2006年4月アーカイブ

 雨が降るたび「ひと雨500本」と言われるほど、駅や電車で傘の忘れ物が増えるらしい。その数は上着などの衣類、財布、カードや証明書などをダントツで上回っているという。

 人はなぜ傘を置き忘れるのだろうか?

 置き忘れた傘の回収率はとても低い。夕立に出くわしてワンコインで買ったビニール傘なら、置き忘れに気がついてもわざわざ取りに戻らないようである。傘が必要なのは雨が降っているとき、あるいはこれから降りそうなときで、雨が止んだ後は荷物になるだけだから、夕立の後の忘れ物が多いことは常識的にも理解できる。

 杉山尚子先生(山脇学園短期大学)が新書版『行動分析学入門』で分析しているように、暗い部屋に入るときに灯をつける行動は、部屋が明るくなることで強化されるが、部屋を出るときに灯を消す行動は本人にとって直接のメリットはなく、電気代の節約とか「また、つけっぱなしじゃないか!」と同居人からなじられるのを避けることで強化される。後者の随伴性は前者に比べるとそれほど強くはないから、灯をつけ忘れる人はいないけど、つけっぱなしで部屋を出る人はけっこういるわけだ。

 傘の置き忘れも同じように分析できる。カフェから出るとき、まだ雨が降っているのに傘を置き忘れる人はほとんどいない。雨が止んでいるときには、せっかく買った傘を失うことや「また、なくしたの!」と怒られることを回避するくらいの随伴性しかないから、レジで会計を済ませた後に傘立てを見て、自分の傘を取ってから店を出る行動が引き出されにくいんである。

 と、ここまでは、傘の価値の話。雨が降っているときはワンコインのビール傘でも500円以上の価値がある(6万円のスーツを濡らさずにすむから)。雨が止めば、傘の道具としての価値が一時的に下がる。中古だから100円にもならない。だから傘を持って出る行動が少なくなるという解釈だ。
 でも、傘の置き忘れのような“うっかりミス”には他にも理由がありそうだ。駅での忘れ物ランキング上位には、財布やカードという、いつだって価値があるものが登場している。価値があるものなら置き忘れないというわけではない。

徳島ABA研究会スカイプで参戦。遠隔ゼミに比べて参加者が多いので、マイクから遠い席の人の声は聞えにくかったけど、司会や発表者の声は明瞭。自宅にいながら附属養護の会議室にいるような気持ちで参加できました。

今回の話題提供者は理学療法士の大西康平先生(特別養護老人ホーム水明荘)。高齢者の自立した生活を支援するための筋力アップのプログラムについて報告してくれました。

これは「高齢者に筋トレ!?」と一時期マスコミでも批判的に取り上げられていたもの。でも、一人で歩けなかった人が歩けるようになるなど、成果を示す事例も多数報告されているそうです。

大西先生が現在取り組んでいるのは、どうやってトレーニングに参加する行動を維持できるかという点。筋トレは負荷をかけないと効果が出ず、負荷をかけると苦痛や疲れが伴うので、ギブアップしたりドロップアウトしてしまう人が多いそうです(逆に言えばそれを乗りきれば効果が出るということらしい)。

マシンのレバーを持ち上げたり、ふんばったりする行動の一つひとつは痛みや違和感、疲れという嫌子出現によって弱化されること、筋力アップという好子は塵も積もれば山となる型で、随伴性はあるけど強化はしないこと。この二点は若者の筋トレと共通だから、多くの若者が運動不足になるのと同じで、高齢者だってジム通いが日課になる人は少ないはず。

さらに若者の場合なら、ダイエットとか、夏に向かってシェイプアップとか、異性にモテたいとか、他のスポーツに役立てたいなど、運動をしないことを嫌子化するような確立操作にはことかかないけど、高齢者にとってはそういう確立操作を見つけるのがけっこう難しいかもしれません(なんで今更こんな辛いことしなきゃあかんの?と思われやすいってこと)。

大西先生は、目標設定をして達成をホワイトボードにマークをつけてフィードバックするような方法を発表されておりましたが、おそらくこれだけだと好子として機能しない人も多いはず。

