2011年1月アーカイブ

And what the American people hope ? what they deserve ? is for all of us, Democrats and Republicans, to work through our differences; to overcome the numbing weight of our politics.

 オバマ大統領の一般教書演説(The State of Union 2011)を読んで考えされられたのがこのフレーズ。

 中間選挙で大敗した民主党だが、それを「国民は共和党への政権交代を望んでいる」とではなく、「国民は党利党略を超えて国家の難題に協力して取り組むことを望んでいる」とタクトしているわけだ。

 単なるリップサービスではなく、政策面でも共和党の主張する高所得者への減税政策を延長するなど、言行一致の政策修正がされている。どちらとも取れる“解釈”のタクトはそれと主題的に一致する行動を後付けしていくことで、客観的な“事実”のタクトとなっていくのだろうか。

 米国大統領の一般教書演説では、議員一同が野次などは飛ばさずに礼を正して拝聴するし、演説後にはほぼ全員が起立して拍手する。単なる伝統儀礼、メディア向けの演出なのかもしれないが、日本の国会の所信表明演説とはずいぶん様子が異なる。

 日本では管総理の所信表明演説後、与党各党からお決まりのような批判が表明され、「倒閣」宣言までも飛び出している。

 おいおい、国会議員の仕事は「倒閣」じゃないよ。そんなことに税金払ってないよと声を大にして言いたいし、こういう政治家の人たちを見ていると、なんて性能が低いんだろうと怒りと悲しみの感情がわき上がる。引退後、解説者で張り切っている杉山愛ちゃんに言わせればもっと“クオリティ”の高いラリーをみたいですね、って感じである。

 とはいえ、そんな政治家の人たちの能力を責めてばかりいても仕方がない。個人攻撃の罠ならぬ、政治家攻撃の罠に陥ってはいけない。

 おそらく、米国議会が大統領の一般教書演説を礼をもって聞くことや、任期中に「倒閣」などと叫ばないのは、そういう行動を強化する随伴性がないからである。米国の議会には不信任決議がないし、大統領にも解散権がない。歴代大統領の中で任期中に辞任したのは、ウォーターゲート事件のニクソンだけ。しかも、中間選挙で与党が勝ったとしても、その後、官邸にことごとく反対し、政治を混乱・中断させようものなら、大統領選挙のときに不利になる。だから、野党にとっても、与党と協力し、妥協しながらも法案を成立させていく行動が強化されるのである。

 一方、日本の議会制度には内閣の不信任案もあれば、衆参のねじれによって、関連法案まで含めると予算案も通らず、それでもそうした行動(倒閣のために国会の議事を停滞させる行動)には弱化の随伴性がない。むしろ、マスコミはその方が記事になるし、読者も読みたがるから、強化の随伴性まである。恐ろしいことに、この随伴性は与党内にまで働くから、テレビ中継される民主党の党大会でまで、執行部を批判することだけが目的の発言行動が自発されている。

 詳しい分析は政治学者さんたちに任せるとして、要するに、国会議員としての本職(国をよくするための法案作成と成立)を強化する随伴性よりも、それ以外の行動を強化する随伴性の方が強いシステムなのであり、そこを変えない限り、ずっと“クオリティ”の低いラリーが続くに違いない。そのうち優秀な「若手」やカリスマリーダーが生まれて問題が解決するだろうというのは根拠のない神話みたいなものだから信じない方がいいですよ。

 議会のシステムをどのように変えればもっと生産的な国会運営ができるのかを、誰かしっかり考えて実現してください。そんな党や候補が現われれば投票します。

 なお、これは私見ですが、最も簡単に思える解決策は、政党助成金を法案成立件数によって出来高払いするペイ・フォー・パフォーマンスの随伴性を導入し、and/or 予算が期限までに通らなかったら、全政党から政党助成金を半額没収するというペナルティの随伴性を導入できればかなり変わるのではないかと思います。

