Readings in Companion Animal Behavior
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 このたび日本行動分析学会では学校法人ヤマザキ学園のご協力の元、「ほめて育てるしつけ」に関する公開講座を開催することになりました。正の強化を使ったしつけ法は我が国においても広がりつつあるものの、いまだに罰や嫌悪刺激も使われているようです。 また、ほめてしつけているつもりでいながら、実は知らずに嫌悪的な手続きを使ってしまい、それが問題行動を引き起こしている事例もみられるようです。このようなしつけについて再検討し、ヒトとイヌとがハッピーにコミュニケーションしながら暮らす方法について、専門家から飼い主さんまで、多様な人たちで共に考えるきっかけとなれば幸いです。
 つきましては、関連する諸機関の皆さまには、ぜひともご参加いただきたく、案内をお送りした次第です。「ほめて育てるしつけ」に興味のある方、飼い犬の問題行動にお困りの方、しつけに関する科学的な捉え方に関心のある方などにお声をおかけください。

公開講座:ヒトとイヌとのコミュニケーション
-- ほめて育てるしつけの盲点 --

日 時:2012年3月10日(土)13:00-17:30
会 場:法政大学市ケ谷キャンパス  富士見坂校舎F-309教室   
主 催:日本行動分析学会
協 力:学校法人ヤマザキ学園
参加費:¥1,000円 webから要予約(http://www.j-aba.jp/
*定員に達し次第、申込みを終了しますので、お早めにご予約下さい。

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徳島ABA研究会からのお知らせです。今年はサマースクールのアドバンスコースとして私が関わった事例研究も発表されます。まだ手探りのアドバンスコースですが、研究者や研究者のタマゴ(大学院で行動分析学を研究している博士課程の院生やポスドクなど)が、行動分析学を学んだ教員と協同で研究や学校コンサルテーションの実習をじゃんじゃか進めることができる仕組みをつくろうとしています。興味がある方はぜひ一度徳島までお越し下さい。私も参加します。

学校でここまでできる! 一人ひとりの子どもを伸ばす特別支援教育

 特別支援教育の時代を迎え,教育現場ではどのように一人ひとりの子どものニーズに応え,個性や能力を活かした指導を進めるかが大きなテーマになっています。
 今年度は,国立特別支援教育総合研究所主任研究員の猪子秀太郎氏をお招きし,知的障害教育の現状と今後の展望について,最新の情報や話題を取り上げていただく予定です。
 また,本年度,特別支援学校で行われた事例研究のポスター発表を行います。どんな子どもにどんな支援ができるのか,事例を通して具体的な支援についての情報交換の場にしたいと考えております。特に今年度は,徳島ABA研究会スタッフが取り組んだ最新の研究成果の発表も行いますので,ご期待ください。
 特別支援教育に関わる教師,保育士,関係の方々のご参加をお待ちしております。

日 時:2012年3月3日(土)13:30〜17:00
場 所:鳴門教育大学附属特別支援学校(徳島市上吉野町2-1)
*会場は体育館ですので十分な防寒対策をしてお越し下さい。
参 加 費:無 料
対  象:特別支援教育に関わる保育士,幼・小・中・高・特別支援学校等教員,
関係機関職員,保護者,一般
主  催:徳島応用行動分析学(ABA)研究会
後  援:徳島県教育委員会・徳島県特別支援教育研究会・徳島新聞社・NHK徳島放送局

講演会:13:30〜15:00
「知的障害教育の現状と今後の展望」
 国立特別支援教育総合研究所  主任研究員 猪子 秀太郎 氏 

研究発表会(ポスター発表):15:10〜17:00
 今年度,鳴門教育大学附属特別支援学校,徳島県立国府支援学校,徳島県立阿南支援学校,同ひわさ分校,徳島県立板野支援学校などで行われた事例研究について,ポスター発表を行います。研究成果を見て,気軽に質疑応答できます。