ご老人が病院に通うのはそこに知り合いが集まるからだという話もあるように、話をしたり、一緒に何かすることによる社会的好子はかなり有効なようです。だから、一人ずつマシンで筋トレするよりも、みんなでできること(組み体操とかボール投げとか高齢者向けエアロビクスとか)、他の好子と一緒に提示されること(腹筋を使って歌を歌うとか、音楽にあわせて体を動かすとか)を、それ自体があまり苦痛にならないような状態(あらかじめ心拍数を少し上げておく)で少しずつやる方がいいのではないか?とコメントしました。

みんないつかは老いるのだから他人事ではないですよね。

今年は心理学実験実習を担当してます。

実験実習といえば、学部生のときには2年次に履修し、大量のレポート作成に追われながらも、実験そのものや班のメンバーとの一体感がとても楽しかったことを思い出します(@千葉大学)。

修士では学部生(3年次)の実験実習のティーチングアシスタントのようなことを修士の授業として履修しました(@慶応義塾大学)。インストラクションの用意や実験機器の準備に追われ、これまたものすごく忙しかったけど、ウブな学部生との交流は楽しかったなぁ。

法政ではなんとホッカホッカの一年生が実験実習に取り組みます。まだ「心理学とはどんな学問か」はっきり掴めていない時点での実習であるということ、それから今年から週1コマ(90分)で通年の枠になり(昨年度までは週2コマ続きで半期だった)、しかも後ろに授業があるので延長はできないという制限での実習です(千葉大・慶應とも、実験によっては2コマ続きの時間割内では終わらずに、夜の7時8時まで居残って実験してましたねぇ)。

そういういろいろな事情もあるので、通常の実験自習とはちょっと変わった授業作りをしています。錯視や鏡映描写や記憶などの古典的実験を扱うことにはかわりありませんが、定番の実験教材で定番の測定法で定番の分析を「させる」のではなく、学生たちに仮説を考えてもらい、測定方法や教材も考案させ、その結果を発表し、討論する中で、変数の統制法や統計の使い方などを学んで、改善してもらうという方法です。

実験は体験するだけでもけっこう楽しいものだけど、それだけで終わらずに、「これってどうなってるんだろう?」「これってどうすればわかるんだろう?」「どうやって発表すればみんなにわかるように説明できるんだろう?」などなどの疑問が自主的に生まれ、自習を進めるうちに解決していくような授業設計を目指します。

うまくいくかな。

「いつもと同じようにカレーを作ったはずなのに味が違います。どうしてでしょう?」

このような日常生活における原因推定を標的行動にした実験をしたことがある。

「できるだけ早く考えて下さい」という速考条件と「できるだけよく考えて下さい」という熟考条件、問題に対するいろいろな解答例を示す例示条件と例を示さない条件の2×2の要因配置でそれぞれの被験者群で訓練を進めたところ、速考+例示条件が他の条件よりも多くの原因推定を引きだした。パフォーマンスが最も低かったのが熟考+非例示条件だった(島宗・三宮, 2001*)。

でも今になって考えると、“速考”と“熟考”を思考スピードの高低で単一次元的に分けるのは適切ではなかったかもしれない。

いわゆる“物事をじっくり考える人”の思考を観察したら、たとえば「解が一つ見つかってもそれで課題を終了せずに他の解を考え続ける」とか「なかなか解が見つからなくても考え続ける」などの行動様式が見つかるはずだ。前者は課題終了の弁別刺激の問題、後者は消去抵抗の高低の問題である。

こうした行動様式と思考のスピードの高低は論理的には独立した変数である。速いスピードでじっくり考えることも可能なのだから。

世の中を賢く生きるための思考を身につけようと思ったら、思考スピードと、上述のような思考形式の両方が必須になるだろう。

*島宗 理・三宮真智子(2001)日常的な問題の原因推定に及ぼす速孝・熟考・例示の効果 日本行動分析学会年次大会プログラム・発表論文集, 19, 112-113.