 以上、提案でした。

名言〔第28位〕:「利益とは目的ではなく条件」

解釈:企業活動という集団行動は経済的好子(利益)ではなく、社会的貢献(生みだすべきモノやサービスを生みだしているかということ)や顧客サービス(生みだすモノやサービスが顧客にとって充分な好子や強化になっているか)という結果によって強化されるべきである。利益はむしろそうした行動を自発する機会を整えるという意味で、確立操作や弁別刺激、オペランダムのようなものと捉えられる。あるいはそうした行動が自発されいれば副次的に生みだされるはずの環境変化とも考えられるだろう。ただし、好子出現をもらたらす確立操作や弁別刺激、オペランダムはその機能ゆえに強力な習得性好子となるため、企業活動はとかく目先の利益に制御されがちなことも事実である。したがって経営者としては、そのままにしておくと敏感になりがちな経済的好子だけではなく、社会的貢献や顧客サービスにも敏感に反応するように、企業内部の行動随伴性やルールを設定する必要があるのだ。


本シリーズの過去記事一覧:

第29位:「理論は現実に従う

第30位:「総体は部分の集合とは異なる

 去年の夏ぐらいからFaceBookやる友達が増え始めて(米国人たち)、日本でも話題になり、今年はもしかすると流行するかも、と言われてる。

 FaceBookは「実名主義」と言われるが、確かに友達全員が実名で登録している( n は小さいけど)。これに対して、日本のSNSのトップを走る(モバゲーとか除く)mixiのマイミクは100%ニックネームだ(こちらも n は小さいけど)。

 これまでは「日本人は匿名性を好む」なんて説がまことしやかだったけど、もしかして単にシステム上の些細な随伴性の違いなのかもしれない、なんて考えてる。

 だって、あらためて確認したら、自分はmixi実名登録していて「公開」にもしているのに、ホームのプロフィールでは「さとるっちさん」と、ニックネームが表示されている。よ〜く探してみたのだけれど、ここに実名を表示されるスイッチが見つからない。

 ちなみにHELPにはこんな記述が。

mixi HELP本名で登録すると、昔の友人・知人があなたを発見しやすくなり、思いがけない再会ができる可能性があります。その反面、知らない人やあなたが mixi にいることを知られたくないと思う人にも、あなたが mixi に登録していることがわかってしまうかもしれません。 本名での公開に抵抗がある場合は、友人同士で通じる呼び名などをご入力ください。 ※本名での登録は強制ではありません。 ※自分ではない別人の名前を付けると「なりすまし」や「騙り」行為と見なされてしまう場合がございますので、十分にご注意ください。

 ビミョ〜だね。

 これに対してFaceBook。プロフィールの編集画面のどこを探してもニックネームの入力欄がない(ただ、FBのインターフェイスはホントにわかりにくいので見逃している可能性もあり)。

 しかもヘルプ(ガイドライン?)には「3.自分だと分かる顔写真を載せよう」なんて書いてあるから、確かに「実名主義」を明瞭に打ち出している。

 果たして日本でFaceBookがどのくらい流行るか、そしてどのくらいの人が「実名」でいくか、とても興味がある。願わくば、FBのインターフェイスが改善されて、mixiと同じくらいの使いやすさになって、そこの反応コストの影響がない状態での選択行動の比率を知りたいなぁ。

 ところで、本テーマに関する学術論文はみつからなかった。面白そうだけどな。ネットでの言語行動の文化に与えるシステムの影響:国民性 vs 随伴性みたいな感じ。

 ぐぐると、こんな記事が見つかった。

「ネットに匿名性は不可欠」——総務省ネットの安心感を高めるための具体策の1つとして、研究会で挙がったのが、学校でのSNSやブログ活用だ。校内LAN限定のセキュアな環境で、実名やハンドル名ベースで交流してもらうという提案。発言に責任を持たせつつ、身近な人と交流する中で、ネットへの抵抗感を薄れさせたいという考えだ。

