2005年6月アーカイブ

筆記試験!?

ひょんなことから、ある試験を受けることになった(落ちると恥ずかしいから、何の試験かは秘密)。

論述式の筆記試験ということでハタと困った。

web日記を書いたり、本や論文を執筆したり、授業で使う教材を作ったり、毎日何十通ものメールを書きながらも、それらはすべてキーボード入力。しかも漢字変換は、日本語入力プログラムという便利な支援ツールに任せきりの過保護行動だ。

“手書き”は、毎日の予定を手帳に書くときか、大学の書類(「研修届け」とか)に、自分の氏名や所属を書くくらい。

国府養護学校の学校評議員会議に出席してきた。

学校の現状や課題が報告され、学校評価(保護者によるアンケート)と教師の専門性向上(教師の自己評価システム)について、参加者全員(特に、我々、学校外部からの評議員)から、忌憚のない意見、提案、質問などがなされた。

加納校長先生を始め、教頭先生や各学部の指導主事の先生方が、それらを真摯にとらえ、和やかなムードながら、おざなりにするのではなく、次にどんなアクションをとるのか、一つひとつ、とても具体的に、議題が展開した。

大学も含め、公教育業界の正式な会議は、慣例にもとづいて、どうでもいいような議事がただただ進行して行く会議も多い。

そんな中、近年稀にみる(?)、素晴らしい会議であった。

お子息がこの学校の卒業生でもある、評議員のお一人の、「学校ってここまで変わるですね」という一言が印象的だった。

p_habanero

2週間くらい前、空きっ腹状態で「暴君ハバネロ」をダブル喰いした。しかも寝る前に。

次の日、腹に大きな石でも入っているんじゃないかと思うほどの激痛で目が覚めた。その痛みは、丸一日続いた。

以来、あれだけ大好物だった暴君のことをすっかり忘れていたのだが、2日前、コンビニで暴君のパッケージを見た瞬間、あの日の腹痛がリアルに蘇った。

これぞ味覚嫌悪学習。しかもフォビアなみの強烈な条件づけ。正直、驚いた。

だが、こんなことに負けてはいけない。夕べは、夕食をたっぷり食べた後、お酒を少々飲んで、明石家電視台を観ながら(つまり、リラックスして他に楽しい刺激を与えながら)、2週間ぶりの暴君をいただいた。

一口目はなんとなく胃に違和感を感じたが、あとは大丈夫。今朝もok。

これでリハビリ完了。超ブリーフセラピーでした。

国際行動分析学会で仕入れてきた、応用行動分析でインクルージョンを支援するモデル(ABAレポート#1を参照)の話を、徳島ABA研究会で報告した(資料は同研究会HPのダウンロードのコーナーにあります)。

・加配を“子守り”ではなく、通常学級などにおける自立支援に積極的に使う。
・そのための指導・支援プログラムを系統的に組み立てる(最終的にはフェイドアウトするのが前提の移行的支援)

という点に賛同する先生が多かったが、人的配置・人数の厳しい日本では実現が難しいのでは?という声も聞かれた。

ひとつ一つの小中学校の中だけでみたら、確かにそうかもしれない。

地域の養護学校や教育センター、大学の教育相談機関など、複数の学校や機関にまたがった連携が、まずは必要なのかも。

さて、支援付きインクルージョン(Supported Inclusion)と呼ばれるこのモデルについては、『Behavioral Intervention for Young Children With Autism: A Manual for Parents and Professionals』(Maurice, C., Gina G., & Luce, S. C., 1996: Pro-Ed)という本の中に詳しく解説されている。

そして、実はこの章の日本語訳が、とあるサイトから入手可能だ。

版権とかがどうなっているかわからないので、早い者勝ちかも。

興味がある人はここからダウンロードして下さいね。

これはいいものができました。

コレール社のwebマガジンですが、兵教の井上先生、筑波大の園山先生、野呂先生ら行動分析家が、毎月記事を書くそうです。

第1号の目次は以下の通り。

1.思々彩々
2.特別支援教育ニュース
3.研究トレンド
4.教材・教具を考える
5.支援のヒント箱—実践
6.燎原の火の如く

面白そうでしょ。

興味のある方はこちらから。

blogの更新

先週の更新回数は{4}回でした。

仕事上どうしてもWinを使わないといけないときがある。 たいていそんな日はいらいらする。 応答なし@U.K. BLOG

まったく同感。しかもWinだけじゃなくてMicrosoftのアプリ全般。

さっきからメールアドレスを勝手にハイパーリンクしちゃうおせっかい機能をはずそうと探しているけど、見つからない。しかもエクセルで。

旧バージョンだったら、「オートコレクト」の設定に「インターネットとネットワークのアドレスをハイパーリンクに変更する」のようなオプションがあったと思うんだけど、2004バージョンに更新したら見つからない。どこだ!! (なんで変えるの?こういうインターフェイス??)