blogの更新

先週の更新回数は{5}回でした。

 学生が授業に遅刻したり、レポートの〆切を守らないことがあるように、私たち大学教員も授業や会議に遅刻したり、原稿の〆切を守らなかったりする。
 先週はゼミの時間に遅刻してしまった。めったにないことなのだが、再発防止のため、遅刻するたびにゼミの打ち上げ基金として五百円ずつ積み立てることにした。ちなみにこれは私だけの特別ルールで、学生の場合は遅刻15分につき出席点が1点ずつ減点となる。
 大学教員にとっては論文や専門書を執筆して発表する仕事の優先順位はかなり高いことになっている。ところが、授業や会議や学生の指導やその他の雑用に比べて、この仕事は遅れがちな仕事でもある。
 毎年何本か着実に論文を書いている人もいて、つくづく感心・尊敬してしまうのだが、こういう人は少数派である。多くの教員は〆切を守るのに必死だし、〆切を守れない人も少なからずいる。
 大切な仕事であると認識しているのに、どうして原稿の〆切を守るのがそれほど難しいのだろうか?

文科省は「学びの居場所(仮)」という名称で、塾に通えない子どもが放課後に学校で無料の補習が受けられるような予算配分を検討中らしい(日経新聞, 2006.4.18)。スタッフには教員OBを活用するということだが、正規の教員以外が、子どもの教育ニーズにマッチした指導を行なうことに予算がつくという点は画期的で評価できる。

都内の区立中学校には、土曜に補習を開講し、大手の進学塾から講師を派遣してもらうところもあるという。

文部科学省によると放課後や休日の補習についての規制はなく、教える人に教員免許も必要ない。「正規の授業も、外部講師が学校の教員と一緒に行なえば問題ありません」と初等中等教育局の鈴木文孝さん(日経新聞,2006.4.16)

正規の教員ではなくても子どもの教育ニーズを満たせる人材なら有効に活用できる柔軟な予算配分が増えることには大賛成。

こうした予算が充実すれば、たとえば通常学級に在籍する軽度発達障害児のための支援(支援付きインクルージョンとか)や、一般の教員には難しい高密度の集中指導(発話指導やトイレットトレーニングなど)を学校以外の人材を活用することで進められるはず。そういう専門家と一緒に仕事をすることで教師の専門性も高まる可能性まである。

ポイントは児童生徒の教育ニーズがちゃんとアセスメントされていること。そして予算がそのニーズを満たせるサービスに配分されること(もちろんそのためには効果のアセスメントが必要になる)、だ。

バラマキ型で効果のアセスメントなんて聞いたこともないスクールカウンセラー制度なんて止めちゃって、こういう予算に回して下さいよ。

名刺を作らなくちゃと準備中。

新しい職場は文学部心理学科になるのだが、学内の業者さんからいただいたサンプルの英語表記では文学部のところが「Faculty of Letters」になっている。

どうもピンとこない英語表記である。

ネットで調べると、こんな解説をしているサイトもあった。

外国語HPを解読しよう!「FACULTY OF LETTERS」 が、「手紙の教授陣」と訳されるていることがありました。これはLetters を手紙、Faculty を教授陣 と直訳したために生じた誤訳です。正確には、FACULTY OF LETTERS は文学部 の意味です。

そりゃ「手紙の教授陣」には笑えますが、googleで「Faculty of Letters」を検索してヒットするのは(少なくとも上位は)日本の大学ばかり。ドメインを「.edu」や「.ac.uk」(米国や英国の大学)に限定してヒットするのも(多くは)日本や英米以外の大学所属の教員情報。

それじゃ英米の大学の学部名はどうなっているかというと、これが大学によってかなり違う。全部調べるような時間はないので、とりあえず母校であるWestern Michigan University のHPで確認したら、心理学部(「学部」だけど)は「College of Arts and Sciences」 の中の「Sciences and Mathematics」にある。ここには心理の他に生物学、化学、地学、地理学、数学、物理学、統計学が入っている。

日本の大学では心理学が社会学や哲学、文学や言語学などと同じ部や学群にあることが多いけど、WMUでは、これらの社会・人文科学系の学問は同じCollege of Arts and Sciencesの他の学群(「Social Sciences」や「Humanities」)に配置されている。