 だからさぁ、そういうことじゃないんだよね、てのは確か。

 この記事にある報告書がでたのは2005年。その後、この提案をふまえた教育実践が行われたのかどうかは定かではないが、ネットでの実名性が普及するかどうか、今年はFaceBookによる「介入」の結果が楽しみだ。

「騙されたと思って」という枕言葉に本当にだまされてしまうことはよくあることだが、これは違った。

“まるでエアーホッケーをしているような感覚で”という商品説明そのもの。マウスが滑って、すべって、スベりまくる。

マウスの裏面に貼付けるソールも付属しているのだが、それなしでも十分に滑る。滑りすぎて、狙ったところを行き過ぎてしまい、うまくカーソルがあわないことさえあるくらい。

自宅のマウスをBluetoothに変えて、若干、軌道に滑らかさがなくなったなと思っていたので思い切って買ってみたのだけれど、これはいい買い物をしました。

大学のマウス&マウスパッドもこれで行こうっと。

まずはミスマッチ解消を?「問題なのは、就活の開始時期よりも、低迷する就職率の改善だ。大手企業に人気が集まり、中小企業に人が集まらないミスマッチの問題こそ解決すべきで、学生がもっと中小企業の求人に目を向けるよう、国が施策を講じるべきだ」 小島貴子准教授@立教大 (日本経済新聞 朝刊, 2011/01/13, p. 39)

 経団連による就活の新しい指針が提示された。会社説明会を大学3年の12月から開始するよう、現状から2ヶ月遅らせる内容だ。

 拘束力もないし、2ヶ月じゃほぼ変わらないのと同じ。あまりにも中途半端だけど、企業団体として現状できることはこのくらいだろう。

 最近よく指摘されているように、企業の採用は改善しつつある。総募集数は総新卒数を上回っているらしい。それが内定につながらないのは、小島先生も指摘している学生の「大企業」指向、そしてあまり指摘されていないが、地域による景気回復のばらつきや(たとえば地元で就職したい / Uターンしたいが採用数が少ない)や学生の進路の多様化と曖昧化(たとえば大学を卒業してから専門学校に入り直そうかと考えているうちに卒業しちゃったり)、企業からみても就職の準備ができていない学生もいること(そもそも就活してなかったり、就活しているけど、別に就職できなけりゃフリーターでもいいやと思っている学生など)など。

 とにかく原因は多元的で、いっぺんに全部解決できる方策はなさそうだ。

 「ミスマッチ」については(「ミスマッチ」という日本語は間違っている気がする、マッチし損ねているわけだから)、学部を卒業してから小さなソフトウエア会社に務め、そこで人生が変わるくらいの勉強をさせてもらった自分としては、中小企業の魅力を声を大きくして訴えたい。

 中小なら大企業だと何年も勤続しないとできないような仕事だって、すぐにやらせてもらえるかもしれない。就活をしている学生が「営業企画をやりたいです!」なんて大志を抱くのはよいことだが、大企業に就職したらそんなこといきなり若造にはやらせてもらえませんよ。

 中小ではまさに会社の成功が一人ひとりの力、そしてチームの力にかかってくる。昔よく言われたような“機械の歯車”みたいな無力感を味わうことも少ない。むしろ、自分が頑張れば会社が変わる、会社が変われば社会も変わるかもという意気込みで仕事ができる。なにしろ、我が国では、421万企業のうち中小が99.7%、従業員数でも7割を占めるのだから(中小企業白書)。

 大企業の「安定感」というのもそろそろ怪しい。花形JALだってリストラされる時代である。しかも会社が大きくなればなるほど、会社の経営に与える自分の貢献度は下がる。自分はこんなに頑張って成果もだしているのに会社自体はどん底で、いざリストラとなったら社内の人間関係を理由に退職勧告がやってくるなんてことだってある。