なにしろ、間違ったメールアドレスを変更しようと、マウスをタッチした瞬間にメーラーが起動しちゃうんだからくせ者。

そもそも誰がこんな機能を望んでいるんだ。

keynote2

iWork '05にパッケージされたKeynote2。新しくなって若干文字入力が早くなったし、書式なしのテキストペーストもできるようになったと喜んでいたら、その他の動作がめちゃくちゃ遅いぞ。

Keynoteでは、文字間隔、段落間隔、行間隔を視覚的に確認にしながらスライダーで調整できるんだけど、少しいじっただけでレインボーカーソルが出まくる。

これじゃ、使えません (−−#)

システム条件(500MHz以上のPowerPC G3、G4、またはG5を搭載した Macintosh コンピュータ...)は満たしているのに、これだもんなぁ.....

30分ぐらい格闘したあとで、泣く泣くPowerPointへ移行。

musicteachers

『音楽教師のための行動分析−教師が変われば子どもが変わる』 吉富 功修・野波 健彦 ・竹井 成美・緒方 満・石井 信生・木村 次宏・藤川 恵子【著】1999 北大路書房

グリーア先生の『音楽学習の設計—授業の成立のために』を翻訳された先生方が執筆されたオリジナル本。

行動分析学の用語や概念に関する解説の章もあって、初学者にもわかりやすい作りになっている。

著者の先生方が日本の小中高等学校で実践的に研究された事例も紹介されている。まずは授業を成立させるためにトークンシステムと導入するなど、音楽の授業を担当されている先生たちの現実的な問題解決に役立ちそうな情報だ。

ただし残念ながら“芸術性”とか“美的価値”に関する考察はほとんど見あたらない。

音楽とか美術を専門にしている人で、行動分析学にも詳しい人に、ぜひこのへんの研究や教育実践について話を聞いてみたい。

どなたかご存知ないですか?

音楽教師のための行動分析―教師が変われば子どもが変わる音楽教師のための行動分析―教師が変われば子どもが変わる
吉富 功修 野波 健彦 竹井 成美

北大路書房 1999-03
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greer

『音楽学習の設計—授業の成立のために』 R.ダグラス グリーア【著】 石井 信生・吉富 功修・弘中 知世子・野波 健彦・木村 次宏・藤本 和恵【翻訳】 音楽之友社 1990

グリーア(Greer)先生はコロンビア大学の教育学部の先生で、ケラースクールなど、自閉症児のための学校システム(CABAS)を開発した行動分析家として知られている。

実はグリーア先生は音楽教育にも造形が深く、音楽の個別化教授システム(PSI)を開発した人でもある。

本書は、音楽教育に行動分析学をどうやって活用できるかを解説した本。理論的な話から実践的な話まで幅広くカバーしている。行動分析学の翻訳本としては老舗で、『行動分析学入門』が世に出るはるか昔から書店に並んでいた本だ。

ただし、初学者向けではない。音楽教育と行動分析学の両方に詳しくないと、読んでもチンプンカンプンかもしれない。

たとえば、第8章では、音楽の芸術性、美的価値、情動的行動をどのように捉え、どうすれば指導プログラムに組み込めるかを、教育哲学的な考えと比較しながら論じている。

行動分析学というと、何でもかんでも客観的に測定しようとするから、どうぜ音楽と言っても、楽器を弾くスキルのような、技術的な行動にしか目を向けないんでしょ? と誤解している人も多いと思う。

もちろん、そんなことはない。

・“心を揺さぶられるような感動”を体験するとは、いったいどういうことなのか?
・そういう体験を味わうために必要な下位行動にはどんなものがあるのか?

そういう分析だってできるし、すべきである!と、この本には書いてある。難解だけど...

