J-ABA報告(4):行動分析学と技術革新

以下のシンポジウムから考えたこと。

主催校企画公開シンポジウム「テクノロジーと行動分析」:司会 :嶋崎恒雄(関西学院大学) 、話題提供:杉山尚子(山脇学園短期大学) ・山田恒夫(メディア教育開発センター) 、指定討論:望月 要(帝京大学) ・島宗 理(法政大学) ・八木昭宏(関西学院大学)

(すみません。敬称略です)


ちょうど、どこかの娯楽番組で紹介されていた、科学技術庁のレポート「21世紀の科学技術の展望とそのあり方」を読んだところだったので、指定討論ではそれと絡めてコメントした。

このレポートでは、21世紀中に実現しそうな画期的な新技術や社会変化について国内の研究者や技術者からアンケートをとったものがまとめられている。加えて、1901年ーー今から四半世紀前--に報知新聞に掲載された「二十世紀の預言」も紹介している。

「二十世紀の預言」では、エアコンやTV電話やレントゲンによる診断など、今ではあたりまえになったことが、当時ではまだ未来予想図だったところが面白い。

「月に人類を!」というコミットメント(言語行動)から、宇宙技術が急速に発展したように、技術革新というものは明確なビジョンによってもたらされることが多いような気がする。

そして「革新(イノベーション)」という冠は、それまでは不可能だと思われていたことを可能にした技術に与えられる称号である。

「21世紀の科学技術の展望」におけるヒトに関わる技術については、遺伝子や脳など、ヒトをモノ的に取り扱う技術に期待する項目が並んでいる。それはそれで、技術革新が進むことに違いはないだろう。だけど、それでヒトは幸せになるのだろうか?という疑問も生まれる。

幸せになる技術(たとえば、自殺やうつの減少、笑いや感動の増加、異文化を理解し、尊敬し、愛する行動の増加などなど)は、ヒトをモノ的に取り扱う技術からは生まれそうにない(ように思う)。

ところが、それでは、ヒトをヒトとして扱う技術革新を担うはずの心理学や行動分析学がそのような目標に向かって邁進しているかというと、そうでもないような気がする。

どちらかというと、目の前の問題の解決でいっぱいいっぱいだったり、先行研究の一つだけ上をいくことを目指す、ボトムアップ的活動がわれわれ多くの専門家の仕事の中心になっている。

もちろん、これが自然科学の仕事の基本であるし、それでこそ今の学問的な熟成があるのだけれど、果たしてそれで「革新」的な技術が生まれるのかどうか。

自分のこれからの仕事の方向性も含めて、あらためて考えてみようと思いました。

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