WMUの心理学部は行動分析学のメッカの一つで、学部も大学院も授業はほぼ100%行動分析学。だから、ご近所がいわゆる文系ではなく理系でも馴染むんだろうと思う(ちなみにカウンセリング系の心理は教育学部の方に別組織としてあるのです)。

組織の名前は組織の中身を表すものだから、学部構成が異なれば名前も異なる。だから Faculty of Letters の表記が見当たらないのかなぁと考えつつ、そういや日本の大学って創設期にフランスやドイツの影響を受けたという話もあったよなぁと思い出した。法政大学も創立期にはパリ大学教授のボアソナード博士を教頭として招聘したそうである(BTことボアソナードタワーの名前の由来ですね)。

もしかしてフランスやドイツの大学の文学部はFaculty of Letters (の仏語・独語表記)なんだろうか?

ややこしいですね。時間切れギブアップ。受容的にFaculty of Letters を採用します。

引越しのときにアルバムを整理していてフト思った。

重い。かさばる。そんなに見ない(引越しのときだけ?)。

それならデジタル化しちゃおうと、写真をスキャンしてくれるサービスをネットで検索。

そしたらフィルムスキャンや写真スキャン、アルバムごとスキャンしてCDやDVDに焼いてくれるところがいくつか見つかった。

写真スキャンだと1枚80円から200円くらい。枚数を数えたら1500枚以上写真があったので、半分に絞ってもけっこうな金額になる。だから個人的にはとりあえず保留。

にもかかわらず、ほとんどのサイトで「現在、注文が多いので納期が守れないことがあります」との注意書きが。

つまりニーズがあるってことだ。

フィルムや写真のスキャンは手間はかかるが、課題自体はルーチン化・構造化しやすいはず。

作業所や職業訓練所、養護学校の職業訓練などで導入できるのではないだろうか?

正月太りからのリカバリプロジェクトが完了した。

目標体重に達していないと飲み会で飲めないという行動契約の効果が示され、体重はほぼ目標通りに減少した(機会あたりの目標達成率は9/10=90%)。

Diet2006weightresults

日々の運動量と余分なカロリー摂取量は、3月の最終週から4月前半にかけての引越期間ではさすがに乱れたけど、目標体重を設定していない4月になってからは(フォローアップ期)、運動量が減り、余分なカロリーの摂取量も増えているのに体重は安定している。3月前半までのトレーニングで基礎代謝が上がったのかな。

Diet2006behavioralresults

今後は体重だけ測定し、危険区域(70.0kgに設定)を超えたら元に戻るまで酒・間食をストップするという単純な随伴性で維持を狙おう。

大成功ですぞ! \(^o^)/

blogの更新

先週の更新回数は{4}回でした。

 新学期が始まって、学生が教室にやってくる時間に“格差”というか二極化傾向があるのに気がついた。

 授業開始30分以上前から教室にいる学生もいて、こっちが時間を間違えたかと驚かされたと思えば、授業が始まって5分以上たってから悪びれずに入ってくる学生もいる。

 七割近くの学生は5分前には到着している(エラい!)。欠席者は除くとして、遅刻者でもほとんどは電車が遅れたなどの“正当な”理由があって、「遅延証明書」を取ってくるものもいる(そんなもんを見るのは高校時代以来だったので、やたら懐かしかったぞ)。

 私の授業の前に他の授業や用事でキャンパスにいたかどうか、たまたま授業前に空き時間があったかどうか、通学路など、一人ひとり事情が異なるから、そのへんを調査しないと結論は出せないのだが、遅刻に関する学生のパフォーマンスは、2つの特性の組み合わせ(2×2の4パターン)で、おざっぱに分類できそうだ。

・健康に悪いことがわかっているのにタバコをやめられないのはなぜ?
・ダイエットのためにジョギングしようとしても続かないのはどうして?
・この世から戦争がなくならないのはなぜ?
・どうして泳げるようにならないの?
・歳をとると物忘れがはげしくなるのはなぜ?
・子どもが言うことをきかないのはどうして?
・うちの夫はどうして服を脱ぎ散らしたままにするの?
・好きな子の前では緊張して話せなくなるのはどうして?