興味がある人はぜひチャレンジしていただきたい。

音楽学習の設計―授業の成立のために音楽学習の設計―授業の成立のために
R.ダグラス グリーア 石井 信生 吉富 功修

音楽之友社 1990-01
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blogの更新

先週の更新回数は{5}回でした。

覚書き:毎週書込む、グラフ作成用のこの記事はカウントしません。

大学のお仕事で『大学教育の多様化とe-Learningの活用』という研究会に行ってきました。

主催は教育システム情報学会(JSiSE)。

発表が始まると同時に会場のあちこちから窓系OSの起動音が.... なんか居心地悪いなぁ。クールビズどころか、Yシャツネクタイの人が多いし... あ、企業の展示もあるんだっけ。

(ちなみに私はジーンズにポロシャツでした.... ^^;;)。

アメリカで起こっていることは10年から30年後に日本でも起こるというテーセツどおり、今や日本の大学は猫も杓子もe-Learningです。

アメリカではe-Learningだけで学位がとれる大学まで乱立し、結局、採算もとれずにつぶれていった... というオチもよくご存知の人たちが、現在、日本で同じことをしているわけです(フシギですね)。

そもそも、何がe-Learningで何がe-Learningでないかもはっきりしないような概念だから「e-Learningで大学教育が改善されるか?」なんて問いはまったく無意味なわけ。

せっかくネットやパソコンがこれだけ普及したんだから、それが大学教育にうまく使えるようなら、使ったるわいくらいの姿勢がちょうどいいのではないかと思うんだけど、なぜか「全学的取組み」、なぜか「何千万円もするシステム」、なぜか「教員の負担は増えるばかり」なのですな。

なぜか?なんて書いてますけど、理由はわかっていて、e-Learningを導入すると、いろんなところからお金がもらえる随伴性があるからなんです。意外に単純。

不条理!とか、それじゃ、いらないダムつくる公共事業と同じじゃん!! と怒り心頭に達する人も多いかもしれません。自分もそう思うし....  だけど、いっかいの大学教員にはどうしようもないわけなのですね。

だから、それなら、せっかく流れて消えていくお金をできるだけ有効利用しましょうね、というのが私のスタンス。

んで、研究会。

面白かったのは次の2つ。

・行動分析家の F. S. ケラーが開発したPSI(Personalized Systems of Instruction)が注目されていること。

・リッチなコンテンツはe-Learningの必要条件でも十分条件でもないという広島大学の安武公一先生の発表(というか主張)。

PSIについては、金沢大学から早稲大学に移られた向後千春先生がご活躍されていている影響みたい。

「行動分析」なんておそらく聞いたこともない人たちから見直されているってところが面白い。

PSIについては、どこかに文献リストを作っておいたような気がするんだけど、見つかりません。そのうち見つけてアップします。

安武先生の主張は半分正しく、半分間違っていると思う。

確かに、パワポの資料と発表者の口パク動画が同期するようなコンテンツや、教科書をそのままwebに載せたようなページはいらないと思う。あってもいいけど、たぶんサバイブしないと思います(←かなり確信ある予測)。

e-Learningで何かを教えるのに必要不可欠なのはコンテンツよりもデザイン。色彩とかレイアウトという意味じゃなくて、学習が生じるためのインストラクショナルデザインだ。

とはいっても、実はこれはe-Learningの話に限らない。対面授業だって同じこと。

つまり、実はe-Learningが成功するかどうかは、e-Learningじゃない授業や指導法でうまく教えているかどうかにかかっている。

ふだんの授業から、デザインなく(膨大な資料とかよもやま話などのコンテンツはあったとしても)教えている人の場合は、それをそのままe-Learningに持っていくと、うまく教えられていないのがバレやすいってことだと思うのだ。

安武先生が紹介されたのは学生にWikiを使ってコンテンツを作らせちゃうという授業なんだけど、確かに教員側が提供するコンテンツは最低限かもしれないけど、学生が学習していくための環境はちゃんとデザインしてありました。

“リッチ・コンテンツ”というのは、そういうデザインがないのをバレないようにするための隠れ蓑と言えないこともない。

こんなことを書いちゃっても大丈夫そうな懐の広く深そうな雰囲気の学会だったので、それにモーレツに忙しかった週の週末なので、少しクダケて書いちゃいました。

あ、じぶん、会員ではありません。 (._.)

