2014年10月アーカイブ

怒濤の春学期,ほとんど学会活動でつぶれてしまった夏休みを経て,気がつけば今日からは本学の市ケ谷キャンパスの学祭です。
この7ヶ月,法政に奉職してから,授業・公務共に最も充実した期間だったかもしれません。
 
ということで,ブログもなかなか更新できずにいましたが,ようやく少し時間がとれたので(気持ちに余裕が出来たので?)久々に更新します。
 
 
もうかなりの時間が過ぎてしまいましたが,春学期の末に本学が誇る野上記念法政大学能楽研究所の山中先生からのご紹介で,あるプロジェクトの研究会に参加させて頂き,非常に興味深いお話を伺うことが出来ました。
 
能に関しては以前からお話を伺っていて非常に興味があったのですが,特にこの所,僕自身が興味を持っている身体動作に関する「主観と客観」に関する種々の話題が提供されました。
 
 
個人的に興味深かったのは,能における「型(かた)」の修得過程でした。
 
能の稽古においては,基本的に,自らの動作に関しての「分析」はしないというコメントが聞かれましたが,「舞」という決まっている動作の自動化を目指す意味では合理的かもしれません。
 
しかし,「何も考えずに体が動く」というのは,「形(かたち)」の修得にはなっても,「動きの本質」を含んだ概念である(と僕は捉えたのですが・・・)「型(かた)」を修得するという観点から見ると,あまりに非効率ではないか,というディスカッションも為されました。もちろん,個々人によって様々な考えがあると思いますが,「沢山稽古し,既定の動き(つまり形)を修得することを通じて,本質である型を理解できる」という考え方が主流であるように感じました。
 
これは,おそらく「舞」という既定の動きを完全に継承することが必要な「能」の世界において,最もシンプルにその事項を遵守できる方法だったのではないか,と思います。
 
 
一方で,能の稽古場面において,お弟子さん(習得者)は「同じようにやっているのに,昨日は動きが速いといわれ,今日は遅いと言われる。お師匠は日によって言うことが違う」などと思う事があるそうですが,これはどちらも主観的な判断に基づいているので,厳密に言うとどちらが客観からズレているか解りませんよね。
 
まあ,通常は師匠の見る目(客観的評価)の方が動作の質的の評価としては正しく,習得者が同じようにやっている「つもり(perception)」と実際の「動き(performance)」が客観的に合致していない可能性の方が高いとは思いますけど・・・。
 
 
 
世阿弥は「花鏡」の中で,客観的な自分の姿を想定する事が重要であり,「自らの見る目と観客の見る目が一致する事が重要である」という「離見の見(りけんのけん)」について述べていますが,これはまさに,身体の種々の体性感覚からの情報を集約し,イメージ通りの動作を発現できることが重要であることを示していると思います。
 
主観的なイメージ通りに身体を操作できることは,以外と難しい一方,様々な日常生活やスポーツの実践場面で適切な動作を行う上では非常に重要な事項です。
 
今のところ僕は能については素人で,あちこち解釈が間違っているところもあるかもしれませんが,奈良・平安時代から続く舞の継承過程における様々な事象から,主観(perception)と実際の動き(performance)との関係に有益な示唆を与えてくれる興味深い知見・ヒントがあるのではないか,と強く感じた研究会でした。

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