「人はなぜそのように行動するのか?」--これは人々が心理学に興味を持つ理由の一つだし、行動分析学という学問の究極的な目的でもある。

実験や実証を最重要視する行動分析学はとてもストイック。権威や憶測ではなくデータがモノをいうというポリシーと、役に立ってこそナンボという実利主義的な価値観が、望月昭先生(立命館大学)が指摘するように、優れた“業務用心理学”としての実績を作ってきたのだから、このストイックさは誇るべき資産だ。

でも、その一方で、データがないと何も言わない、わかっていないことは推測しないという頑なまでの態度が、人々が心理学に持っているイメージや期待からのズレを生んできたこともまた事実だと思う。

なぜなら行動分析学の学術誌で受理される研究は実験計画がしっかりしていてデータがある論文であり、そういう論文を書こうと思ったら、たとえば昔なら強化スケジュールやマッチング、ついこないだまでは等価性、応用なら自閉症というように、論文になりやすい領域やテーマが比較的限定されているからだ。

これはどの学問領域でもそうだと思うけど、学問の本来の目的を達成するための随伴性と、学者の研究行動に影響している随伴性は必ずしも一致しないのである。

先日、吉村浩一先生(法政大学)が大学院のガイダンスで「行動分析学は心理学の歴史の中で、唯一、一貫した学問体系を作り上げた学問かもしれない」という主旨のことを述べられていた。

まさしくその通りだと思う。

そして本来なら(というか理想的には)、たとえば『心理学研究』に載っている論文のすべての領域は『行動分析学研究』でも(研究方法論はまったく違ったとしても)カバーされていなくてはならないのだ。行動分析学の古典的な教科書であるKeller & Schoenfeld の『Principles of Psychology』や、私の師匠のMalott & Whaleyによる『Psychology』はそういう構成になっているし、スキナーの『Science and Human Behavior』や『Verbal Behavior』にいたっては、実は実証的な研究による直接的な裏付けはほとんどなく、基礎的な行動の原理を使うと複雑な人間の行動はこのように理解できますよという解釈が中心だ(ちなみに『Science and Human Behavior』は二瓶社から和訳がでています。原書はここから無料でダウンロードできます。←愛知大学の浅野俊夫先生による情報提供)。

こういう行動的な解釈は理論的行動分析学と呼ばれ、実験的行動分析学と応用行動分析学に並んで、一応、行動分析学の三本柱ということになっている。“一応”と書いたのは、このことは行動分析学以外の心理学者にはほとんど知られていないし、行動分析学界でもストイックな行動分析家にはBS(牛の排泄物)と揶揄されることさえあるからだ。

鳴門教育大学在職時代に運営してたコラボネットやこのブログではデータに裏打ちされた研究をわかりやすく紹介するというスタンスをとってきた。この方針に変わりはないが、行動分析学が対象とするテーマやトピックをもっと拡げるために、データがなく、推測に過ぎない記事も書いていくことにした。

ただし、その区分けは重要だと思うので、新しいカテゴリーをつくりました。それがこの「人はなぜそのように行動するのか?」(ベタだけど)。

できれば週1本くらいのペースで書いていこうと思います。

現在進行中のとあるプロジェクトでメンバーの一人が書いた原稿をiPodで“聞く”ことにした。

六法を音声化したときと同じ方法で音声ファイルを作成してiPodに転送。

ロボット的音声は不自然だが、内容は問題なく理解できる。一応、文字も読めるようにテキストファイルを携帯にも転送しておいたが、こちらは見ずじまいだった。

ただ、なんとなくだけど、論文全体の流れや構成がつかみずらい気がする。

印刷した文書は自分のペースで、実際には視線もテキストを行ったり来たりしながら読むものだ。分かりづらい箇所では読みのスピードが自動的に落ちるだろうし、ページをめくって前の章を読み返したりもできる。