システム手帳を使い始めて20年。A4の自家製版を作ってみたり、ザウルスやシグマリオンなどのPDAに浮気したこともあったけど、結局、バイブルサイズの手帳が収まりがいいようだ。

リフィルで使っているのは見開きの月間カレンダーのみ。あとは白紙を日別の行動計画表や月間目標、年間目標、プロジェクトごとのメモなどに使っている。

困ってしまうのが、下の「見開き月間カレンダー」。たいていは1月始まりで売っているので、2005年は12月までしかない。

re_diary34


仕事のスケジュールって年度毎にたてるわけで、来年1〜3月の予定を書き込みたくてもカレンダーがない。まだ売り出してもいないみたい。

Bindexさん、なんとかして下さいな。

元記事(忘れることの対策@応用行動分析学&特別支援教育探求道)。

30代半ばをちょっと越えたあたりから、物忘れがひどくなってきた。

“老化”ではない!と声を大にして言いたいが、「否定(denial)は老化の初期症状」と誰かさんに指摘されそうなので、控えめに。

自分の場合、まず人の名前がでてこなくなった。仕事の性格上、これはとても失礼にあたったりする可能性があるので、なんとかしたいところだ(「あいうえおかきくけこ....と小声で唱えているときは、なんとか名前を自発しようとして補助的刺激を与えているときです」)。

まずは“老化”以外の解釈:

 仕事でも趣味でも新しく知り合う人が急増した。日常的にコミュニケーションをとる人が100人以上になったくらいから、新しく知り合う人の名前を“自然に”は覚えられなくなり、かつ、すでに覚えていたはずの人の名前が顔を見てもでてこなくなった。

 → 知り合いの数が増えるにつれて、一人あたりのコミュニケーション回数や時間は反比例して減少した。つまり、名前を自発して強化される(タクト)機会が少なくなった。

 → 「田中さん」「鈴木さん」「山本さん」など、名前のダブりが増えてきた。一対一対応していないと刺激性制御がつきにくい?

 → 電話の時代には「○○さんいらっしゃいますか?」とマンドとして名前を言って強化されることがあったが、メールによるコミュニケーションが増えるとこの機会も減る。


対 策:

・直接会って話をするときには、アメリカ人のように、頻繁に名前を呼ぶようにする。

・このために研究会の前とかには参加者の名簿に目を通しておく。

・メールを書くときには単に「返信」をクリックして本文を書き出さずに、相手の名前だけは自分で打ち込むようにする。

・苗字が重なるときにはファーストネームかニックネームを使う。

・カテゴリーごとに覚えるようにする(「国府のダン坂口」とか「天水の森くん」とか)。つまりイントラバーバルのコントロールを利用する。

以上。

悪あがきかな?

教員の専門職大学院設置について@U.K.BLOG教員免許更新制の徹底、教員免許の1種・2種を準免許として補助教員資格とし、教員専門職大学院を修了することで正教員資格とするのはどうだろう。看護士と准看護士の看護行為のできる範囲を限定するような感じ(あと賃金も)。またあるいは、学校組織には規模に応じて最低?人の教職修士を配置しなければならないという制度的枠組を設定する。それぐらいしなければ、教職修士の必要性がはっきりしないし、教職修士をとる側の現実的なメリットもない。

資格制度って難しい。

本来は、最初に専門的な知識や技能に対するはっきりとしたニーズがあって、それを習得して実行できる専門家集団がある程度存在して活躍しているが人手が足りない状況で、この専門家集団を安定して供給する(育成し、雇用する)ための手段のはずである。

ある資格を持っていれば、その資格で保証される仕事ができなくてはいけない。これが資格の信頼性だ。

そしてその「できること」は職場で(そして社会で)望まれていることでなくてはならない。これが資格の妥当性だ。

現在の「教員免許」は、免許を持っていればこれは必ずできる(少なくても持っていない人に比べて確実にうまくできる)と保証できることがあまりに少ないのではないだろうか?

教員養成系大学や学部で、それぞれ教員養成に携わっている先生方の努力にもかかわらず、果たして、大学で教えていることのどれほどが、ほんとうに学校現場で望まれていることなのだろうか?

教員の専門性を高めて、教育の質を向上させるのは国をあげて挑むべき最優先事業だ。だが、現状の「教員免許」のように、信頼性・妥当性ともに疑問符がつくシステムを大学院まで単純に拡大するような「専門性大学院」では、資格制度の本来の目的を達成するのは困難だと思う。


対案:
 文科省主導のこうした改革とは独立に、各学校や教育委員会(雇用側)と各大学(養成側)で、学校に必要とされている技能・知識などの専門性を書き出して、それをベースとした養成システムをローカルにつくっていく。
 採用側は、卒業生や修了生についてこの独自の評価システムを使った評定をして、その結果を大学へフィードバックする。大学はそれを活かしてプログラムを改善していく。