 先日の卒論発表会でうちのゼミ生が発表した嘘を見分ける弁別学習の実験について、吉村浩一先生からいただいた質問について考えてみました(吉村先生には「島宗先生にお聞きしたい」と言われたものの、発表会ではゼミ生に回答してもらった案件です。学生にとって卒論発表会はこれまで勉強し、練習してきた成果を発揮する絶好のチャンスですから、教官がその機会を奪ってはならぬというのが信条です。M澤さん、上手に回答できてたよ)。

 吉村先生の質問は2段階。一つは「行動分析学は行動が生起したかどうかを1/0でしか測定せず、それはもったいないのでは?」というコメント。もう一つは、もっと具体的に、「(嘘か本当かという判断の)確信度を測定したらどうでしょう?」というご提案でした。

 まずは最初のコメントについて。「行動分析学は行動が生起したかどうかを1/0でしか測定しない」というのは誤解です。標的行動の頻度を測定することが多いのでそのように感じるのかもしれませんが、行動の強度(たとえばボタンを押す強さ)、行動の早さや速さ(たとえば反応時間や速度)、変動性(たとえば反応パターンの多様性)も研究の目的次第で従属変数とすることがあります。それに、そもそもオペラントの自発頻度を測定しているのも、本当は反応強度や反応確率を推定するためです。なので、実験の目的や状況によって、単純に行動を数えるよりも妥当な測定法があれば、そちらを使うのはやぶさかではありません。

 後で関連しそうなので、別の例もあげておきましょう。たとえば、長さや重さを推定するオペラント(タクト)を考えてみます。弁別刺激は何かしらの物体(たとえばお箸)と「長さは何センチですか?」という質問です。この場合の標的行動は弁別刺激の長さのタクトですから、たとえば正確さを調べたいのであれば、正解(例:12 cm)と反応との差を従属変数にできます。長さのタクトは教育的随伴性(「そうだね」などの承認)によっても、実際に自分で測定して正解を知ることでも(行動内在的強化)形成されることでしょう。ちなみに、私はこうした測定が大の苦手です。先日も食器棚に入れるトレーを買いにIKEAまで行ったのですが、買って帰るときてみると大きさが合わず、入りません(泣)。よくよく観察すると、食器棚の幅が底に行くほど狭くなっていて、しかも隅がカーブ処理されていました。内側の正確な測定が困難であった原因がわかったのですが、これは言い訳(しかも蛇足でした)。

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長さや大きさなどの判断には相対的なタクトも考えられます。「スプーンは箸よりも長いですか?(どちらが長いですか?)」「この箸はあの箸よりも重いですか?」などなど。最近では、こうした複数の刺激間の関係性については、関係枠理論(relational frame theory)という考え方で実験が計画され、解釈されるようになってきています。

 物理的特性のタクトは精神物理学とも関連してきます。さらに私的出来事(private event)にも関連してくるので慎重な考察が必要です。たとえば、明るさのタクトは「どのくらい明るいですか?」が弁別刺激のとき(通常の明るさ判断)と、「光度はどのくらいですか?」が弁別刺激のときとでは強化される反応が異なります。これが、単に強化随伴性の違いを反映したものではなく、光源の強さと明るさの知覚の関係にベキ関係があるというのが精神物理学の発見なわけですが、そうなると、もしかすると「どのくらい明るいですか?」の弁別刺激の一部は、光源そのものではなく、視覚刺激によって引き起こされた私的出来事(明るさの感覚)であると考えた方が適切なのかもしれません。

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 測定できないものを科学の対象から排除したはのは方法論的行動主義であって、徹底的行動主義では、実体はあるが測定はできない刺激については私的出来事として随伴性の枠組みに組み込みます。たとえば、胃潰瘍が原因で腹痛をもよおしているとき、お腹がズキズキする刺激/反応は外からは観察できませんが、「ズキズキする」などのタクトの弁別刺激としては成立すると考えます。

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 ただし、実在しない媒介変数は想定しない行動分析学にとって、何でもかんでも「私的出来事」を仮定してしまうのは危険です。「慎重な考察が必要」というのはそういう意味です。これは、個々の事例を考えるとけっこう難しいところでもあります。腹痛は私的出来事と考えて良いと思います。光源を見たときの「まぶしさ」も私的出来事と考えて良いと思います。しかし「明るさの感覚」となると私にもよくわかりません。