音声を聞いている限り、こうした細かな行動が制限される。なんとなく気にかかったことがあって他のことを考え出すと、その間に流れている音声は聞き逃してしまう。理解できているかどうかにかかわらず、音声は一定の速度で提示されてしまう。気になるところに視線を簡単に戻すように、“巻き戻す”のも難しい。

こうやって考えてみると、文字と音声という刺激のモダリティの違いというよりは、読む/聞く行動の自由度の違いの方が大きいようにも思えてくる。

再生スピードを自在に操作できたり、早送りや巻き戻し、気になるところへのジャンプが簡単にできるコントローラーが開発されれば、本を読むように原稿を聞けるかもしれない。

となれば、これは工学的な課題だなぁ。

Eigotown_1

電車通勤することになったので、移動中にできる仕事方法を模索中。

本や資料を読むのは目が疲れるから、iPodをフル稼働させたいところ。

とりあえずiTunesMusicStoreのPodcastセクションから、CNNやBBCのニュースを購読。でも、それだけじゃ飽きちゃうと思って探したら、面白いのが見つかった。

英語タウンクラシックストーリーズでは「三匹のこぶた」や「シンデレラ」などの古典を読み聞かせてくれる。一話10分くらいなのでちょうどいい。

「三匹のこぶた」では最後に子ぶたが狼を煮て喰っちゃうとか、「ヘンゼルとグレーテル」では子どもを森に捨てたり、魔女とはいえ老婆を焼き殺したり、あらためて聞いてみると、どれも壮絶なストーリー。それに英語だと、たとえば「ヘンゼル」は「ハンソル」、「グレーテル」はどうしたって「グレドル」に聞えるなどの発見もあり新鮮。お奨めです。

注意点:

リスクは電車の中でクスっと笑ってしまったり、「まじでぇ〜」と声をだしてしまうこと。マイカー通勤が長かったので、公の場でのオーディエンスコントロールが消えてしまっているみたい。

iPodShuffleのオートフィルがPodcastの購読に対応していなくて、いちいちファイルをコピーしなくちゃならないのが、ちと面倒。

先週の更新回数は{4}回でした。

アップルが、OSXの次期バージョンでWindowsとのデュアルブートを可能にするBoot Camp(ブートキャンプ)という機能を標準装備することを発表。βバージョンの無料配布も開始した

せっかくインテルはいってるにしたんだからこうじゃなくちゃね。

これでWindowsユーザーへの対応のためにわざわざDOS/Vマシンを買わなくて済む。経費&設置スペースの大きな節約に感謝。

徳島県内のニュース@徳島新聞徳島県内で二〇〇四年に糖尿病で死亡した人は十万人当たり一六・六人と、全国平均の一〇・〇人を大きく上回り、十二年連続で全国ワースト一位になったことが、厚生労働省のまとめで分かった。

原因は運動不足、特に日常生活での歩行不足とされている。

県健康増進課によると、県民のエネルギー摂取量は一日一九一一キロカロリーと、全国平均と同程度。一方、一日当たりの歩行数は六千百九十二歩(全国平均七千百六十八歩)と運動量が少ない傾向がみられ、連動する形で肥満率も男性37・2%(27・8%)、女性26・1%(22・2%)と高くなっている。

確かに徳島ではどこに行くにもクルマ。しかもドアツードア。普通に暮らしていると、ほとんど歩かなくても事足りる。

東京の新生活がスタートしてから、この日常生活におけるウォーキング量の格差をまさに実感。家から駅、駅から大学、大学内の移動も歩く歩く。最深とも言われる地下鉄を使っていて、しかもエレベータでも歩いちゃうせっかちなところがあるから、昇り降りもばかにならない。

それに徳島のつもりで買い物をすると、両手に大きな買い物袋をぶらさげてそれだけの距離を歩くことになる。筋トレにもなりそうだ。

万歩計をつけといて事前・事後で比較すればよかった....っと、ちょっと後悔。

行動療法学会のコロキウムで話題提供したときに、勉強のため、1ケースだけ事例発表会にも参加させていただいた。

そもそもこのコロキウムという催しは、学会会員が自らの事例を持ちより、他の会員から助言を受ける機会として設定されているそうである。一つの事例について1時間以上かけて発表と意見交換をするという方法は、通常の10分程度の口頭発表に比べると、話し合いも深まるから、特に発表者にとってはメリットが大きいと思われる。