 雇用側と育成側のこうしたフィードバックループができれば、専門家養成のシステムもでき上がっていくはずだ。

T.V. Joe Layng から彼のABAでの“心の理論”に関する発表の資料が届いた。

残念ながらプレゼンで使われたパワポのコピーは、講演での口頭発表よりも情報が少なく(あたりまえだけど)、知りたかったこと(abstract macthing が心の理論にどう関係しているかなど)は、不明のまま。

ただ、行動分析家は、“心の理論”のあるなしを言わしめる行動レパートリーが何であるかを同定する研究を進めるべきで、自閉症児がさまざまな課題を苦手とするからといって、その理由をすべて“心の理論”で説明しようとするのは単純すぎるし、さらなる研究の発展を妨げかねないという主張は再確認。


以下は、有名な「サリーとアン課題」について、Joeの資料を読みながら考えたこと。

「サリーとアン課題」@Wikipedia心の理論の機能を調べる検査の一つとして、以下のような方法(サリーとアン課題)がある。

「サリーが、ボールをかごの中に置いておいた。サリーが席を外している間に、アンがボールを別の箱の中に移した。しばらくしてサリーが戻ってきた」という内容の人形劇を児童に見せ、その後「サリーはボールを見つけるためにどこを探すかな?」と質問する。

「かごの中」と答えるのが正解であるが、心の理論の障害が想定されている自閉症などの子供は「箱の中」と答える割合が高い。事実のみに目を向けてしまい、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解できないのである。

「箱」と答える子どもにとっては、おおざっぱに言えば、「ボールはどこにある?」という質問と、「ボールはどこにあるとサリーは思う?」が、同じ質問として機能していることになる。機能的に等価であり、分化していないということだ。

それでは、この子どもたちはほんとうに状況を理解していないのだろうか?

たとえば、子どもの好きなお菓子を佐藤先生が棚の上の箱にしまう。佐藤先生が教室をでた後、竹田先生が棚の上からお菓子の入った箱を降ろして、引き出しの中にしまう。

子どもはこれをすべて見ていたとする。

すぐにおやつの時間になる。

(1)佐藤先生にも竹田先生に対しても、おやつの要求行動を同じくらいマスターしていたとして、この子どもはどちらの先生に要求するだろう?(もし、竹田先生の方に要求するようなら、この子どもは竹田先生の方がお菓子の在りかを「知っている」ことをわかっていることになる)。

(2)教室に佐藤先生しかいないとする。佐藤先生は懸命に棚の上を探すがお菓子が見つからず、この子どもにもお菓子が与えられない。子どもが、クレーンでも指差しでも、佐藤先生にお菓子の在りかをしらせることができるように教える。お菓子の在りかを教えるレパートリーが確実に自発されるようにした後、同じような状況で、誰もいない教室に、佐藤先生か竹田先生のどちらかが入ってくる。もし、子どもが竹田先生よりも佐藤先生に、お菓子の在りかを教える行動をより多く示したら、この子は、佐藤先生はお菓子の在りかを知らないことを知っていることになる。

要するに、「○○は□□を知っている」という、スキナーの言語行動論でいう“オートクリティックフレーム”へ反応させることなく、「サリーとアン課題」と類似の課題をやってみて、もしそれならできるのであれば、その場合の“心の理論”とは実はオートクリティックフレームへ反応レパートリーということになる。

と、思うのですが、いかがでしょうか?

blogの更新

先週の更新回数は{5}回でした。

ブログの更新するたびに回数を記録し、グラフを描き直すのをやめて、BlogMeter にすべてをまかせるようになってから、およそ1ヶ月。

随伴性の変化が更新行動にどのように影響するか少し心配だったが、とりあえずパフォーマンスは維持している。

よって、このまま継続。

かっこよすぎ

widget


Tigerにしてみたのである。

とはいっても仕事で使用中のマシンで試す余裕はないので、自宅のiMacにインストール。

かっこいいのだ、Dashボードが。

まだまだ実用的なソフト(widgetというらしい)はそんなにないけど、なんせ表示のされ方がクールすぎる。

自分はコントロールキー+マウスの中央ボタンで呼び出せるように設定したんだけど、用も無いのに何度も呼び出して、SunlitEarthというwidgetで「あぁ、もうじき日が暮れる....」なんて半笑い状態。

Appleのこんな遊び心が大好きだ。

西南女学院大学のごまひげ船長こと服巻繁先生との共著がでました。

とにかく行動随伴性ダイアグラムがいっぱいの本です。PBS(問題行動に対するポジティブなアプローチ)や、TEACCHの構造化、PTSDの治療、糖尿病患者の自己管理に至るまで、ダイグラムで分析しています。