 まぁ、こんなこと言っても(書いても)、就活している学生さんに与えるインパクトは限りなくゼロに近いので、もう少し実効性のありそうな提言を最後に。

 小島先生は「国が施策を講じるべき」とおっしゃるが、国に何ができるというのだろう? もうそろそろ、こういう何でもかんでも国に頼るという発想はやめにしましょうよ。

 大学にできることで即効性がありそうなのは、授業料を年定額制から単位切売り制にすることじゃないだろうか。そして「学年」という概念をなくしてしまうこと。卒業の要件は「4年たったら」ではなく「学位(学士)を取得したら」にする。今でも学則上(法律上?)は後者になっているはずだが、運営上は限りなく前者に近いのだ。

 そもそも学問に対する興味や動機づけがばらばらで(←悪いことではない。「多様性」万歳である)、大学入学までに学んできたことにも大きな個人差があるのが現状で、しかも大学での勉学は高校までと違って、すべてがカリキュラムによって定義されるものではないのだから(←最近の文科省はこれをやろうとしている動きがあって、私は反対の立場)、学位取得までにかかる時間にばらつきがでないのはむしろ不自然である。

 前期・後期の最後(クォーター制なら年4回)に学位申請と認定の機会を設ければ、毎年3月に一斉に卒業生がでることが(しばらく時間がかかるだろうが)なくなっていく。学位取得までにかかる年月もばらつく。つまり「新卒」という概念を形骸化するのが目的。

 学生によっては在学しながら1年間海外で留学(遊学)し、5年かけて卒業したり、1学期に2-3コマだけ受講しながら長期インターンシップを重ね、学生・採用側共にマッチを認めた段階で卒業していくとか、あるいは逆に就職したけど、もう一度大学で勉強したい人が週1日だけ「学生」になるなど、いわば大学という学びの場・機会をもっと多様に柔軟に社会に開放することができる。

 これは副作用だけど、教員によっては学生の受講態度の改善が期待できる。単位を落とす=その受講料が無駄になる、という随伴性が導入されるわけだから。皆、必死になる(はず)。ちなみに、日本の大学生が勉強しない(ように見える)、あるいは米国の大学生が相対的によく勉強する(ように見える)のは、この随伴性が大きいのではないかと思いますよ。

 大学にとってのデメリットは経営上のリスクだろう。現在は入学した後はほとんどの学生が卒業するまで毎年きちんと固定した授業料を支払ってくれるわけで、収支計画が(他の業種に比べて)うそのように立てやすいわけだが、それが揺らぐリスクが生じる。

 でも不可能ではない。だって米国の大学なんかは、こういう形態で運営しているわけだから。そして米国には「新卒一斉採用」なっていう概念はない(他の国はどうなんだろね?)。

 学生の学ぶ機会が損失し、日本の将来にとって大問題であると、いくら大学が声を大にして訴えても、企業には企業の都合があるのだから、おそらくこの問題は解決しない。

 結論:大学にできること(の一つ)は、授業料課金制度の変更である。

 以上。

海賊版撲滅にはまだ遠い「音楽の違法ダウンロードを減らすにはユーザーの意識改革が必要」と話すのは、日本レコード協会会長石坂敬一氏(日本経済新聞 朝刊, 2011/01/10, p. 14)。

 年末に紅白でいきものがかりの「ありがとう」を聴いていい曲だなと思い、さっそくダウンロードしようとしたが iTunes Store では取扱いなし。

 Sonyのmoraは相変わらずWindowsしか対応していないし、たとえWindowsマシンでダウンロードしてもiTunesからiPhone/iPodには転送できない(変換できない)。

 考えてみたら、桑田(サザン)もミスチルも同じで、iTunes Storeには置いてない。

 あれば買うのに。

 非常に強力な好子としての楽曲を保持していて、購買行動を引き起こすネットでの流通のメカニズムも整っているのに、 iTunes Store を使った購買行動を強化する随伴性を導入しないのは、なぜだろう? もしくはmoraからダウンロードしたファイルをiPhone/iPadへ転送できるようにするとか。