取り上げられる事例は不安症など、いわゆる一般臨床が多いようだが、フロアからの助言には、機能的分析など、行動分析学的視点もあり、それが受入れられていることが私にとっては新鮮だった。日本では“行動分析学=発達臨床”という誤ったイメージが定着してしまっていると思っていたからだ。

もちろん、実際にはそんなことはなくて、行動分析学をベースに一般臨床をしている人たちもいる。特に最近では、認知行動療法的な味付けの手法だが、理論的な背景にはルール支配行動や関係性などを持つ臨床家も増えているらしい。

本書はそのような展開をまとめた、どちらかというと理論的な解説書である。具体的な事例がほとんど掲載されていないので、私のような門外漢にはとても読みづらかったが、全体的な傾向はつかめた。たぶん、初学者(特に行動分析学の初学者の臨床家)は最初の二章は読み飛ばした方がいいかもしれない。

個人的には、内的反応の条件づけなど、基礎実験につながりそうなアイディアにとても興味を持ちました。

完全に理解して読了するのはかなり難易度が高い本ですが、行動分析学から一般臨床をしたい人には必須でしょうね(他に日本語で読める本がないし)。

マインドフルネス&アクセプタンス―認知行動療法の新次元マインドフルネス&アクセプタンス―認知行動療法の新次元
S.C. ヘイズ M.M. リネハン V.M. フォレット

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現職教員ゼミ生向けの本シリーズ、第二弾。

統計もそうだけど、現職ゼミ生は「科学」や「研究」に関する基礎的な考え方でつまづくことがある。

ものすごく大ざっぱな言い方をすると、ゼミ生やサマースクールに参加してくれる現職教員には、指導法や研究法について、たった一つの正解があってそれを覚えてしまいたいと思っている人が多いという印象がある。

質問をするときにも「これでいいですか?」と、正解か不正解かのみを問う。正解ならそれで一件落着という気持ちまで伝わってくることもある。

研究というのは、わからないことをわかるためにするものだけど、一つの研究ですべてがわかるわけではない。わからなかったことがわかる一方で、わからないことが残ったり、これまでわかっていたと思っていたことがわからなくなったりもする。

「すべては作業仮説(working theory)である」という勘をつかむことは、もしかしたらかなり重要なのかもしれない(自分の場合、こうした考え方は千葉大学時代に、恩師の実森先生から徹底的に叩き込まれた)。

本書は研究活動だけではなく生活全般でほとんど99.9%が仮説であるという仮説を展開している。そもそもなんのために研究をするのかを冷静に考えるのを、たぶん助けてくれると思う。

なぜか文字が大きかったり、妙に強調してたり、へんに挑発的だったりして、若干イラっとしながらも、最後までわかりやすく読めました。

第一弾で取り上げた本もそうだけど、こういう内容って、中学校の高学年や高校でぜひ取り上げるべきだと思う。微分・積分などより、よっぽど生活に関連しているし、日本人を賢くするのに有効だと思うから。

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方
竹内 薫

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blogの更新

先週の更新回数は{4}回でした。

Boissonadepic

本日から新しい職場での仕事がスタートします。

法政大学文学部心理学科です。

キャンパスは市ケ谷(JR飯田橋と市ケ谷の中間くらい)。心理学教室は“ボアソナード・タワー”という眺めのよいビルに入っています(研究室は別の建物)。

問題解決に役立つ心理学をテーマに、教育・福祉・企業など、社会のさまざまな分野で活躍できる専門家を輩出するプログラムを開発していく所存です。

しばらくは授業準備などに忙殺されそうですが、徐々に地域との連携体制を模索していければいいなぁと考えています。

地域でこんな問題を抱えているんだけど、心理学(行動分析学)から解決できないか?といったご要望があれば、一度、ご相談下さい。

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