行動分析学の初学者が、対人支援のプロジェクトをしながら、記録の取り方、グラフの書き方・読み方、ABC分析の仕方などを学んで行く授業で使いやすいように作った本です。


個人的にはごまひげ先生の絵心に感動。

haramaki-illust
対人支援の行動分析学―看護・福祉職をめざす人のABA入門対人支援の行動分析学―看護・福祉職をめざす人のABA入門
服巻 繁 島宗 理

西日本法規出版 2005-05
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遠隔教育支援のために、総合教育センターの提供するTV会議システムを使ってみることになった。

とりあえず
 ・K養護学校でのペアトレのスーパーバイズ
 ・事例研究の検討会
 ・徳島ABA研究会
で使ってみる予定。

ところが、NTTが開発したというこのTV会議システム。当然のようにWindowsでしか動作しない。来年度からのこともあるので、仕方なくDOS/Vマシンを購入し、使い始めてるのだが、ヘッドフォンに音を出すのも一苦労である。

XPをインストールしただけではうんともすんとも言わない(DVDさえ再生できない!)。サウンドボードのドライバをチェックして、更新して、ようやく外部スピーカー端子には音がでた。でもヘッドフォンの端子の方にはでない。マイクの音も拾わない。

そうこうするうちに時間だけがたっていく。

TV会議のテストサイトにもつながらないし.....

Macに標準でついてくるiChatがカメラを買ってきてつなげばそのまま使えるのとはエラい違いだ。

おかげで生産性大幅ダウン。ストレス増大。

写真の管理が下手ぴいだ。

アルバムに整理するのがめんどうなんで、友人・知人にもらった写真は、ダンボール箱とか、机のあちこちに散乱していて、そのうちなくなってしまう。

趣味のHPの方ではまめに写真をアップしていたこともあったけど、最近はブログに携帯カメラで撮影したラーメンの画像をアップするのが関の山。

仕事関係の写真はほとんど見つからない。それと関係あるのかないのか、どこで誰と一緒に仕事をしたのかも忘れてしまっていることがある。

「○○さんが、島宗先生と一緒に□□へ見学に行ったって言ってましたよ」なんて言われて、「え? そんなことあったっけ?」と失礼きわまりない。

そこで仕事関係の写真もできるだけブログに残しておくことにした。

左の下の方に「SNAP!」というコーナーを設置した。

注記:私に写真をくれる人へ。無断でweb公開しちゃうかもしれません。それが嫌な人は言って下さいね。

autism_bperspective

Autism: Behavior Analytic Perspectives. P. M. Ghezzi, W. L. Williams, & J. E. Carr (Eds.) 1999. Reno, NV: Context Press.

ひとつ前の記事で、Journal of Applied Behavior Analysis には自閉症児の知覚・感覚過敏性の問題を直接に扱った研究は見当たらないと書いた。これは、行動分析家がこの問題に無頓着という意味ではない。

この本は、自閉症と自閉症にまつわる諸問題を、何人かの行動分析家が、それぞれの研究や臨床経験から論じた本。自閉症の原因に関する分析もあり、そこでは知覚や感覚の過敏性が大きく取り上げられている(ABAで買ってきて飛行機の中で半分くらい読んだだけだが)。

過敏性は神経生理学的な障害の問題とする人もいれば、学習によって生じる可能性を否定しない人もいる。

このへん日本語でまとめた展望論文があるといいんだけどなぁ... ないのかな?

blogの更新

先週の更新回数は{9}回でした。

ABA開催期間中、けっこう頑張って書きました。

むしろ帰国後のパフォーマンスがダウン。たまった書類やメールなどの処理で時間がとられすぎ。

この報告も後付け(ほんとは6/8に記入)。

日本ではよく指摘されている自閉症児の知覚・感覚過敏性。ところが Journal of Applied Behavior Analysis を検索しても、この問題を直接に扱った研究は見当たらない。

摂食障害を治療する方法の研究はかなりあるのだが、多くは、栄養チューブを使っている重症の幼児(発達障害があるなしに関わらず)を対象とした研究だ。

今回は大山さんの修論のネタ探しということもあって、このへんの発表を探してみたら、3つの面白い発表が見つかった。

1つは摂食障害がある自閉症児に刺激フェイディングを使って、食べられる(飲める)ものを増やした研究。

もう1つは学校の騒がしい教室では落ち着いて課題に取り組めない自閉症児に、家庭の静かな環境で課題に取り組ませることから初めて、徐々に人工的な雑音、騒音を入れていき、最終的に学校の騒がしい環境でも課題に取り組めるように指導した研究。