 もちろん、海賊版を無料で入手できるならビタ一文払わないという人もいるだろうが、自分のように納得いく価格で便利に提供してくれればしっかり購入しますというユーザーも多いはず。お金という好子消失による弱化よりも、法を遵守する、もしくはアーティストを尊敬するといった言語を介在とした社会的随伴性がまさる人は相当数いるはずである(でなければ iTunes Storeなり、moraなり経営が立ち行かないはず)。

 この問題に関して言えば、変えなくちゃならないのは「ユーザー」ではなく「経営者」の“意識”の方である。もちろん、行動分析学からすれば“意識”を変えるというお題目はナンセンスで、行動を変えるためには随伴性を変えなくてはならない。だから、賢いユーザーとしては、経営者の行動が変わるような随伴性にもっていくしかない。

 iTunes StoreでJ-POPをもっと扱ってもらうために:  iTunes Storeで買える曲はできるだけ iTunes Storeで。moraでしか扱いのない曲はCDをレンタルしてゲットしよう。

 それに...   音楽と同じことが電子書籍についても生じたらと思うとゾッとする。

 Docomoと大日本印刷が組んだ「2Dfacto」はiPhone/iPadに非対応。 これまで第日本印刷が提供していた「honto」(iPhone/iPad, Android など広く対応)の運営が「2Dfacto」に移管されたそうで、今後がちょっと心配。

 ちなみに「honto」の方も専用のアプリを使わないとならなくて、しかもこのアプリがiBooksに比べると操作性が低く、動作もぎこちないという難あり。

 コンテンツ会社と流通会社がタッグを組んで排他的なサービスを提供することは消費者にとってなんのメリットもない。法律で規制できないものか?

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 自分の授業では、たとえば「課題80%、レポート20%: 課題の内訳は、ミニクイズ6回、授業内課題4回」というように、かなり具体的に成績評価基準を明示している。しかもすべてをほぼ客観的に採点している(多岐選択式のクイズや、レポートならチェックリストにそって)。

 それにも関わらず、評価基準アンケートで「成績評価基準が明示されていた」と評価する受講生はこれまで10%くらい。低いんす。

 授業で使っているスライドや配布資料も、そのほぼ100%を授業支援システムからダウンロードできるように提供している。

 それにも関わらず、「教材・配布資料が適切だった」の評価もおよそ15%くらい。こっちも低い。

 おかしいな、納得いかないぞと、今学期は、配布資料をすべて印刷して配ってみた。そして授業評価アンケートを配布するときに「成績評価基準が曖昧だと思う人は、どんなところが曖昧でどうすればもっと明確になるか書いて下さい」と教示するつもりだった。

 そんでもって、さっきアンケートを配る前に確認したら、なんと!、これらの項目はそれぞれ独立して評価されているのではなく(例:「この授業の成績評価基準はどのくらい明確でしたか」に対して「まったく曖昧」から「とても具体的」までの5段階評価させるように)、13項目について「この授業についてお聞きします(複数回答可)」という、きわめて曖昧な質問によって丸付けされているだけなのであった。

 が〜ん。知らなかった。

 こんな質問の仕方をしたら、原理的には各項目を「あてはまる」「あてはまらない」の二者択一で回答させていると言えないこともないけれど、現実的にはこの授業に最もあてはまる数項目を選んでつけるのではないだろうか。

 とたんにやる気喪失。

 全資料を印刷配布したせいで、「教材・配布資料が適切だった」に丸をつける受講生が増えるぶん、これまで丸がついていた「教え方がわかりやすかった」とか「モチベーションを高める工夫がなされていた」が減るかもね。