 もっと面倒なのが、たとえば"購買意欲"です。うちのゼミの他の学生の発表にも「どちらが欲しいですか?」とか「どのくらい欲しいですか?」に対する回答を"購買意欲"を示すものとして測定した研究がありました。一般的に"購買意欲"とされるのはまさに媒介変数で、本来、行動分析学では用いない概念だし、"購買意欲"が高いから購入するといった循環論に陥った説明もしません。それでも"購買意欲"と呼ばれるものが何なのかを随伴性の分析から解釈することは可能です。一つは「ズキズキする」や「明るさの感覚」と同様に「欲しい感」のような私的出来事があると仮定する場合です。「欲しい感」があまりに怪しそうなら、「ドキドキ感」(こんなものが部屋にあったらどのくらいウキウキするかなど)でもいいかもしれません。ただしこれも、たとえば"新奇性"を"ものめずらしさ感"、"親近性"を"親しみやすさ感"などとしていくと、どんどん媒介変数らしく、怪しくなっていきます。

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 「欲しい感」と「ズキズキする」や「明るさの感覚」との間には大きな違いもあります。胃潰瘍とズキズキ、光刺激と明るさの感覚には一対一の自動的な対応が成立しています。訓練は必要ないし、個体差も最小でしょう。潰瘍で胃に穴があいているのに痛みが無いとか、(視覚が正常として)ある程度の光源をみつめているのに明るく感じないということはなさそうだからです。でも、猪のぬいぐるみをどのくらい欲しいかについては個人差もあれば状況による違いもあるでしょう(例:どんなに猪が好きでもこのぬいぐるみをすでに何個も持ってたら、もう一つは欲しくないだろうし)。そうなると、ぬいぐるみの欲しさのタクトの制御変数としてもう一つ重要なのは、このぬいぐるみが自分にとってどのくらい好子となるのかということかもしれません。つまり、「このぬいぐるみを買うのに千円払います(そして満足します)」とか「あなたがこのぬぐるみを私にくれるのであれば喜んでいただきます」というような随伴性の記述ということです。

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 こうやって考えてみると、一つひとつの分析はかなり怪しいものの、確実に言えるのは、「どのくらい欲しいですか?」という質問に対する回答は実験者が把握しきれない種々の弁別刺激に制御されているタクトであるということです。つまり、これで何を測っているのかは、実はよくわからないということになります。もちろん、実験の目的次第ではそれでも構わないこともあるでしょうが、得られた結果を一般化しようとするなら(特に実際の消費者行動に適用しようとするなら)、必ず問題となることです。アンケート調査では高い"購買意欲"が確認できていたのに、発売してみたら売れなかったという話はよくあると聞きますが、これもそう考えると不思議ではないですね。

 さて、いよいよ「確信度」評定の話になります。複数不特定の変数に制御されていて、しかも実験者が知る余地のない変数の影響も受ける(確信度に与える"文化"の影響についてはここを参照)という理由で、結局、何を測っているか分からないという点が、"購買意欲"と共通です。実際、たとえば目撃証言の研究では、再認の精度と確信度との間に一貫した関係がみられないそうです(高橋, 2008)。

 随伴性を分析してみると、その理由も推測できます。再認課題では"既視感"のような私的出来事が弁別刺激になっているのかもしれませんが、確信度評定では、この既視感の強さが弁別刺激になっているのかもしれないし、自分の回答が正解しそうかどうかという確率推定のタクトなのかもしれないし、間違ったときに怒られることを回避するようなオートクリティックの機能があるのかもしれません。これでは、"記憶"の程度(や"嘘"だと思う程度)の測定としては妥当性、信頼性がある指標にはなりません。

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 というわけで長くなりましたが、吉村先生の質問に対する回答は、

Q:「行動分析学は行動が生起したかどうかを1/0でしか測定せず、それはもったいないのでは?」
A: 「それは誤解です。頻度以外の測度を従属変数とすることもあります」