もう一つは、掃除機の音に過敏に反応して耳ふさぎをしパニックになる自閉症児に、系統的脱感作法的な手法を適用し、目の前で掃除機をかけても問題がないように指導した研究。

3つめの研究の発表者は、hyperacusis(聴覚過敏)的な兆候は確かに自閉症児に多く見られるが、本当の聴覚過敏なのかどうか(聴覚刺激がそのまま痛刺激となるかどうか)は不明であると言っていた。

確かにもしそうなら、系統的脱感作法的な手法で、耳ふさぎもパニックも消失したということの説明がつかない(少なくともこの事例では)。

いずれにしても、この問題に関しても応用行動分析学からアプローチできそうな感触を得られたので○。

閑話休題。

ジョンハンコック・センターの1-2階にあるThe North Face にハイキングシューズを買いに行った。

んで地下鉄(Red Line)に乗ったわけだが、プリペイドカードがめちゃくちゃ分かりにくくて、さすがアメリカと再確認。

これがプリペイドカード(表)。この方向で差しても受け付けてくれない。

chicago-subway1

なんと、こちら側(裏、だよね?)を表にして差すのだ。しかも垂直方向に(斜め前方向に差すとはじかれる)。

chicago-subway2

よ〜く見ると、薄い黄色で矢印らしき形がプリントしてあるのがニクたらしい(地下鉄の改札は日本みたいに明るくないから見えないっつ〜の)。

インストラクショナルデザインというコンセプトはこの国で生まれたんだと思うんだが、それは必要に迫られての話だったんだろうね。

Hawthorne Country Day School の清水裕文先生と、ABAで発表して聴衆から強化されることについて話していた。清水先生は、自閉症などの発達障害を持つ子どもたちを対象に、パソコンを使った指導方法や、刺激制御、言語行動の獲得などについて研究している。

口頭発表の内容は、自閉症児にパソコンを使って同一マッチングを教える課題。画面の中央に表示される見本刺激を見ながら、その下に提示される2つの比較刺激のどちらかをクリックして選ぶのが通常の操作法だが、これができない子どもがいる。ところが、“ソーティング課題”と呼ばれる、見本刺激をドラッグ&ドロップの形式で比較刺激の上に移動して重ねるような操作法にすると学習が進むことが分かっている。清水先生は、移動する見本刺激を徐々にフェイドアウトしていくことで、最終的にはクリックして比較刺激を選べるように教えられることを示した。

興味深い内容である。なぜ子どもたちはそのままだと比較刺激をクリックできないのか? 自閉症という障害の特性に関連した、行動の制御変数を明らかにする地道ながら生産的な仕事だ。

ところが、この口頭発表を聞きに来た参加者は十数名。これはABAの口頭発表としては少ないほうだ。正直な話、どう思っているか聞いてみたら、確かにもっと多くの人に発表を聞いて欲しいとのことだった。あっと驚くような研究をして人を集められるようになりたいですと、正統派らしく語っていた。

ABAの発表で強化されるのはけっこう難しい。人を集めるだけなら、有名人と一緒にシンポジウムをするのが一番。自分もそうやって何度か甘い蜜を吸わせていただいた。

現在のABAでは自閉症に関するハウツーを模索している人が数多く参加している。だから、自閉症関係の実践的な研究などは、ポスター発表でも人をたくさん集められる。

ところが同じ自閉症の研究でも、どちらかというと地味な、制御変数を一つひとつ明らかにしようとする研究だと、奥田先生の「心の理論」系の発表のように聴衆を惹きつけるキーワードにからめない限り、お客の入りは悪くなる。

それからABAでは、海外からの発表には「International」の帯がつくのだが、どうもこれが聴衆を少なくする要因になっているような気がする。発表内容がよくても英語が聞き取りにくいと、アメリカ人の参加者はあまり聞きに来ないから。

もちろん、聴衆の数だけが好子ではない。聴衆が少なくても、どんぴしゃの質問やコメントをしてもらったときの嬉しさはまた格別だ。とはいえ、どんぴしゃの質問やコメントをもらえる確率も聴衆の数が多いほうが高くなる。