 データにもとづいて授業改善しているつもりだったが、そのデータの妥当性・信頼性をチェックしていなかった。初心者の過ちじゃねぇか。

 やっぱり大学が用意している項目よりも、各授業で具体的な改善策について自由記述を求め、それを参考にした方が良さそうだ。

Loadinfonet

 iPhone/iPad/Mac数台をEvernoteやMobileMe、DropBoxで同期させ、ゼミではmoodleやGoogleドキュメントを駆使してファイル共有し、気になる雑誌記事はScanして電子化したり、新聞も電子版を読んだり、Twitterで情報収集したりと、まるで流行の「ノマドワークスタイル」(クラウドを使って遊牧民のようにオフィスにしばられずに仕事をする作法)を取り入れて仕事をしている自分だけど、気がつくと、処理待ちアイコンをじっと見つめていたりする。

 一回5秒、一日10回として、一年で18,250秒=5時間もこんな画像を見続けていることになる。

 定年まであと18年として、これから合計で90時間、ならすと連続して丸4日近く、こんな画像を見続けることになる。

 総務省の平成21年版通信利用動向調査によれば、我が国のインターネット利用者数は9,408万人だそうだから、極めて単純に水平方向の推計をとると、一年間に国民の4億7千とび四十万時間がこのような待ち時間に使われていることになる(あってる?)。

 計算してみると、これってすごい時間ロスのような気がする。そのぶんを取り戻せているのかどうか、よ〜く考えてみないといけない。

 (動画GIFはこのサイトで作成しました)

 アレルギーの対処法は原因となる物質(アレルゲン)を特定し、それを回避するのが一般的だが、敢えてアレルゲンを経口摂取し、アレルギー反応を抑えていく手法が研究されているらしい。

食べて治す 食物アレルギー例えば、卵アレルギーの場合、まず、生卵の白身から作った粉を少しずつ飲む検査を実施、アレルギー症状が出る最低量を決める。そこから1日数回、毎回の量を前回よりも20%ずつ増やしてジュースなどに混ぜて飲む。ある程度の量になったら卵料理に変えて、卵1個に相当する約60グラムが食べられるようになるまで続ける。途中でアレルギー症状が起きたら、薬などで症状を抑えながら前の量に戻す。数週間で目標量に到達する子どもが多い(日本経済新聞, 夕刊, 2011/1/8)。

 手続きだけ読むとまさに脱感作によるレスポンデント消去だ。もしかして、アレルゲンにも生得性のもの(無条件刺激)と習得性のもの(条件刺激)があり、アレルギー反応が条件反応ならば、脱感作によって消去できる可能性があるということなのだろうか。

 岩田力先生(東京家政大学教授)を代表者とした厚生労働省の研究班が臨床研究を開始したそうである。その結果に期待したい。もちろん「食物アレルギーのある人が、自己流で食べるのは危険。治療を希望する場合は、必ず治療体制の整った専門の医療機関を受診してほしい」(伊藤直香医師@東京大学医学部)というのは言うまでもない。

名言〔第29位〕:「理論は現実に従う」

解釈:企業において従業員や顧客や管理職の行動について、環境と行動との相互作用(「〜のときに〜したら〜となった」というオペラントや「〜によって〜する」が引き起こされる」というレスポンデント)を一つひとつ明らかにしながら、経営に重要な行動の制御変数を現場で見つけ、記述していき、結果として特定の個人や状況や集団を超えて共通の関係性がみえてくれば、最終的にはそれが“理論”となる。始めに経営の理論があって、それを実行して確かめるのではなく、小さな成功を数多く重ねて行くことで、経営の“理論”も見えてくるかもしれない。つまり、理論は演繹的にではなく帰納的に導かれるべきであるのだ。それでもその“理論”はおまけのようなものであり、大事なのは一つひとつのマネジメントの成功なのである。最終的に“理論”がまとまらなくても、帰納的に仕事を進める限り、そのあとには成功が残るのだから。

本シリーズの過去記事一覧:

第30位:「総体は部分の集合とは異なる

定義
 過去の経験を元に構造化されている認知的枠組みのこと。バートレットによる物語の伝聞を使った古典的な研究にみられるように、人は与えられた情報をスキーマに基づいて理解し、つじつまがあうように再体制化して記銘し、再生する(『心理学』(有斐閣), p. 94、『キーワードコレクション心理学』(新曜社), p. 184-187) 。

行動分析学からの解釈
 人は与えられた刺激に対し、これまでにその刺激やそれに類似した刺激に対して自発し、強化された行動(オペラント)や条件づけられた行動(レスポンデント)を自発する。誘発された行動はひるがえって弁別刺激や確立操作となり、その他の関連する行動を誘発していく。強化や条件づけの履歴はある文化や世代などで共有されていることが多いから、実験者が意識する/しないに関わらず、実験参加者の反応は、実は実験者が提示した刺激(S+やS-)によってのみ制御されているわけではなく、こうしたこれまでの強化歴に影響されて出現する、その他の刺激との多重制御になっていることに注意すべきである(S+はSdと同一ではないということ)。バートレットの実験などからわかることは、こうして誘発される派生的な行動同士が主題的に一致する場合(刺激等価性が確立している場合)に派生的な行動は強化されるが(つまり後で再生されやすい)、主題的に一致しない行動は、そもそも矛盾するタクトやイントラバーバルの自発が抑制される、もしくは自発されても強化されにくいということだろう。これは、見たり聞いたりしたことを後で報告するときの強化随伴性が、一般的には“つじつまがあう”報告を強化するようになっていることの影響であり、その随伴性が変われば、それにあわせて刺激の“処理”も変容するのではないかと予想される。たとえば矛盾する情報があればそれを発見し、報告する行動を強化する条件を導入すれば、“無意識的に記憶が変容される”ことなしに、ありのままに報告するようになるかもしれない。こうした条件性弁別が確立したとすれば、それは新たな「スキーマ」と呼ばれるのだろうが、行動分析学からすれば、それは文脈刺激による条件性の刺激性制御ということになる。

本シリーズの過去記事一覧:

電通総研10-20代の生活意識を研究するプロジェクト『若者問題研究所(略称:電通ワカモン)』発足  第一弾として高校生調査を実施 (2010.12.15)

 ツイッターのタイムラインから調査報告書(といっても概要みたいなもの)を読んでみました。

 そうしたら、アンケートの質問項目はどうやら「将来、どんな職業につきたい、または生き方をしたいですか? 一つだけお答え下さい」で、回答は多岐選択だったようです。

 どのような選択肢があったのかはわかりませんが、この表からすると、少なくとも「公務員」「大企業の正社員」「介護士・保育士・看護師」は別項目だったようです。

Denntuu

え、市町村の保育園に務める保育士って公務員じゃなかったっけ?

え、ニチイとかワタミとかの介護大手って「大企業」とはみなされないの?

 そもそも、社会調査でも心理検査でも、一つの項目で2つの質問をしてはいけません。回答がどちらの質問に答えたものなのかがわからなくなり、せっかくのデータが水の泡となるからです。

 それに「生き方」って言ったって、雇用・賃金が安定していて、定刻に帰宅できる(最近はそんなこともないみたいですけど)から「公務員」という人と、給料は安くてもいいから世のため人のために働きたいから「公務員」と回答する人とでは選択肢の意味がまったく異なるじゃないですか。

 これは単なるサンプル調査だからまだいいけど、まさか高校や大学の進路指導やキャリア教育でこんな粗雑な仕事していないといいんだけれど。

 せめて、日本標準産業分類の項目についてそれぞれどういう産業なのかを説明し、かつ、ある産業の会社に入社したからと言って、その職業に就くわけではないことも説明し(「メーカー」に就職したからといって工場での「製造」に携わるとは限らないこと)、その上で「どのような仕事をしたいですか?」、「どのような産業に務めたいですか?」、「あなたの生き方として仕事には何を求めますか?」などの質問を別立てでしないとね。