Q: 「(嘘か本当かという判断の)確信度を測定したらどうでしょう?」
A: 「記憶の再認課題などで使われている確信度評定は妥当性、信頼性に欠けているので使いませんが、もちろん、何かしらの方法で妥当性、信頼性をもって測定できる方法が開発されれば使ってもいいと思います」

 ということになりましょうか。

 おかげでたくさん考えました。とても良いコメントと質問でした。ありがとうございました。

引用文献

高橋 晃(2008)繰り返し項目についての再認の正答率と確信度評定の関連  心理学研究, 79(5), 439-445.

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定義:
 「実体鏡などにより、実験的に両眼の対応部にある程度異なった対象を同時に呈示すると、同時に二つの対象が知覚されることは少なく、両対象が片眼に交互に現われたり、部分的に重なりあって現われたりする」(『心理学辞典』(有斐閣), p. 379)。

行動分析学的解釈(前試案段階):
 我々の「見る」行動は両眼に提示されたほぼ同じ刺激か、単眼に提示された刺激の刺激性制御を受けるように強化されてきた。系統発生的な選択の過程により、そもそも両眼に異なる刺激が提示されたときにそれを同時に別々に「見る」オペラントは両立しないようになっているのかもしれない。どのようにそうなっているかは神経生理学的な研究による検討対象となるだろう。あるいは個体発生的な選択の過程(すわなち学習)でそのようなオペラント(左右に異なる刺激が提示されたときにそれをまとめて一つの刺激として反応すること)が強化される機会がなかったということなのかもしれない。そのようなオペラントを強化できるかどうかを検討した実験があるのかどうか私は知らないのだが、両眼にそれぞれ呈示する刺激の内容によって知覚される時間に差があるという実験報告もあるようなので、もしかすると少なくとも時間配分についてはオペラント的制御を受ける可能性があるのではないかと予想する。
 魚類のように、両眼視野と独立した単眼視野の両方を使って生きている生物でも視野闘争は起こるのだろうか? ヒトでも視覚に比べれば左右で異なる刺激が同時に提示されることが多そうな聴覚ではどのようになるのかと、この分野はよく知らないだけに興味津々。

参考サイト: How to Create and Use Binocular Rivalry

本シリーズの過去記事一覧:

名言〔第23位〕:「成果をあげることは習慣」

解釈:
 「成果をあげるのは才能ではない」〔第25位〕にもあったように、組織で成果をあげるために必要な仕事はすべて学習可能な知識や技術--すなわち「行動」--である。成果をあげるために必要な仕事は複雑で、習得の程度に大きな個人差があるため「能力」とか「人格」とかに帰属されがちだが、必要な仕事を丁寧に課題分析してみれば、それを構成している一つひとつの行動は実は意外に単純であるということ。
 もちろん、そのような課題分析をすることはそれほど簡単ではないし(課題分析をする知識や技能をもった人的資源、時間などが必要になること)、学習は“可能”であっても、学習にかかる時間(コスト)が発生することなどを考慮すれば、成果があがらない理由を「能力」や「人格」などのヒューマンファクターとして片付けてしまいがちな事情も読み取れる。「できない奴だなぁ」とか「礼に欠ける」などのタクトは「そうですよね」などの共感的反応で強化されがちだし、“リストラ”という文脈では標的となった人を解雇したり、配置転換することが強化される。しかし、こうした個人攻撃の罠にまみれた解決策は短期的な成果しか生まないのは、実は誰の目にも明らかだったりもする。
 遠回りのように見えても、必要な行動を洗い出し、それが学習され、強化される行動的環境を整備することが、成果をあげる行動を“習慣化”させるベストプラクティスである。

本シリーズの過去記事一覧:

第24位:「リーダーとは何か

第25位:「成果をあげるのは才能ではない

第26位:「組織の存在意義

第27位:「組織は戦略に従う

第28位:「利益とは目的ではなく条件

第29位:「理論は現実に従う

第30位:「総体は部分の集合とは異なる

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