自分はというと、成人の思考についてポスター発表をしたのだが、予想通り、客の入りは最悪。どうもABA向きではないようだ。

日本ではかなり前から「心の理論」に行動分析家が興味を持ち、理論的、実証的な研究をしてきた。

ABAで“Theory of Mind”が取り上げられるようになったのはここ最近の話。実際、Fred. S. Keller Schoolを始めて訪問したとき(1996年?)、当時校長だったJanet Twymanに質問したら、ほとんど聞いたことがないという反応だった。アメリカのABAはABAの中だけでも十分活動していける基盤があり、他の領域に無頓着な人が多いというのは事実だと思う(特に実践家の人たち)。

今年はHeadsprout のT. V. Joe Layng が、彼らしい切り口で、「心の理論」があると言われるような行動を示すために必要な下位行動を課題分析してみせた。

Joeによれば、それらは、
・他者の注視反応の弁別
・絶対的なマッチング(見本刺激を見ながら比較刺激を選ぶのではなく、「赤」といわれて絵の具で自分なりの赤色をつくりだすような行動)
・独言
・「〜は〜と思っている」のようなautoclitic(フレーム)への反応
・行動随伴性を調べるような反応(観察反応?)
の5つ。

例によって例のごとく、Joeのジョーク交じりの発表は我々外国人には理解しにくいこともあり、絶対的なマッチングがどのように関連しているかなどはよくわからなかった。

資料を送るようにお願いしているんで、もらったら復習してみます。

ちょうど竹田さんが第2回のペアトレを実施中ということで、Skypeで国府とシカゴを結び、オンラインでSV(スーパーバイズ)。

竹田さんは日に日に講習会のリードが上手くなっている。もしかして自分が同席しない方が緊張しなくてやりやすいのかな(と思うくらい)。

すべて順調に進んで、結局、こちらからのコメントはそれほどありませんでした(この調子なら、うまい具合にSVをフェイドアウトできそうだ)。

それにしてもインターネットって便利です。3時間近くつなぎっぱなしで電話料無料なんだから。次回はテレビ会議システムを試してみる予定。

ABAではペアトレの発表は一つしか聞けなかった(いくつか聞き逃した)。保護者に強化やプロンプトの仕方をビデオモデリングするってのがあったけど、これは教材を開発するのがたいへんそう。

せっかく学校でやるんだから、たとえば保護者それぞれの子どもさんの教室に行って、その場で実際に誉めたり、プロンプトやガイダンスをやってみせ、やってもらう、という演習の時間を作ってもいいのかもしれません。

ちょっと息抜き。

ABAソーシャル(最終日前夜のダンスパーティー)の会場の前で師匠のDick Malott先生と、奥田先生とで撮った記念写真。

まさに“The ラディカルズ”(The Radicals):徹底的行動主義者たち、です。

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これは奥田先生のポスターセッション。“心の理論”の下位行動の一つである視線の弁別を教えた研究で注目を集めていた。

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うら話は「続きを読む」で。

今年は "Class-Wide Peer Tutoring" (CWPT)というプログラムに関する発表をいくつか聞いてきた。

CWPTは、カンサス大学の行動分析家が中心となって60年代から運営している The Juniper Gardens Children's Project から生まれた指導方法で、発達障害を持った子どもたちにも、健常児にも、健常児と発達障害児が一緒に学ぶインクルージョンの環境でも効果が認められている。

今年のサマースクールで小中学校の先生方に詳しく紹介できるように資料をまとめて、できれば9月からの事例研究で試してみたいと考えている。

CWPTはどちらかと言えばすでに開発済みの指導方法だから学会発表の件数は少ない。その中でも面白かったのは、ニューヨーク州立大学教育学部、Maheady博士によるプレゼン。

資料が手に入らなかったのでメモしか残っていないのだが、Maheady博士によると、何年か前に、米国の議会で教員養成の効果が議論され、データが示されたらしい。

それによれば、教育学部による教員養成(pre-service training)には効果がまったく認められず、さらに教員養成系の大学を卒業して教職に就いた教員に指導された児童・生徒の学業成績にも効果が認められなかったそうだ。

Maheady博士らは、そうしたデータを踏まえ、教師が効果があると実証された指導方法を使ええるような教員養成を目指しており、CWPTが使えるように教えることもその一つだそうだ。発表では、教員志望の学生にCWPTを教えることで、実際にうまく使えたかどうか、それにより子どもがより学んだかどうかを確かめるデータが示されていた。

日本の教員養成系大学は国(文部科学省)の直轄下にあるから、米国議会に提出されたのと同じような調査は政治的に難しいかもしれないが、教育改革のためには必要なことだと痛感。

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