 この記事書くのにいろいろ検索したら「職業図鑑:450種の職業が一目でわかる!」というサイトを見つけました。『13歳のハローワーク』は薦めても読んでくれない生徒さんでも、このサイトなら使ってくれるかも。進路指導の先生方、ぜひご活用を。

 話の本筋からははずれますが、「高校生のなりたい職業」は「高校生が就きたい職業」、「どんな職業につきたいですか?」は「どのような職業につきたいですか?」でないと、どーにも気持ち悪いです。

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今年の抱負2011

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明けましておめでとうございます。

 今日から仕事始め。2010年を総括して2011年の抱負を書き込むために、昨年の抱負を読もうとしたら、このブログから過去記事へのリンク(左欄の「月間バックナンバー」)が消えているのに気づきました。

 いったい、いつから...

 そんでもって「月間バックナンバー」を復活させるのに、なんだかんだで半日使ってしまった。

 まぁ、「笑いの祭典ザ・ドリ―ムマッチ」、「お笑いDynamite」をBGM(BGV?)で流しながらだから、ゆる〜い半日だったけど。

 さて、まずは昨年の抱負の振返りから。

(1) 著書の執筆(よくばらず、まずは1冊)

→ 達成!『人は、なぜ約束の時間に遅れるのか

(2) 研究教育体制の改善

→ 一昨年に比べるとかなり改善されたと思います。特に3年生は自ら進んで研究を進めてくれていて大満足です。4年生は移行期にあたるので、逆に負担感が上がったかもしれませんが、それぞれ研究に関して成長の跡がはっきり見て取れます。院ゼミはまだまだこれからですね(むしろ課題がたくさん残りました)。

(3) 論文の執筆(2本)

→ 達成!

(4) ライフスキル教育研究所の仕事
 社会人(教員もしくは会社員)対象の講座を開催します。

→ 達成! 法政ABA研究会を立ち上げて、現在、企業や学校での事例研究を進めています。

 以上。

今年の抱負です。

(1) 著書の執筆
 今年はなし(企画はいくつかあるのでネタ集め、執筆準備くらい)。

(2) 研究教育体制の改善
 研究の楽しさをゼミ生と分かち合うことをさらに優先します。

(3) 論文の執筆(共著も含めて5本)
 そう。今年は論文執筆に注力するのです。

(4) ライフスキル教育研究所の仕事
 教員、会社員対象の講座を開催する予定です。参加者の中から法政ABA研究会で事例研究をする人がでてくればなと思います。
 さらには「ライフスキル」の課題分析(幸せに生きるためのスキルをみつける作業)に取りかかります。

 以上。

 

昨年の抱負では Twitter を批判し、「このブログでは140文字では語れないことを語っていこうと思います」なんて偉そうに書いていましたが、そんなことを書いたことはすっかり忘れて、11月中旬からつぶやき始めました。

 言い訳するなら、ブログの更新頻度を維持するためには、ブログ記事の水準を下げるよりも(ブログの記事をちゃちゃっと書くよりも)、思いつきや感想はTwitterで書いておき、後で資料を調べたりして、もう少し深く考えたりまとめたことはブログに書くようにした方が、なんとなく良さそうだな(根拠はないけど)、そういうときにはとりあえず行動してみて、自分の行動が随伴性によってどのように分化強化されていくかを観察してみようってことで、現在実験中なわけです。

 とりあえず、面白いことに、Twitterを始めてからブログの更新頻度も上がりました。Twitterでつぶやいたこと深化させて記事を書いているというよりは、つぶやいてばかりいるとブログのトップページの見栄えが悪いから(右欄のTwitterばかりが更新されて中央のブログ記事がそのままだと格好が悪いから)、ブログの記事を書いているような気もします。

 ま、しばらくはこのままで。

 今年もよろしくお願いします。

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